うちのこサイバーパンクSS17-「マヤーレ・インフリアのぼうけん」
閉所の闇に、ラップトップ端末が二つ。それぞれの光が、男と少女の顔を照らしている。
男の名は九十九堂冷泉分胤。一般に九十九堂と呼ばれているその男は、後頭部から伸びたケーブルを端末に繋ぎ、腕組みしながら少女を見守っている。
少女はマヤーレ・インフリアという。彼女は凄まじいスピードで端末のキーボードを打ち、九十九堂の用意したセキュリティ防壁を破ろうとしている。薄群青の繊細な髪は彼女の表情の変化とともに揺れ、幻惑的に輝いていた。
「早いな、もう4つ目が割れたぞ」
この日用意した課題用防壁は5つ。調査、武器化、配送。彼女はみるみるうちにサイバーキルチェーンを組み上げ、防壁を無力化していく。
「……」
対するマヤーレは無言。生体端子は持たないが、ほとんどニューロンの速度で命令をタイプし、マシンに淀みなく実行させる。
「……これ、一ヶ月後には俺より上手くなってるんじゃないか?」
九十九堂はそうひとりごちる。マヤーレは極度集中下にあるため、聞く者は居ない。
『ちょっとコーヒー淹れてくるわ』
彼はそう連絡用チャットに残し、席を立った。
◆◆
マヤーレ・インフリアには、オリジナルであるらんですら気づいていない才能があった。
そう、ハッキングである。
九十九堂がそれを見出し、開花させた。
しかし、問題が一つあった。
その才能の大きさが、当人を含む誰にも分からなかったことである。
……0100101101101010……
「……?」
気づけば、真っ白な部屋に居た。目の前には、ゴバンメと書かれたドア。
私は九十九堂の訓練用防壁に攻撃をしていた、はずだ。
後ろを振り返ると、焼け焦げたドアが4つある。
「えい」
なんとなく、分かった。正面のドアにタッチ。いつものように情報を流し込むと、0と1に分解されて消える。
ドアの先には、飛行機の発着場が見える。
真夜中だったので、明かりをつけた。今や私の目にはペリカンの形をしたパケットが、いくつも降り立って飛び立つのが見えている。
私は、その中の一つに着いていくことにした。
「ペリカンさん、一緒に行っていい?」
そう問うと、私に天使の翼が生えた。バサバサと音を立て、胃の中にデータを詰め込んだペリカンと一緒に、論理の空を飛ぶ。
抵抗はない。重さもない。
ARPのコンパスを何度も乗り換え、異邦の地へ。
不可思議な空の旅を、彼女は大いに楽しんだ。
◆◆
そこはビル街。真夏の太陽光が反射に反射を重ね、地上は地獄のような熱さだ。
その熱さから逃れるように、ビル内部には冷気が立ち込めている。ペリカンとマヤーレはその一室に用があった。
その部屋は、南からの太陽光をふんだんに取り入れた、明るいオフィスだった。顔のない、スーツを着た大勢のサラリーマンが、書類を睨んで唸っている。
「おとどけものでーす!」
炎で出来た壁を迂回し、彼女は足を踏み入れる。
声に反応したのは、例外的に表情が分かる人。
年季の入ったベージュのジャケットを開けた、パンツスタイルの女性だ。威風すらあるファッションとは裏腹に、振る舞いは若々しい。
マヤーレは反射的にwhoisを放つ。結果は、桜之宮なこ。ともだちだ。
「桜之宮さんだ!」
そう声をかけ、いつものように飛びつく。
「うわっ! ……あれ、マヤーレちゃん? ……でも姿は見えないな……」
桜之宮はキョロキョロとあたりを見渡す。恐らく、物理の肉体でも同じようにやっているのだろう。
「お荷物おいてくね!」
ペリカンが吐き出したデータを整理し、プレゼントボックスに加工して彼女の机に置く。
「あっ、ありがとう」
混乱しながら、彼女は受け取る。
「なんだろう、頭の中でマヤーレちゃんと会話してるような……よくわかんないな……」
「じゃあ私は次のところに行くね! またよろしく!」
マヤーレは敬礼し、返答を聞かず新たな目的地をgrepする。
「お、あそこに男の人がいる。追いかけちゃお」
