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「家族かどうか」は、どうでもよいと思った-90年代半ば、東中野で行われていた共同保育の物語

「怖かったのかもしれないですね、子どもに対する自分の影響力が大きくなりすぎることが」

まだ今ほど「家族の多様性」が語られていなかった90年代半ば、1人のシングルマザーが東中野で行なっていた共同保育の試み、「沈没家族」をご存知でしょうか? 

当時23歳だった加納穂子(ほこ)さんが、「共同保育人募集」のチラシを配るところから始まった、母子3組と多数の若者が共同生活を送りながら子育てを行う試み、「沈没家族」。

2017年には「沈没家族」で育てられた当事者である加納土さん(穂子さんのお子さん)が監督をつとめたドキュメンタリー映画が公開されるなど、家族のあり方が問われている現代において、改めて注目が集まっています。

なぜ共同保育を始めようと思ったのか? 「家族」とはいったい何なのか? 「沈没家族」発起人である加納穂子さんに、Living in Peace共同代表の中里晋三がお話をうかがいました。

「閉じた環境」は家族を追い詰めてしまう

中里 今日は貴重な機会をありがとうございます。僕たちLiving in Peace は「すべての子どもに、チャンスを」を合言葉に、主に児童養護施設など、社会的養護下にある子ども達への支援を行なっているNPOです。

近年はそこから派生し、施設にいる子どもたちだけではなく、「子ども食堂」など地域支援を含めた取り組みも行なっています。これは子どもだけでなく、「家族」まで含めた包括的な支援の重要性を強く感じているからです。

世の中には「しんどい」状況にある親が少なくありません。そのしんどさの結果として、暴力など、子どもと適切な関わりができなくなってしまう親御さんが後を絶たない。

穂子さんが行われていた共同保育の取り組みは、こういった「しんどい」親に対してできることは何かを考えるにあたり非常に参考になるのではないかと思い、今回お声がけさせていただきました。

そもそも、「沈没家族」の取り組みは、どのようなきっかけでスタートしたのでしょうか?

加納 単純に、1人で子育てをするのは無理だと思ったんですよ。「あ、コレは煮詰まるぞ」って、すぐに気づいた。

最初はパートナーもいたんですけど、それでもやっぱり無理だと思ってましたね。閉じた環境で子育てをするのは苦しいだろうなと思ったんです。

中里 「閉じた環境」というのは、どういう意味でしょうか?

加納 すべてのパーツが揃った状態、父と母と子がいて、「コレが家族です」っていう状況ですね。家族のパーツが揃ってしまうと、自分も無意識にパーツとしての役割を果たそうとしてしまう。内へ内へと向かう力が働いてしまうんですよ。

たとえば何か「しんどい」ことが起こったり、トラブルが生じた時に、すべてを「家庭内」で解決しようと考えてしまうことがある。「お母さんなんだから、しっかりしなきゃ」みたいな感じですね。私も例外じゃないだろうなという危機感が、家族だけに閉じずに「共同保育」をしようと思い立った理由です。

親としての私を、相対化してほしい

中里 穂子さんのそうした家族観は、ご自身の育った環境なども影響しているのでしょうか?

加納 その影響もありますね。私はいわゆる核家族で育ったのですが、親が変人というか、ちょっと変わった人だったんですよ。どちらかといえば、マイノリティー側の人間だった。だから子どもの頃は、「うちの親って、他の親とは違うのかな……?」と不安に思ってしまうことが多かったんです。

もちろん、親がやりたいことをやるのは、親の自由だと思うんですよ。でも親が変なのは別にいいとして、後から振り返ってみると、「親以外にどんな大人がいるのか」ということを子どもの頃に知っておきたかったなって。

だから、いざ自分が子育てをすることになった時には、私以外の大人と触れ合うことのできる環境下で育てることで、子どもが私を客観視できるようにしたいなと思ったんです。

中里 絶対的な存在としての親ではなく、相対的なあり方をしたかったということですね。

加納 そうです。なんというか、子どもに対する自分の影響力が大きくなりすぎることが怖かったというのもありますね。

もちろん、子育てに対してネガティヴな感情しかなかったワケではありませんよ。「子どもとかかわるのって面白いな」とも思っていた。

でも、だからなおさら「こんなに楽しいのに、1人でやるのはもったいない!」と思いましたね。みんなでやったら、もっと楽しいだろうなって(笑)。でも一番の理由はやっぱり、しんどかったからですね。

沈没してしまえ!

中里 そうした「しんどい」状況を乗り越えるため、穂子さんは「沈没家族」というコミュニティをゼロから立ち上げられました。新しい取り組みを行うにあたり、不安などはなかったのでしょうか?

