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大腸癌と診断されるまで① 平凡な毎日がだんだんと異常になっていきました

平成30年4月頃父(当時67歳)は最近便秘なんだと、「なかなか出ないんだよね~」と冗談交じりに笑っていました。

家族も普段からあまり動かなかったり、食事の好き嫌いの激しい父でしたから、散歩をしたり水分を良くとって、食事に気を付けるように話していました。
かといって聞く耳を持つ人ではありませんでしたが。

しばらく様子を見たものの、一向に改善しません。

出せたとしてもコロコロしたうさぎのフンばかりなんだと。

本人は一生懸命に牛乳やらヨーグルトやら、ヤ〇ルト(やたら大好き)やら飲んだり食べたり、いつもより歩いてみたり…

そうしているうちに、私が市販の下剤を購入して試してみることにしました。

下剤を飲んでみたら、少しずつですが出るようになたものの、ほんの一時的なものでした。

トイレに行く回数が異常に増え、間隔も短くなりました。

ひどい時は5分くらいの間隔で。
「あれ、さっき行ったのにまた?」といった感じで。

まったく出ないわけではなく、逆にトイレまで持たず汚してしまうこともあり、紙パンツを履きだす相談をして…。

恰好が悪いからとなかなか履かなかったのですが、何度も汚すようになったのでしょう、そのうちにおむつを履くようになり、汚したときはひっそりと気づかれないように交換していました。

すっきり出ないものですから食べる量も減ります、食べてもすぐにお腹がいっぱいになるか、食べてお腹が動き出してトイレに行く・・・という状況でした。

便を出すために水分をとること、食べられないのを補うためという意識が働いたのか、異常な量のスポーツ飲料や栄養ドリンクを飲みまくっていました。

その頃の買い物は、大量のおむつに大量の水分、母は足が悪く車に乗れませんでしたから、私が休みのたびに一緒に買いにいっていました。

スポーツドリンクなら1.5本のものを3,4本、栄養ドリンクは1ケースずつ、おむつは二袋、それを何度も。

10本1箱のものを5ケースまとめて安く売ってた時は思わず買ってしまったけれど、それは飲み切ることがなかったな・・・。

どう考えても異常な状態。

絶対に何かある。看護師じゃなくったって普通に考えたら医者に行くべき状況なのに。
父は行きませんでした。

父はかなり変わった性格でした。
本人曰く「医者よりも自分のことは自分がわかっている」と平然といいます。
もちろん父は医療従事者ではありません。

ただね、父はわかっていたんだと思います。
自分が何かよくない病気で、それを知るのが怖かった。

一生懸命、自分は強いとか長生きするとか、誰よりも優れていて凡人とは違うとか…

そうやって自分をすごくて位の高い人だって思うようにしてきたけど、現実はそうじゃない。心の弱い人だったんだと思います。

そうして何度も医者に行くよう勧めても、頑なに拒み続けました。
ときには苦しみを発散するために私たちを怒鳴り散らすこともありました。

段々とお腹が痛むようになり、ソファで横になる時間が増えてきて。
でもトイレには何回も何回も昼夜を問わずいくのです。
どんどん疲弊していきました。

異常な毎日が続きながら、季節が夏に変わろうとしていました。

泣きわめいても、殴って気絶させてでも病院に連れいていけばよかった。

記事を書いていて思うんです。

でも父は私たちのいうことなんて聞く人じゃなかった。
自分以外信じていない人だった。

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