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ハワイのシロクマ、カナダへ①

大事すぎて魂に溶けてしまったような、身体の一部になってしまったような本があります。
梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』です。

この本に出会ったのは高校生のとき。当時私は、カナダに一年間留学している最中でした。
ホームステイをしながら現地校に通い、日本にいる両親との連絡はメールだけ。時折両親が送ってくれる小包の中にあったのが、この本です。

本を送ってくれることは多々ありましたが、この『西の魔女が死んだ』は母が選んだものではなく、私が日本で通っていた高校の家庭科のS先生が、母を介して送ってくれたものでした。

私はこのS先生のことが、本当に好きでした。当時私が通っていたのは進学校で、国立大学への進学者数を増やすために、(私にとっては)厳しく、殺伐とした先生ばかりでした。
その中でS先生は、多くの人の受験に関係のない家庭科の先生だからか、雰囲気は柔らかく牧歌的。でも、教科書を表面的にやるだけではない、本質的な学びのおもしろさを教えてくれる方でした。例えば、子ども観の歴史的な変遷を知る為に、家庭科の授業中に、ヨーロッパの絵画を比較して見せてくれたこともありました。

そして何より素敵だったのは、型に囚われないユニークなお人柄です。

家庭科の先生なのに、
「あのね、家でストレスが溜まったら、ひびが入ったお皿をとっておいて、割るのがいいわよ。でも、ただ割るだけじゃ片付けが面倒だから、ビニール袋に入れて割るの」
という突飛なライフハックを授けてくれたり、
「お仕事が忙しかったら、ボタン付けなんて布用ボンドでいいのよ。こういうボンドがあるってことを知っておくと便利だからね」
と、身も蓋もないことを教えてくださったり。
家庭科の授業数は少なかったはずなのに、今でもたくさんの面白いエピソードを覚えています。

私は日本の高校では不登校気味で、週に1・2回は学校を休んでいました。このまま卒業まで高校に通い続けるのは無理だと思い、両親と話し合った末に、高二の夏から一年間留学をさせてもらいました。帰国したらほぼ受験の時期なので、嫌いな学校に行く期間は極力短くて済みます。

S先生のことは好きだったけど、担任を持ってもらったわけでもなく、授業以外では特に接点もありませんでした。そもそも、何が辛くて高校を休むのかをうまく言語化できずにいた私は、先生に深い相談をしたこともなかったと思います。
だから当時は、そんな一生徒に過ぎない私に対して、わざわざ本をプレゼントしてくれたことに驚き、嬉しいような申し訳ないような気持ちだったのを覚えています。

ホームステイ先の自分の部屋。いかにも海外な、こんもりしたベッドに寝そべり、本の1ページ目を開いて驚きました。主人公の名前が、私と同じ『まい』だったからです。
名前だけではありません。不登校になっていたこと、喘息なこと、幼い頃ころから死への恐怖があること、優等生だけど、集団生活に馴染めないでいること、感受性が豊かなことなど。

まいはしばらく学校を休み、イギリス人のおばあちゃんと一緒に暮らしながら、魔女の修行を受けることになります。規則正しい生活を送り、動植物の世話をしたり、おばあちゃんから昔話を聞いたり、あるいはまいの話を聞いてもらったりする中で、まいは自分らしさを徐々に回復させます。

自分とそっくりな主人公と完全に同調しながら、ページをめくるのがもどかしくなるくらい、先へ先へと夢中で読み進めました。明日も学校があるのに、早く寝なきゃと思いつつ、結局一晩で読み終えたと記憶しています。
そうして、私がその後の人生でずっと大切にすることになる、このフレーズに出会いました。

「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、うしろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、誰がシロクマを責めますか」

『西の魔女が死んだ』p.162

クラスの女子特有のグループに所属しないことに決めたことで苦しくなり、一匹狼になる強さもない自分を責めていたまいに、おばあちゃんがかけた言葉です。

私はずっと、日本の高校から逃げ出したことを負い目に感じていました。辛い事に立ち向かわないのは自分の甘えであり、努力不足で、悪いことだ。学校なんて辛いのは当たり前なんだから、それに耐えないなんてまともな大人になれない、当時は半ば本気でそう考えていました。

なんて狭い世界で、そして限定的な『ものさし』で、自分を決めつけ、苦しんでいたんだろうなと、今振り返っても自分を可哀想に思います。

本をもらったときは、既にカナダに行って数ヶ月経っていました。多国籍な友だちもでき、学校での勉強も日本よりもずっとおもしろく、そして何より自由でした。言葉のハンデはあったけど、それまで日本で感じていた『こうあらねばならない』という鎖が、少しずつ解けてきたころでした。

そっか。私がカナダに来た事は、自分に合う場所を探しに来ただけなんだな。私にとって日本の学校生活は、シロクマがハワイにいるようなものだったんだ。

私は、私の好きな居場所を、生きやすい居場所を探していいのだ。そしてそれは、広い地球のどこかに、きっとある。

私は初めて、日本の学校に馴染めなかった自分を許すことができました。それと同時に、おばあちゃんの言葉は、自分の人生へ新しい希望ー自分は自由であっていいという実感ーを示してくれたのです。

引用
梨木香歩
『西の魔女が死んだ』
平成13年8月1日発行

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