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祖母のマカロニサラダはわたしを救う 【おもひで、もぐもぐ】


前回の 肉じゃが大研究 の投稿から、5ヶ月近くも経ってしまいました。

例年より、時間があった2020年。「いっぱい書こう!」という目標があったにも関わらず、言うは易く行うは難しで、あっという間の2021年。今年は頭の中でぐるぐるしていることをコツコツ活字に変えていきたいと思います(決意!)。では、さっそく。

みなさん、「思い出の味」ってありますか?

あの頃、いつも食べていたあの味。
大切なだれかが作ってくれた料理の味。
たった一度しか食べていないのに、なぜか鮮烈に覚えている旅先の味。

そんな「思い出の味」の話を、ずっとずっと集めたいと思っていました。どこかの、だれかの、大切な思い出を、なんでもない味を、日本全国に散らばっている名もなきレシピを。

ならば、まず自分のことから書き起こしてみようと思うのです。わたしの思い出の味だって、たくさんたくさんあるのだから。いつか、みなさんの話が聞ける日を楽しみにしながら、まずはわたしの、おもひで、もぐもぐ。

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「なんでだろう、30越えた頃から…イライラする!」

笑顔でズバッと言い放ついとうあさこさん、もとい浅倉の南ちゃんの気持ちが最近とてもよくわかるようになった。もちろん若かれし頃もイライラすることはあったけれど、「きっと、できない自分がわるいのだ。わたしが全てわるいのだ」と自分自身にそのイライラをぶつけ、なかなか外へ放出することができなかった。

しかし、ここ最近のわたしはちがう。どうやら「開き直り」の境地に達しているようだ。1億2571万人(2020年12月現在)が暮らすこの国で生きているのだから、しょうがないのだ。私利私欲、そしてその1億2571万人の感情うごめくこの国で生きているのだから、多少なりともイライラするのは自然、ナチュラル、ありのまま!

わたしはイライラすると料理をする。

おいしいものを食べれば、機嫌がなおるからという理由もあるけれど、ひたすら手を動かしていると、心がすーっとおさまるような気もするからである。最近は決まって作る、とっておきのレシピがある。それを作りながら駆け巡る思い出は、わたしの心をまるでこたつのようにあったか〜く暖める。

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昨年の春、緊急事態宣言が発令されているとき、《料理リレー》というバトンが回ってきた。料理研究家の脇雅世先生と、娘さんでありパティシエ・料理家の加藤巴里さんが発起人となってスタートしたこの料理リレー。バトンが回ってきたら、うちにある手軽な材料で簡単に作れる一品を紹介することになっていた。わたしは料理家でもなければ、料理人でもない。どうしようかな〜とウンウン悩んだ末に、母方の祖母がよく作ってくれた思い出の味を紹介することにした。

その名も「ばっちゃのマカロニサラダ」

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“ばっちゃ”とは、おばあちゃんのこと。わたしたちは祖母のことを“ばっちゃ”と呼んでいた。もちろん、親しみと最大級の愛を込めて。

「ばっちゃのマカロニサラダ」
最大の特徴は、3つも練りものが入っていることだ。

ハム、ちくわ、かにかま。

どれかひとつで十分だろうに3つ入っているのが、我がばっちゃクオリティ。祖母の心意気を感じる。あとは、手でちぎったレタス、やわらかめにゆでたマカロニ。味付けはいたってシンプル。でも、手でよーく和えることで、練りものから、ものすごくいい味が出る。ふだんの日はもちろん、盆と正月にもこのマカロニサラダは食卓に上がり、いつも台所のテーブルにちょこんと座って、これを作っていたのを思い出す。

「おいしくなーれ、おいしくなーれ」
念じながら、手でぬちゃぬちゃと混ぜていると、祖母のことを思い出す。

一番遠い思い出といえば、わたしが4歳か、5歳くらいのときのこと。わたしの母は、何か用事があってどこかへ出かけたのだろうか、当時となり町に住んでいた祖母はわたしのお守りをしに我が家へやってきた。リカちゃん人形用の着物をチクチクと縫い、お手玉まで作ってくれた。中には小豆を入れた。その手さばきが、子どもながらにめちゃくちゃカッコよくて、こたつに入っておしゃべりしながら、祖母が裁縫をするところを眺めていた情景をなぜだか今でも鮮明に覚えている。10キロはあっただろう道のりを自転車でやってきた祖母は、当時何歳だったのだろう。

