無礼な人への大人な対応で徳を積んでいる
世の中には、なんと無礼な人が多いことか。
無神経な発言や頼んでもいないアドバイスで傷ついた経験がある人は少なくないでしょう。
そして、この無礼な人というのは往々にして無自覚なのである。
「あなたの為を思って」「良かれと思って」無礼な発言を連発するのだ。
困った、これは困る。
悪意を持って、嫌な気持ちになる言葉を投げかけられたら、それには悪意で返すことも出来る。
しかし、相手に悪意がない場合、こちらが大人になって上手くかわすしかないのだ。
無理やり笑顔を作って、その場の雰囲気を壊さないように、周りの気分を悪くしないように受け流すしかないのである。
時には自虐しながら、なんとなくやり過ごすしかない。
私自身も何度となく、その場面に出くわしたし、他人がそのターゲットになっている場面にも遭遇した。
自分が言われても不快だが、他人が言われているのを聞くのも、かなり不快だ。
なによりも悲しい。
この無礼発言は、特に女性同士でありがちだ。
というか、女性同士での無礼発言はダメージがでかい。
遠慮がない。
「彼氏いないの?」
「結婚しないの?」
「子供はまだ?早い方がいいよ」
「子供がいない家庭って寂しそうだね」
「一人っ子は可哀想」
「次は女の子だね」
「専業主婦?贅沢でいいね」
「早くから保育園に預けて仕事?子供がかわいそう」
もう良くないか?この会話。
他人の家庭のことなんて、どうだっていいだろ。と思う。
しかも女性なら気持ちをわかってくれそうと思うことほど、女性から厳しい言葉を浴びせられることが多い。
まぁ、何にもわかっていない男性も言いがちだけど。
それはまた別の話なんだけど。
お互い分かり合えないことが多すぎるのが人間なんだから、わからないことは口を出さないことにしないか。
それぞれの生き方や状況を認め合うことにしないか、と常々思っている。
生きていると本当に外部からの何気ない攻撃が多い、マジで人生はサバイバルだ。
温室でぬくぬく悪意にふれず素直に生きていきたいのに、誰もがそうさせてくれない。
否が応でも強くならざるを得ないのだ。
そこで私は、そんな無礼千万な人に対しても、大人な対応で上手くかわしていることで、『徳』を積んでいると考えることにした。
どうやら善い行いをすると徳が積めるらしい、昔から言われている。
だったら、無礼な人に対して角を立てず喧嘩せず平和に生きている私たちは、相当徳が積めているのではないだろうか。
そう考えると少し救われる。
損ばかりではない気がしてくる。
そういえば徳って、いつ使われるんだろう?
まさか来世良いことがあるとかではないよな。
ぜひとも今世で少しずつ良いことがあって欲しい。
そろそろ宝くじでも当たって良いくらいなんだけど。