いじめ被害者だからこそ実感できるサッカーの魅力
「0.」
小数点以下に何もない中途半端な表記ですが、これは何を指すでしょうか?
これは高校で実際にあった、お昼休みの教室の様子です。「0」が私以外の女子クラスメート全員で「.」が私。
つまり私以外のクラスメートの女子全員で輪を作られ、私は一人でお弁当を食べていたというわけです。
私は高校でいじめに遭い、二度の留年と転校を味わいました。
女子からも男子からも、無視や仲間外れは日常茶飯事。
風邪を引けばバイ菌扱いされ、授業中に体調が悪くなって保健室に行けば、私が保健室に行くことを申し出た際の台詞がそのまま黒板に書かれていました。
私をいじめたのは、賑やかで明るいスクールカースト上位の生徒たちです。
もちろん私はスクールカースト最底辺。
クラスでの発言権や、学園祭の準備における役割すらろくに与えられませんでした。
学園祭のためにやったことといえば、クラスの出店で販売するミサンガ作り。編み方も教えてもらえず、見よう見まねで黙々と編んでいました。
自分のクラスで出すステージイベントの内容を知ったのは、学園祭前日のリハーサルの時です。
担任教師にいじめのことを相談しても「気にしすぎ」の一点張りで、最終的には「水に流せばすべてが丸く収まるから」と言われました。
そんな環境下で、私はもともと低かった自己肯定感を完全に失いました。
17歳、18歳の時は不登校になって家に引きこもり、将来のことなど何も考えられませんでした。その時、自分がどんな生活を送っていたのかはほとんど記憶がありません。
アニメを見て、つたない小説を書いていた記憶だけはかろうじてありますが、自信のなさからか小説は書いては消しを繰り返していました。
いわゆる「青春時代」を私は家の中でやり過ごし、家以外に居場所はありませんでした。
しかし私は今、元気に生きています。
甲府サポーターとしてヴァンフォーレ甲府を応援し、スタジアムに行けば仲間がいて、語らいを楽しんでいます。
またOWL magazineのメンバーとして、こうして発信できる機会もいただいています。
高校時代の私と現在の私。
これを繋ぐものは単に時間の経過だけではありません。
そこには、いじめ被害者だからこそ実感できるサッカーの魅力があったのです。
いじめ被害者から見たサッカーの魅力とは何なのか。
お付き合いいただければ嬉しいです。
人を区別していた学生時代
私がいじめを受けた高校は地元の高校で、同じ地域にある母校の公立中学校からスクールカーストはかなりハッキリしていました。
運動部に所属していて明るく賑やかな性格なら、もれなくスクールカースト上位になれますし、文化部でおとなしければスクールカーストは下位。
オタク系ならさらに階級は下がり、仲間外れに遭った生徒は最底辺です。
上位の生徒は失敗しても周りが助け、成功すればみんなから称賛されます。
しかし下位の生徒が成功したら「キモい」で終了。
もちろん下位の生徒が失敗したら誰も助けてはくれません。
そのため私は高校でいじめの被害に遭う前から、人を区別していました。
スクールカースト上位と下位。何事も上手くできる人と何をしても下手な人。恵まれている人と恵まれていない人。持っている人と持っていない人。
この世の中はその二つに分かれていると思っていたのです。
私はオタク系ということもありスクールカースト下位で、何をしても下手で、恵まれておらず、持っていない人です。
自己肯定感がもともと低かったのは、そういった中学時代の環境も一因なのです。
なので高校に入学してすぐいじめに遭った時も、心のどこかで「ああ、やっぱりね」と思っていました。
スクールカースト下位がいじめられることは、決して珍しいことではなかったからです。
それでも気持ちを強く持って頑張ってきましたが、高校一年生の秋に体調を崩し、そのまま不登校になります。
転校した後も体調は良くならず、再度不登校になり二回留年しました。
それでも信頼できるカウンセラーの先生のご尽力もあり、通信制高校に転校し高校を卒業。私立大学への進学も果たすことができました。
しかし一度失った自己肯定感は、簡単には取り戻せません。