そう言った瞬間、彼女は両足をロケットに変えて飛び立った。
置いていかれたペリカンは、九十九堂のところに戻ることを思い出し、翼をはためかせ消えていった。
◆◆
「んふー、私から逃げ切れるかなー?」
電子のトンネルを通り、男を追いかける。
私に見られていると気づいた瞬間、その男はヒイラギの翼を生やして逃げようとした。
なので、気が済むまで追いかけることにした。
十のトンネルを過ぎても、彼は諦めなかった。
二十のトンネルを過ぎたあたりで追跡に余裕ができたので、whoisを試した。結果はゲイリー・スー。偽名だが、少なくとも本名のように働いている。
二十五のトンネルを通過した頃には、彼はさじを投げていた。最終的に頭を抱えながらこっちにこいよと手招きし、私を自分のニューロンに誘った。
その部屋は薄暗く、赤黒い絨毯が敷かれていた。生命を感じさせない石の調度がいくつか、それと色気のある女性のポスターが貼られている。
「……ポスターは見ないでくれ。プライドにかかわる」
指を鳴らすと、ポスターが巻かれていく。ポスターの下には、何枚か写真があった。どこかで見た太った男性の写真もあった気もするが、うまく思い出せなかった。
男を改めて観察する。鼻から上はバイザーで覆われており、東洋の新興宗教を思わせるファッションをしている。
「それで、一体なんで俺を追いかけてたんだよ?」
彼はどこからともなく取り出した安楽椅子に座り、茶を啜る。
「見つけたから! 逃げたから!」
本心を述べる。真偽は、論理署名をもって検証される。
「ハエトリグモを見つけた子猫かお前は」
彼はまた頭を抱える。whoisを放ってきたので、彼女はあえて受ける。
「マヤーレ・インフリア……? マヤーレ……!?」
私の顔を見て、whoisコマンドの結果をもう一度見る。
「ぶっははははは! マジで!? 嘘でしょ!? 嘘だと言ってくれ……」
笑いながら、諦めたように泣き出す。マヤーレは当惑したが、部屋から彼の情報を集めて合点がいった。
こいつ、初代らん豚の関係者だ。
「あー、クソ。この世全部クソ。ソードランページさんのためにそっちの甘そうなところを調査したら逆探知されるとかさ、本当ハッカー失格だろ……」
出会ったときに桜之宮さんの近くに居たのは、つまるところ当代のらんについて調査していたためであった。
「んで? この情報抜いてどうするよ」
彼は問う。特に答えを持ち合わせていなかったので、選択肢を促す。
「俺のニューロンを焼くとかさ、この情報を上に伝えるとかできるわけよ。やってほしくないけどな」
彼はマヤーレのぶんの椅子と机も出し、「自信作だ」と補足しながらビスケットを置いた。
「うーん……。らんおにいちゃんを誘って、気づかれないように初代さんの居るカレー屋に行くくらい?」
ビスケットをかじる。とてもサクサクしている。
「……平和だな、発想が」
呆れたように言葉を吐く。
「失礼ね!」
ぷい、とそっぽを向く。割と真面目に考えたのだ。
「まあいい。俺としても、君から話を聞けたのは有意義だった。またどこかに飛ぶんだろ?」
「うん、ユアンスウさんのところに遊びに行こっかなって」
椅子と机を返却しながら、彼女は事も無げに言う。
「勇気あるな、お前」
彼は、ユアンスウさんのニューロンにもハックしようとしたらしい。……防壁の出来が良すぎてひどい目にあった、とのとこだった。
「じゃあ、また! 今度はチームに遊びに来てね!」
「上手くやれよ」
彼女はハイタッチし、光となって飛び去った。
◆◆
コーヒーを淹れ、講義に戻ろうとした九十九堂は、奇妙なものを見た。
用意した5つの課題用防壁は完全に破壊され、それでもよだれを垂らしながらタイピングを続けるマヤーレの姿だ。
「……あれ、これマズくね?」
画面のログを確認。滝のようなスピードで流れる文字列から、辛うじてユアンスウをハックせんとするコマンドを視認する。
「“潜ってる”な、こりゃ」
彼は不安を覚えながら、生体端子を端末に突き刺す……!
