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【EBIS】人文社会学系の栄養情報学入門

情報には客観的な部分(科学)と主観的な部分(意見)が必ず存在するので、科学だけでなく、現象学などの人文社会系の研究が必要になる。

栄養情報学は、栄養教育や食育などとは異なる、情報学を基礎とした栄養情報についての学問領域である。とはいうものの、実際には、情報学というよりもより広範囲の人文社会学を基礎としている。

文系(人文社会学系)の情報学は難しい。理系(自然科学系)の情報学は、情報に含まれる意味(伝達したい内容)が物理的(化学的、生物学的)に正確に伝達されるかどうかを問題にするが、文系の情報学においては、伝達したい内容が非物理的にも正確に伝達されるかどうかが問題になる。

栄養情報学は、文系の情報学であり、栄養教育(栄養指導)などの栄養実践における効果的な情報伝達のありかたを検討する。

栄養や健康の記事を読む人が(書き手ですら)よく陥る勘違いは、科学の部分と意見の部分の混同である。情報をどのように読むかは、基本的に読者の自由なのであるが、そこには一定の規則が存在し、書き手は通常その規則を守って書いているので、読み手もそのつもりで読むべきである。ところが、しばしばこれが混乱するので、そうなるとわけがわからなくなる。

野菜の摂取量を350gとする理屈が良い例となるだろう。これは理論に基づく栄養学の典型的なものであり、EBNと対立する考え方に基づいている。EBNにおいては上は500gまで幅があり、しかも結論は出ていない。EBNではないからといって否定する必要はないし、そんなことをしていたら栄養学が成り立たなくなってしまう。

でも、そういう背景があることを承知しておくことは重要だ。そこにあるのは、ふたつの数字というだけでなく、異なる考え方(規則)であるが、その部分は通常の議論においては説明されることが少ないのである。この欠けている部分を補うと議論はかなりわかりやすくなる。野菜の例でいうなら、「理論に基づく」か「証拠に基づく」かという、栄養科学と栄養疫学(栄養疫学が科学でないといういみではない)における考え方の違いが根底にある。

栄養科学は、理論に基づいて、適正な野菜の摂取量を推論する。そこに含まれるビタミンなどの栄養素の量を他の食品と比較し、各栄養素の1日摂取量が適正になるように食品構成を組み立てた結果、適正な野菜の摂取量が決定される、というようにその根底にあるのは理論である。

栄養疫学は、疫学データに基づいて、適正な野菜の摂取量を推論する。疫学データは、多数の人々の実際の野菜の摂取量と、寿命や疾患罹患率との関係から、最も寿命が長く、疾患罹患率も低い野菜の摂取量を教えてくれる。ここにあるのは、観念的な理論というよりは、具体的な証拠である。

どちらか一方の方法が、他方に比べようもないほど望ましい結論を常にもたらしてくれるのであれば選択の余地はないわけだが、そもそも相互に依存しているわけで、実際にもそんなことはない。それに仮にそうだとしても、どちらを選択するかは、意思の問題、つまりある種の価値判断の結果であって、それを科学的に決めるのは困難である。

通常は、折衷法によって、すべてのデータを考慮しながら結論を導き出すが、考慮すべき要因は意識的なものから無意識的なものまで極めて多いので、ヒトの数だけ結論があるといっても過言ではないし、それを計算できるような科学理論は知られていない。そのため、人文社会系の研究が必要になるのである。

そう私は考えており、それをここではできるだけ明確に述べていきたいと考えている。


この文章は、2018年8月30日に発表済み(https://nutrinfosite.wordpress.com/2018/08/30/%e6%a0%84%e9%a4%8a%e6%83%85%e5%a0%b1%e5%ad%a6%e3%80%80%e5%85%a5%e9%96%80%e7%af%87/)のものです。

論旨を明確にするために、わざと断定的に書いている部分があるのは承知しています。ヒトの数だけ結論がある、というのは、この文章そのものにもあてはまります。つまり、私見に過ぎないということです。

培養細胞や動物実験によって立てられた理論が、疫学研究によって検証され、それがさらにRCTのメタ分析によっても確認される、というのが理想であり、現実にRCTのメタ分析は、これらすべてにおいて検証を重ねてきた最終結論であるものが多い(順序は一定しない。疫学研究から動物実験にさかのぼることもある。最初にRCTをする場合もないとはいえない)、ということができるでしょう。だからこそ、疫学者は自信をもってエビデンスというわけです。

問題は、(1)介入研究であるRCTのメタ分析は、倫理的な理由から、すべての場合に適用することができない研究手法(必須栄養素を摂取させないというような介入は不可能)であるため、観察研究の結果に頼らざるを得ない局面が、特に栄養学では多く存在することと、さらには、(2)観察研究でも限られたデータしか得られない局面が、やはり栄養学では多く存在することです。その中で、「エビデンス」を確立していくのは容易なことではないかもしれません。

ではどうするか、と考えた時、もちろん遥か彼方の未来には、栄養の全てが明らかになっており、ヒトでのエビデンスも100%明確になっている、そんな時代がやってくるが、今はまだそこまで行き着いてはいない、そのために、今ここでできる最善のことをする、というのがベストプラクティスということなのでしょう。

それを具体的に明らかにしていこうと思います。と言いながらまた6年過ぎてしまったので、続きがあるかどうかはわかりませんが。


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