加納 むしろ、先が見えなくてワクワクしましたね(笑)。それに、立ち上げを支えてくれる女友達もいましたしね。

「共同保育をやってみたいんだよね」と相談したら、「興味持ちそうな友達を紹介できるよ」「人を集めるなら、東中野あたりが良いんじゃない?」みたいにアドバイスをしてくれた。彼女を起点にして人が集まってきたんです。

中里 友人の紹介ということですか?

加納 いえ、基本的にはチラシ配りです。当時、高円寺に男性だけでシェアハウスをしている人たちがいたんですよ。彼女がそこを紹介してくれたので、そこのイベントでチラシを配ったりしているうちに人が集まってきたんです。

最初は私含めた母子2組と大人3人からスタートして、色々な人が出入りするうちに人数がどんどん増えていきました。

中里 なるほど。そうして、「沈没家族」がスタートしました。「沈没家族」というネーミングはとてもインパクトがあるように感じます。なぜこのような名前をつけられたのでしょうか?

加納 この取り組みに名前をつけようと思ったのは、私たちの活動を対外的に発信するための広報誌を作ろうと考えたことがきっかけでした。「◯◯通信」みたいなね。でも全然ネーミングが決まらなかった。

どうしようかと話し合っていた時に、たまたまメンバーの1人が駅前で配られていたチラシを持ってやってきたんですよ。これ見てみろよって。

そのチラシには「伝統的な家族のあり方が崩壊すると、日本が沈没する」みたいなことが書いてあった。政治系団体のチラシだったんでしょうね。それを読んで、「だったら沈没してしまえ!」と盛り上がって(笑)。

その場のノリで決めましたね。でも私の記憶の中ではそうなんですけど、その場にいた他のメンバーに聞くと少しずつ記憶が違っているので、これが本当に正しいのかはわかりません(笑)。

中里 「諸説あり」ってことにしておきましょう(笑)。

「人と人が共に生きていける場」があるということ

中里 実際に共同保育をはじめてみて、いかがでしたか? 当初想定していた以上に大変なことも多かったのではないかと思います。

加納 もちろん大変なこともたくさんありましたが、それ以上にすごく助けられたなと思います。というか、沈没家族を離れてから、いかに沈没家族に助けられていたかを自覚したというのが正しいですね。

毎日そこで暮らしているときは、当たり前のこととして生活していたので気がつけなかったことが沢山あります。

中里 今振り返ると、沈没家族は理想の家族だったということでしょうか?

加納 いえ、「沈没家族」なんて名乗ってはいましたが、沈没家族を「家族」だと思ったことはなかったですね。それは今も当時も変わりません。

なんていうのかな。沈没家族は「家族」だったかもしれないし、「家族」じゃなかったかもしれない。でも、どっちでもいいじゃないかって思っているんですよ。

「家族」という言葉自体がもつ力って、すごく大きい。最初にも述べたとおり、「家族」という概念に縛られてしまうと、本当に「しんどい」時に助けを求めることが出来なくなってしまうことがある。

「家族」という概念に縛られすぎる必要はない、「家族」という看板を「沈没」させてもよいじゃないか。

一番大切なことは、「家族かどうか」よりも、「人と人が共に生きていける場がある」ということなのではないでしょうか。

中里 なるほど。「家族」かどうかよりも、一緒に暮らし、支え合っていた事実の方が穂子さんにとっては重要だったということですね。

加納 そうですね。私に限らず、沈没家族で共に生活していた仲間たちも同じように感じていたようです。

たとえば当時一緒に暮らしていたメンバーの中には現在、「しんどい」状況にある親子と一緒に暮らす取り組みを行なっている人がいます。またその他にも、「共に住む」ことを通じた子育ての取り組みが全国で多数行われていることを、『沈没家族 劇場版』の公開をきっかけに知りました。

家族の支援って、家族の「外」から一時的に関わるだけでは難しい部分がありますよね。一方で、家族の「中」に入って一緒に暮らしている場合には、「助けよう」という意識の有無にかかわらず、自然と支え合いの関わりが発生します

もし朝起きれないお母さんがいたら、自然とその子どもに「お母さんが起きるまで、一緒に買い物にでも行こっか」と声をかけている。家族を支援しようとする場合、そういう関係が生まれる場を持つことが重要になるのではないでしょうか。

中里 児童養護施設についても同じようなことがいえると思いました。施設で子どものケアを行なっている職員さんのお話を聞いていると、日々一緒に暮らすことではじめて見えてくる、出来るようになることがあるのだということを感じることが少なくありません。

共に暮らすことによって発生する、「支援する/支援される」「助ける/助けられる」を超えた場が存在する。支援を行うにあたって、こうした視点や場を持つことの重要性を改めて実感することができました。今日は本当にありがとうございました。

撮影 執筆:大沼楽(Living in Peace)

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