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愛の欠乏症とロールパンナちゃん



愛で満たされるべき器を人は誰しもが持っていて、


その器をどうにかしていっぱいにしたいと願う。




その器に一番近い存在は自分であるのにも関わらず

誰かに愛を注いでもらうことで満たされようとする。



懸命に手を伸ばして他人の器に愛を注ぐことに必死になって


自身の器に愛を注ぐことをまるっきり忘れている。


誰かを"愛"した分だけ、自分の器から"愛"が減っていくのを感じ


愛にカタチをつけて要求し、それが叶わないと失望して愛の欠乏に嘆く──・・・


決めたカタチと同じものだけが器の中に落ちるようにフタをしたのは自分であるのにも関わらず。



言葉にすればひどくドラマチックだけれど


誰しもが誰かに満たしてもらおうと

必死になって"空っぽ"の器を両手で抱えて今か今かと待っている。



求めた愛と違うカタチはフタを通れずこぼれ落ち


「期待外れ」──・・・ 虚無感と怒りとなって積み重なる。



愛されたいとこぼした涙は、自分の存在が無価値なものだと響かせる。




まるでロールパンナちゃんの心の器。


「こんなの望んだカタチじゃない」って


赤のハートにフタをして、青のハートに注いでいる。



「これだけしてあげたんだから、私だって受け取ったて当然だ」って

赤のハートにフタをして、青のハートに注いでいる。



「自分は愛されない存在だ」って


赤のハートにフタをして、青のハートに注いでいる。




そうやって不平と不満、怒りと悲しみ、無価値感と虚無感でいつもいつも青のハートをいっぱいに満たして輝かせている。


どうして青のハートには上手に注げるのに、


赤のハートには上手に注いであげることができないの?




両手を胸に当てて「ありがとう」──・・・


たった一滴、赤のハートにこぼしてみる。


「私は愛されている」──・・・

「みんなありがとう」──・・・


今までたくさん頑張ってきたんだ。


何より自分自身に伝えたい。


「ありがとう。大好きだよ。」──・・・


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