口癖は「私なんか」。何をやってもどうせ上手くいかないと思い込み、何かに挑戦しても途中ですぐに諦めてしまいます。
そのうちに挑戦することすら億劫になっていきました。
サークルにも所属せず、家以外の居場所は相変わらずありませんでした。
体調不良もあり大学を四年半かけて卒業しましたが、自信のなさから就活もうまくいきません。
私が生きる意味って何だろう。
こんな私は生きていていいのだろうか。
そんなことを日々考え、またも家で悶々とした日々を過ごします。
好きなことはありました。
幼少期から文章を書くことが好きだったので、不登校の期間も大学時代も、文章を書くことだけはやめませんでした。
しかし「私の下手な文章なんて何の役にも立たない」と思って、誰かに見せるため、何かに活かすために文章を書くことは、当時はなかったのです。
アニメも好きでした。
中学生の頃からハマり始め、気に入った作品の録画に全神経を集中させるほどでした。
アニメを見ている時間、数少ないアニオタ仲間と作品について語らう時間は、私が明るい気持ちでいられる貴重なひとときです。
ただしのめり込みすぎて「この世界が急にアニメの世界になればいいのに」などと常々思っていました。
「何か異能力が覚醒すれば、私だってできることはあるのに」という、どうしようもない願望を持って、代わり映えのしない日々を過ごしていました。
突如能力が覚醒した理由
異能力は覚醒しませんでしたが、能力は覚醒しました。
きっかけはヴァンフォーレ甲府のサポーターになったことです。
もともと父はヴァンフォーレ甲府のサポーターで、たびたび私をサッカー観戦に誘っていました。
最初は乗り気ではなかった私ですが、サッカーアニメ『イナズマイレブン』にハマったために興味本位で小瀬へ見に行ったところ、現実のサッカーも面白いと思うようになったのです(ヴァンフォーレ甲府にハマった経緯はこちらの記事に詳しく書いてあります)。
もともとオタク気質だったために、私はとことんヴァンフォーレ甲府にのめり込み、いつしかヴァンフォーレ甲府が生活の軸になっていました。
サポーター仲間も少しずつ増え、小瀬に行けば声をかけられて、人との会話も上手くできるようになりました。
私にとって大きかったのは、サポーター同士の関係にバックグラウンドは関係ないということです。
もともと人と関わることは嫌いではない私でしたが、自分の過去が過去なだけに「もし過去のことを聞かれて素直に答えたら、相手の態度が変わってしまいそう。嘘を言ったとしても、つじつまが合わなくなりそう」という恐怖心がありました。
しかし甲府サポーター同士ならヴァンフォーレ甲府という共通の話題があり、目標も「J1昇格」と共通しています。
話す内容も甲府関連のことばかりなので、パートナーの有無や過去や職歴や思想など、個人のバックグラウンドはほとんど話題に上がりません。
私がいじめを受けてきたこと、不登校になったこと、留年や転校を経験したことも、サポーター同士の付き合いには、言ってしまえば不要な情報です。
サポーター仲間に自分の過去を話したことはありますが、だからといって付き合い方が変わったわけでもなく、変に同情されることもありませんでした。
高校から続く体調不良やPTSDで、職に就けない期間も長かったですが、私が何の職に就いているかを根掘り葉掘り聞いてくる人もいなかったです。
そんな良い意味での無関心が私にとっては心地良く、同じクラブを応援していれば誰もが仲間という空気感も相まって、人と積極的に関わることも苦ではなくなりました。
そして一番ありがたかったことは、良いものは良いと認めてくれる雰囲気です。
文章もそうですし、手芸に関してもクラブを絡めて良いものを作れば「すごい!」と褒めて、認めてくれる人が必ずいます。
これで私は失った自己肯定感を少しずつ取り戻せました。
「リセルさんの書く文章が好きです!」と言ってくださる方までいて、その時は「生きてて良かったなあ」と思いました。
学生時代は何をしても「キモい」「自慢かよ」と鼻で笑われるような世界だったので、頑張れば頑張った分だけ認めてくれるこの世界は本当にありがたいです。
また創作のジャンルも幅広く、文章やイラスト、写真や動画など、クラブに絡めればどんなジャンルであっても「いいね」がもらえます。
