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空が遠ざかるのは、きっと鳥のはばたきに余白を残して

もうそろそろ夜明けは、少しまるくなった温かい風が運んでくる。

何年も先の日記のページを暗示するような明るさの雲の層は、数々の鳥の目覚めを飲み込んでいる。遠くに頬の高揚に似た、桃色がしみてくる

聞き慣れた音階に似た声の鳥に集中すると、聞き取れる音域が広がってきて音楽が組み立てられていく。

小さな鳥 大きな鳥、それを何セットか繰り返したのを合図にセミがだんだんと鳴き重ねていく。風が少し吹く、シャッターが開く、人と、車が通り、配達の音、それらが重なっていくことに一畳ほどのベランダからそっと様子を見てみる。耳は生暖かい空気を感じている。

朝。

まぎれもない朝に包まれた瞬間に周りの音が胸の中に溶けてしみこんでいった。桃を口に含んだ時に似てそしてとても哀しい。ページをめくる直前みたいな気持ちになった。

これから、どう生きるかじゃない、生きることをどうするかを、密やかに縫い合わせていかなければならない気がした。

時を繕うこと。ひと針ずつ自分の境目と世界との傷、まだ新しい部分とを合わせて出来上がった余白へ、哀しみをそっと包むために作業をするのだと思い願っている。


層が厚みを帯びて音と身体が重たくなったら、目の奥に映るのは過去と未来との間。何にもないところ。それが瞬間で永遠だった頃があるはずで、時間が固いものにされない頃へと一瞬だけ戻れた気がする。

うずくまっている私の体は、この空気の外のものだ。大きなものと、栄養をもらう管を切って。鳥は飛んでいくから空は広いとわかるんだ。生きることは、飛ぶことに、飛ぶことに似ていてそれは、とても大きくて哀しい。朝が来ることには嘘がつけないから、本当には隠されたことなどないのだと思う。本当に隠されたものは私たちがずっとずっと前に、そっと隠れて見ていた場所のことだと思う。そこにたどり着けるのは虫や動物の目だけが知っている。そう、なんて、弱いんだろう人は。なんて弱いんだろう。こんな、自分のたった数センチの大気のことさえ知ることができない。

遠ざかって昇っていく夜明けの光を、果実を含むように口の中を湿らせたい。飛ぶものの影が、走っていく。おいていかないでほしい。

余白が、辺りを霞むように包んだ。

また、秋がやってくる。

電線から小さな鳥がはばたくより遅くやってくる風は、懐かしい人と手をつなぐような温度だった。


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