……0110010111101011……
飛翔、探索、飛翔。
マヤーレ・インフリアは、間違いなく成長の壁を超えた。
少なくとも、九十九堂と同じラインに居る。そう認識してからは早かった。
ユアンスウの元に向かう彼女を視認するや否や、大量のkickミサイルを展開する。
一発でも当たれば、現実に戻ってこれる。祈りにも似た心持ちで、撃ち尽くす。
マヤーレはミサイルの送信者を確認して驚いたものの、これすらも「課題」の一部と認識したのか、その全てをスレスレで避けていく。
通り過ぎたミサイルは進行方向で爆風の花を咲かせ、即席のバリアを形成するが、彼女は「ニィ」と笑い、右腕をブレードに変化させ、意に介さず爆風を切り払う。
九十九堂は、マヤーレの速度が落ちたことを確認し、自身の認識すら置き去りにする疾さで掴みにかかる。
……その掴みが空を切ったことで、不安は危機へと変わる。
「……スキップ博士へ緊急連絡。ユアンスウ肆式の攻勢防壁をマヤーレが破ろうとしている。マヤーレが危ない」
……0110101010010011……
sendし、現実に戻る。ケーブルを抜き、ユアンスウの元に駆ける。
肉体の重さが、もどかしい。
ラボ049には事態を理解したスキップ博士と、ヘッドパーツに様々なケーブルを繋がれたユアンスウ肆式が待機していた。
「……すごいスピードですね。防壁を見るやいなや構造を理解し、寸分の狂いもないタイミングで突っ込んできています。三層を突破されました」
ユアンスウが実況する。彼は自身に対してスキップ博士が仕込んだ九層のトラップを理解している。
当のスキップ博士は熟考し、口を開く。
「トラップに掛かればフラットライン(脳死)、最奥の情報を読めば発狂死、か。であれば……だいぶ奥だが、八層の牢獄区域に誘い込み、そこで部屋ごとkickするのが一番影響を小さく押さえられるだろう」
「分かった。物理肉体のある部屋にはらんを向かわせている。途中までのトラップ解除はできるか?」
「ああ、それでしたら」ユアンスウが答える。
「誰かが侵入しようとして残してくれたバックドアを保存しておいたので、できると思います」
◆◆
六層、大迷宮を思わせる電脳空間。
「CLATT……」
目の前にはカタカタを音を鳴らす骸骨戦士……の形をしたbot。あたりにはすでに倒した野獣型botや、ローグ型botがうずくまっている。
骸骨戦士は大剣を地面に突き刺し、それを軸として致命的な蹴りを放つ。
マヤーレはしゃがんで回避。大剣にrmコマンドを放って消去。支えを失った骸骨戦士は蹴りの勢いを殺せず、そのままどこかに飛び去っていく。
さしものマヤーレもこの大迷宮に手を焼いていた。コードの量が異常と言ってもよいほど多く、理解に時間を要している。
解析中もbotは波状攻撃を仕掛けてきており、それが更に進捗の低下を招く悪循環に陥っていた。
マヤーレは進む。解析が完了した部分を足がかりに、着実に部屋を攻略していく。
無傷とは行かない。何発か攻撃が掠め、被弾箇所は0と1の煙を上げている。
疲労しながら隠しドアを発見し、開く。
大広間だ。
目の前には、現実世界で言えば十メートルはあろうかと思われる体躯のデーモン。
気付かれないよう背後を通ろうとした彼女は、トラップとして仕掛けられていた警報装置につまずき、派手に転ぶ。
デーモンがけたたましい音に気づき、こちらを睨む。
その瞬間、解析が一気に進行する。
彼女は理解し、本能的に恐れた。
――これは、勝てない。
「ひっ……!」
人間の顔面を継ぎ接ぎしたような醜悪な顔が、嗤う。
笑いながら、右手にkillの火球を生成し、こちらに投げ――
――られはしなかった。
次の瞬間、デーモンも迷宮も視界から消え失せる。
代わりに視界には満天の星空。足元にはゆっくりと流れる天の川があった。
「……?」
恐る恐る立ち上がる。
どうにか助かったことを理解し、傷ついた体をいたわりながら、天の川の流れる方へ歩いていく。
気づけば八層。
釈然としないまま、導かれるようにここまで来てしまった。
天の川の終端は、月を模したベッドのある黄色い部屋。
あるいは子供の落書きのような、雑なようで安心感を覚える部屋。
部屋に足を踏み入れると、背後の天の川は消え失せる。
段々と薄暗くなっていき、ほんのりと光るベッドを残して全ての明かりが失われていく。
武装は解除され、いつしか衣服もいつも眠るときに着るようなパジャマに変化している。
どうやら、ここで眠れということらしい。
激戦で疲労していた彼女は、警戒することなくむにゃむにゃとsleepした……。
◆◆
「……はっ!」
蹴られるような脳への衝撃とともに、マヤーレは我に返る。
周囲を見渡すと、そこは九十九堂と一緒にハッキングの練習をしていた部屋だった。
いつの間にか、明かりが付いている。
そばにはらんが居て、不安そうな顔をしている。
「あれ? ベッドは? パジャマは?」
「現実におかえり、マヤーレちゃん」
「あっ、らんおにいちゃんだ!」
いつものように抱きつこうとするが、かわされる。
「マヤーレちゃん、九十九堂さんがすっごく心配してたよ?」
「どういうこと?」
「なんかよくわかんないけど『ダイビング中にkillされたら肉体もヤバい』って言ってた」
「ダイビング……」
マヤーレは反芻する。
インターネットは、ときに海と形容される。
海は生命の源であり……同時に、全てを流し去る暴力もはらむ。
……火球を携えたデーモンが、脳裏によぎる。
とはいえ、まあ――
「こわいのと楽しいのとがどっちもあった!」
「んんん?」
らんは意図をつかめない。
「九十九堂さんにお説教されてくる! それからもう一回横で見てもらって潜る!」
軽い足取りで部屋を出て、ダッシュする。
「あっ! ちょっ――」
声を置き去りに、マヤーレ・インフリアは今日も世界を振り回すのだった。
〈完〉
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