手芸作品はクラブカラーにすれば「欲しいです」と言ってくれる人も現れます。
サッカーへの情熱で、自分でも思ってもみないような能力が覚醒することもあります。
私は今でこそ手芸をしていますが、甲府サポーターになるまで「自分は不器用だ」と思って、手芸に挑戦したことはほとんどありませんでした。
手芸に挑戦したきっかけは、甲府サポーターをアピールしたくなって、青と赤のアクセサリーを探したことです。
しかしなかなか青赤の組み合わせはなく、途方に暮れていたところ、母から「サッカー観戦に身に着けていくなら、ミサンガでも作ってみれば?」と言われたのです。
私はふと、高校時代に黙々と輪結びのミサンガを作っていたことを思い出しました。友達がおらず寂しい時期でしたが、ミサンガを編んでいる時だけは無心になれていたのです。
早速ミサンガの本を買って、模様編みのミサンガに挑戦してみました。
最初はご覧の有様です。
しかし諦めずに何度も挑戦していくうちに、次第にまっすぐ編めるようになりました。
大学時代に何も挑戦しなかった私がここまで粘り強くトライできたのは「甲府が好きだから」「小瀬に身に着けていきたいから」という強い思いがあったからでしょう。
さまざまな編み方や模様に挑戦し、そのうちにヴァンくんとフォーレちゃんのミサンガを編むほどにまで上達しました。
Twitterでミサンガの画像をツイートしたところ「欲しいです」「購入させてください」というお声をいただき、作品をお渡ししていくうちに自分に自信がついてきました。
その後、水引細工や組み紐にも挑戦し、今ではminneで作品を販売しています。
私は今まで内にこもって「私なんか」と言っていましたが、ヴァンフォーレ甲府がきっかけとなり、エネルギーを前向きかつ外向きに放出したことが良い結果につながりました。
各個人のバックグラウンドは関係なく、同じクラブを応援していれば誰もが仲間で、良いものはきちんと認めてくれる。
そういった雰囲気が、私を社交的で前向きな性格に変えてくれたのです。
「自分なんか何の才能もない」と思っている方へ
ここまで読んで「あなたには才能があったから良かったけど、私には何の才能もないからサポーターになっても無意味だ」と思った方もいるでしょう。
私も欲しいです、才能。
文章を書いて大きな賞をもらったことはありません。中学一年生の時に読書感想文コンクールで佳作をもらった程度です。
学生時代は同級生のみならず周りの人からも「何を言いたいのか以前に、何が書いてあるのかわからない」という評価をもらっていました。
才能があれば、学生時代にそんなことを言われることはまずないでしょう。
私には才能はありませんでしたが、サポーターの良い雰囲気によって自分の好きなことを大きく伸ばして能力を得ました。
もっと言えば、自分の好きなことは一番の才能です。
好きだからこそ続けられる。向上心を持って取り組める。伸ばしていける。
それはこれ以上ない強みです。
そしてその強みを最大限伸ばせる環境が、サポーターの世界にはあるのです。
いじめ被害に遭っている当事者は、自分の精神的な居場所を失っている状態です。
学校に居場所がないだけでなく「これをしていると安心する」「生きていて良かったと思える瞬間がある」という心の拠りどころもないのです。
私も昔は同じ状態でした。
しかし今はヴァンフォーレ甲府という精神的な居場所があります。
ヴァンフォーレ甲府がきっかけとなり、文章力も大きく伸ばせましたし、手芸という意外な能力も開花しました。
そして何よりヴァンフォーレ甲府を通じて、生きていて良かったと思えます。
今も現実世界はアニメのようにはなっていませんし、私に異能力は宿っていません。
しかし毎試合必死になって戦う選手たちを見て、応援して、ゴールや勝利の喜びに湧くだけでもこの世界は十分楽しいです。
ふと「明日の試合は絶対勝たなきゃ」「来週の遠征、楽しみだなあ」と思う時、私は「楽しいことがあるからまだまだ死ねないな」と思うのです。
生きる意味なんて壮大なものは見出せなくとも、生きる理由は見つけられます。
心に傷を負った人は「私の生きる意味は何なんだろう」と思い詰めがちですが、生きる理由さえあれば意味なんて要らないのです。