祖母の作ったリカちゃんの着物は、まだ実家にあって、今は帰省しためいっこたちが遊んでいる。もうだいぶボロボロだけれど、とても上手によくできていて、本当にすごいなあと思う。

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料理をする姿も印象に残っている。

祖父も台所に立つタイプなのだが(この話はまた別の回で!)、祖父が川で釣ってきたヤマメ=じゃっこを丸ごと唐揚げにするのは、祖母の担当だったように思う。内臓を取っただけのヤマメを頭ごとバリバリと食べられるほどからりと、こんがりと揚げる。これがとてつもなくおいしくて、特に高校生くらいになってからは大好物だったし、大人になってからは「こんなうまいものを普通に食べていいものか?」と思うほどだった。

春、祖母の作るよもぎだんごはとてもおいしかったし、
冬、裏庭の木になる渋柿を焼酎抜いたもの、そして干し柿も絶品だった。

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あとは干し餅。干し餅の話をせずには終われない。
なぜなら、子ども時代に好きだったおやつベスト3に入るくらい好きだからだ。 干し餅はその名の通り、干したお餅。 お餅に水分を含ませてから寒い日に凍らせ、 さらに干して乾燥させた、青森ではおなじみの保存食。 これを油で揚げたのが、本当においしいんだ。 思いきり油を吸っているので、 なかなかの熱量(あえてこう言おう)だと思うのだが。

※写真を探したのだが、どうしても見つからず。 きっとどこかにあるはずなので見つけたらアップしたい〜 見せたい〜 あの素朴すぎて、んますぎる食べものを!!!!

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鏡餅も祖母の手作りだった。どれもこれも作り方を習っておけばよかった、一緒にやっておけばよかったと、ちょっぴり、いや、だいぶ後悔している。

晩年の祖母といえば、こたつに入っている姿がすごくかわいかった。いつも何かしら帽子やかぶりものをしていて、定位置にちょこんと座っていた。こたつの上には、例の「干し餅を揚げたやつ」や南部せんべいが入ったお菓子入れがのっていて、遊びに行くと「なんでもたべなさい」とたくさん食べさせてくれた。

祖母の家(特に納戸!)はおいしいものの宝庫だった。大きな大きな冷蔵庫があって、まるで秘密基地みたいな雰囲気があって。わたしたち兄妹は、小さい頃からそこを漁るのが好きだったんだ。

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こんな風に思い出をめぐらしていると、イライラはどこかへ行き、どんどん心が落ち着いていく。たっぷり作って、もぐもぐ食べたら、とたんに元気になる。わたしのイライラ解消法、ばっちゃのマカロニサラダづくり。

レシピは 青森郷土料理の居酒屋をやっている兄 にも確認した。兄はわたしよりも先に祖母のレシピを研究し、実際にお店に出している。この「ばっちゃのマカロニサラダ」も、開店当時からの人気メニューだ。

詳しいレシピは Instagram に書いてあるので、興味がある人はぜひ!たくさんのひとがフォルダに入れてくれていて、実際に気に入って何度も何度も作ってくれているひともいて、本当にうれしく思っている。この名もなきレシピを家族以外で受け継いでくれるひとがいること、それはとてつもなく素敵なことだ。

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祖母は3年前に亡くなった。

今日(日付は変わってしまったけれど)は、そんなばっちゃの誕生日だった。生きていたら、今日で92歳になるらしい。

つい先日も、仕事で大ポカをしたわたしは、ばっちゃのマカロニサラダを作った。イライラしながらたっぷり作って、もりもり食べた。姿、形はなくても、ばっちゃの味はちゃんとここにある。そしてわたしは、今も、そしてこの先もずっとずっと、この味と思い出に助けられて生きていくのだと思う。

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