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黄金をめぐる冒険⑬|小説に挑む#13

黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)

六日目の朝がやってきた。
正確には朝ではないかもしれないし、外は夜かもしれない。洞窟の中では外界の時間軸が全くわからないため、ひとまず起床時を便宜上朝としているだけだ。

陽の光の代わりにランプの灯りが彼女を照らし、彼女の影が小さくなったり大きくなったりを繰り返しているのを、僕は横たわりながらぼうっと眺めていた。しばらく見ているうちに遠近感の認知が狂い始めてきたので、体を起こし竹のような伸びをした。

彼女は僕より先に起きて朝食の準備をしていた。(朝食も便宜上のものだ)
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おはよう、よく眠れたよ。この硬い岩の上で寝るのも慣れてきたらしい。君はよく眠れた?」
「ええ、私はどんな環境でも眠れるよう訓練を受けてますから」
そう笑いながら、彼女は比較的平面が多そうな岩の上に腰掛けて、果物の缶詰を開けようとしていた。だが、缶詰はなかなか開かなかった。
疲労のせいか、プルタブとプルトップの間に指がうまく入らない様子だった。

「僕が開けるよ」
「そうですね、ありがとうございます」
彼女の笑顔には疲労の影がじんわりと滲んでいた。僕はプルタブを下に押し込み、中の汁が溢れないようゆっくりとプルトップをぺりぺりと引き剥がした。

「あなたは昔も今も変わりませんね。昔から、私が何も言わなくても、困ったときには手を差し伸べてくれる。優しい人です」
「たかだか缶詰を開けただけで大げさだよ」
「缶詰だけではありません。あなたは優しい人なので、あなたが当たり前だと思う行為でも、他人にとってはそれが親切に感じるのです」

やはり、彼女の言葉はとてもポライトだ。

「昔のことを聞いてもいいかな? ごめん、僕は君のことをどうしても思い出せないんだ。ここに来ても、何度も思い出そうとは試みたけれど、思い出そうするとなぜか頭が痛むんだ」
「無理もありません。今の段階では、思い出すのはとても難しいと思います。無理に記憶の境界線に干渉することは脳にとって大きな負担ですから」

少し悲しそうな彼女の横顔を見て、僕の頭の回路が高速でカチカチと音を立て始めた。激痛が走った。今までにない、頭の中心から同心円状に波及するような痛みがずんずんと響く。まるで脳の中で巨大なムカデがゆっくりと這いずり回るような痛みだ。

果物の缶詰が地面にぶつかり、中から小さな三日月がこぼれ出た。その瞬間、僕の記憶の中で夜空に広がる無数な星々、その中心に曖昧な輪郭を持つ三日月が草木の荒野を照らしていた。

***

「三日月でも、お月様は明るいね!」
「そうだね、でもやっぱり満月のほうが明るいね」
二人の子供が無邪気に夜空を見上げていた。年は分からない。だが、とても仲が良さそうな女の子と男の子だった。そして三日月は、まるで二人だけの世界を祝福しているかのように強く照り輝いていた。

「そうかな? じゃあ、満月と三日月、どっちが好き?」
「どちらかと言えば満月、かな?」
「私は三日月のほうが好きだよ!だって笑っているように見えない?」
「そうかもしれないね。じゃあ、僕も三日月にするよ」
「絶対三日月だよ!大人になっても忘れちゃだめだからね」
「うん、忘れないよ」
「約束!」
僕はいつの間にか男の子になっていて、女の子の優しく無垢な笑顔を見ていた。女の子は男の子をとても信頼しているようだった。それを恋と呼ぶかは分からないが、とにかく、二人はこれからもずっと一緒なんだろうと思った。

僕は三日月なんて見ていなかった。
僕は三日月が照らす彼女の横顔を見ていた。

「次の三日月も二人で見よう」
そう言うと彼女の横顔は少し悲しそうな面持ちおももちに変わった。どうしてだろう? 僕にはそれが不思議でたまらなかった。僕はそれ以上何も言えなくなり、ただ彼女の横顔を黙って見ていた。

僕は三日月なんて見ていなかった。

***

目を開けると、そこは、やはり洞窟だった。
あたりは桃の缶詰のにおいが充満していて、甘ったるさと湿気が不協和音を成していた。僕は気を失っていたらしい。

背中と臀部でんぶに岩肌の温度を感じながら、彼女を探した。彼女は少し先で携帯用の小さなコンロを使ってコーヒーを淹れていた。彼女は直火式のエスプレッソメーカーを持ってきており、それはビアレッティというエスプレッソ専用のコーヒーマシンだった。僕は昔からそれを好んで使っていたので、良く知っている。

今までの道中でも、とても疲れた時の一服として彼女とコーヒーを飲んだ。最初にビアレッティが現れたとき、僕は声を出して喜んだ。まさかこの旅でコーヒーが飲めるなんて露ほども思っていなかったからだ。
この長い暗闇において、彼女と飲むコーヒーは何より大切だった。

「どうぞ、気分はどうですか?」
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
「心配しました。ひとまず、コーヒーでも飲んで一休みしましょう」

コーヒーの香ばしい匂いが鼻孔から体内に染みわたり、まろやかな苦みが神経を巡り体ひとつひとつの倦怠感を徐々に拭い去ってくれた。
「申し訳ない、貴重な食料を無駄にしてしまったよ」
「そんなことは気にしないでください。大丈夫ですから。少し無理をしすぎたかもしれません。一旦、ここでゆっくり休みましょう」
「ありがとう。でも、違うんだ。疲労とかそういった類のことじゃないんだ。君の顔を見た時、急に激しい頭痛に襲われて、落とした缶詰の桃が目に入って、次の瞬間になぜか僕は夢の世界にいたんだ。そこには二人の子供がいて、空を見上げていた。そして女の子が僕に言うんだ、三日月が好きだと。なぜだか分からないけど、それはとても懐かしいような気がした。こんなことは初めてだけど、その君の言う”誉れほまれ”と何か関係があるのかな?」

僕は興奮し、わずかに混乱しながら、僕に起こった不可解を足早な口調で彼女に説明した。
彼女は俯きながら僕の話を黙って聞いていた。しばらく沈黙が続いた後、僕は彼女が泣いていることに気が付いた。だからこれ以上は口を開くことを止めた。

彼女の咽びむせび泣きが真っ暗な洞窟の先へとわずかに伸びていく。それはシケた海の中で放つ漁船の光線のように儚く、まっすぐと延びていった。

「それは、素敵な、本当に素敵な夢ですね」
そう言って彼女は泣きながら、嬉しそうに笑った。儚く洞窟の奥へと。

第十三部(完)

二〇二四年五月
Mr.羊
#連載小説
#長編小説
#創作大賞に向けて

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