楽しい思いをしたい。理由もそれだけで十分なのです。
ボーダーレスな世界に気付いた時
私は学生時代、人をこう区別していました。
スクールカースト上位と下位。何事も上手くできる人と何をしても下手な人。恵まれている人と恵まれていない人。持っている人と持っていない人。
サッカー選手はスクールカースト上位で、何事も上手くこなせて、何もかも恵まれていて、ここぞという時は持っているように見えます。
私も以前はそう思っていました。
しかし数え切れないほどのサッカー選手を目の当たりにして、そうとも限らないと思うようになりました。
たしかにプロサッカー選手という時点で特別なものを持っているかもしれません。
ただし全員がいつもパーフェクトなのではなく、致命的なミスをする時や、絶好の決定機を決められない時もあります。
「サッカーはミスのスポーツ」と言われるように、時には目も当てられないような格好悪いミスをすることもあるのです。
ここぞという時に決める、いわば「持っている」選手でも、ずっと持っているかと言われればそうとも限りません。
若い頃はスーパーな選手でも年齢による衰えには抗えませんし、若手であっても契約満了や引退は珍しくないです。
負ければ見知らぬ人から罵声を浴びせられたり、ネット上で誹謗中傷されることもあります。
スポットライトが当たる職業ゆえに、良いところばかりがピックアップされがちですが、プロサッカー選手の現実は相当厳しいものです。
そう考えた時、人類にできる人とできない人という区切り線は引けないな、と思い改めました。
できる人は何事も全部できるわけではなかったのです。
それと同時に、私は自分と周りの人に自ら区切り線を引いていることにも気付きました。
高校生の時は特に「スクールカースト下位の私なんかに話しかけられたら迷惑だろう」と思って、自分から行動することをためらっていました。
しかし大人になり甲府サポーターになってから、そんな線は存在せず、自分で線を引かずに飛び込んでいけば、意外と周りは受け入れてくれると気付いたのです。
スクールカーストはたしかに存在します。
しかしその区切り線は、学校という狭い空間しか効力を持たない線で、世の中はできる人、できない人という区切りなど存在しないボーダーレスな世界です。
ボーダーレスな世界に気付いた時、私はようやく自分の存在を認めることができました。
私にもできることはある。私も生きていていいんだ。
心からそう思えたのです。
絶望から這い上がった私が伝えたいこと
いじめ問題は深刻です。
サッカー観戦でいじめ被害者が立ち直れるとは一概に言い切れません。
しかしサポーターというコミュニティーには、好きなことを認めて伸ばしてくれる力が間違いなくあります。
好きなことは才能であり武器です。
「何の役にも立たない」と思っていることも、思いもよらない良い方向に進むこともあります。
私がそもそもサポーターになったのは、サッカーアニメ『イナズマイレブン』にハマったことがきっかけです。
そこからサポーターになったことで気持ちが前向きになり、文章力を伸ばし、手芸の能力も開花しました。
好きなことは決して無駄にはならないのです。
私は幸いなことに、OWL magazine代表の中村慎太郎さんにお声がけいただき、OWL magazineのメンバーになり、ライターとしての一歩を踏み出すことができました。
自分の好きなことを突き詰め、発信し続けたことが功を奏したのかもしれません。
そして文章を書くことをやめなくて良かったな、好きなことを続けてきて良かったな、と心の底から思えました。
私はこれからもOWL magazineでサッカーに関する記事を書いていきます。
いじめの傷は完全に癒えなくても、過去に屈することなく堂々と生きる姿を見せ続けていきたいです。
その心のよりどころであり、原点なのがヴァンフォーレ甲府です。
私にはヴァンフォーレ甲府という居場所があります。
そしてサポーターは、共にクラブを応援してくれる仲間をいつでも待っています。
もしあなたに居場所がなかったら、一度スタジアムに来てみませんか?
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