君のイヤホンを その2


「ただいま」、という自分の声がいつもよりも家に響いた、ような気がした。お母さんは普通の反応をしているから気のせいかもしれなかった。まあ、そんなことはどちらでもよく、わたしは階段をかけあがった。
二階の一番奥の自分の部屋、その窓の下に机があり、引き出しがあった。わたしは部屋に入るまでは小走りだった。けれど、カバンを下ろしてからはすこしずつ湧き出す緊張感にひきづられるように、ゆっくり、ゆっくりと机に近づいた。なにか大ごとのように思えた。右手をつくえの下にかまえ、固い唾をごくりと飲み込んだ。わたしのまわりは緊迫した状況だ。
「自分の部屋じゃないみたい」
と、やわらかく吹きだしてしまった拍子に、引き出しがひらいた。あった。白いイヤホンが結ばれもせず、ホコリものせずに。そこにあった。ありました。
明るい部屋でそれをつまみあげてみると、ふたつの道がひとつになったような、ひとつの道がふたつに分かれたような、アルファベットのYの字にイヤホンは垂れた。まあ悪くない、と思った。
ちょっと気に入っていた。
勝手なことを言っているとは思っている。しかし、わたしは、この道具が気になっているのだ。彼はどんな気持ちで、これを耳からぶら下げているんだろう。この道具は、ないよりはあった方がいいんだろうか。それが知りたくて、わたしは彼に同期したい。イヤホンを通じて。
半透明で柔らかいゴムのような部分を、右耳、左耳と押しこんだ。あまり気持ちのいいものではない、でも、彼と重なることがすこしできたような気分だ。
5分くらい、そのままそうしていたと思う。イヤホンの先端をぷらんぷらんと遊ばせながら、私は喜んでいた。ふと、夜ご飯のカレーの匂いがしてきて、我にかえった。わたしはこの数分間どんな顔をしていたんだろう。なんだか、とても恥ずかしくなってしまった。
気をとりなおして、うん、とりなおして、イヤホンをiPhoneに繋いだ。なにか、イヤホンとヘッドホンの中間のようなマークが、iPhoneのうえの方に表示された。イヤホンがしっかりと繋がったということなのだろう。でも、イヤホンにはなんの音も流れてこない。iPhoneでなにも再生していないから、当たり前だった。
Youtubeのアイコンを叩いて、起動する。画面上にはわたしがたまーに観ているYoutuberの新しい動画がはじめに表示された。
「うーん」
それをイヤホンつきで観てもよかったけど、どうせなら音楽を聴きたかった。それでも特に好きなミュージシャンがいるわけでもなかった。どうせならと、数億回再生されているミュージックビデオを観る。

動画がはじまってから、音がはじまるまでの数秒の間、それがとてもながく思えた。そして、音楽がはじまったとき、なにか感じたことのない震えがあった。わたしは自然に眼をとじて、座りながら、上半身は揺れていた。わたしは自然に眼をあけて、座りながら、右手を前に広げていた。

その曲が終わり、次の動画がはじまる前のCMで動画を止めた。イヤホンを外して、無音で、一階のリビングまでおりていったら、もうご飯ができかけていたので、少しだけお母さんのお手伝いをして、カレーを食べた。そのあいだ、イヤホンで音楽を聴いていた時の自分のことを考えていた。そして、すこし聴いていた音楽を口ずさんだ。




過去作の7割は自信作です。3割は駄作かもしれません。よろしくお願いします。