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かにみそ 素敵な子供の笑顔 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること


 1990年、時代としてはバブルの末期。ある大手製造業の会社で次期主力事業立ち上げプロジェクトに参加しいていました。地方に有った製造所の中に、秘密工場が建設され、提携先からの技術移管などを担当していました。

 仕事は、第三の創業とまで言われ、早期事業立ち上げを目指しピリピリとした緊張感で進めていました。しかし、会社を出るととてものんびりした生活が、私たち家族を包んでくれていました。

 製造所の前は、比較的大きな川が2つ流れていました。河川敷にはお決まりの桜。また直ぐ脇に路面電車が走っていて、地元のJRの主要駅から川を渡り、岬の先までを繋いていました。
 今思えばまるでアメリカのシリコンバレーに居るような、地域の真ん中に背骨のようにトラム·路面電車が走っていて、後はバスのみが公共交通機関。専ら車中心の生活でした。食い物は車で週末に大型店で済ませます。
 子供は、近所の広々した公園で毎日、お母さんの手作りのお弁当を持ってピクニック気分。公民館には、子供が雨の日に過ごせるスペースが有り、図書室も併設されていました。
 休みは、開発の進捗状況次第でしたから、平日車で日帰りドライブを楽しみました。

 地方転勤を親は心配しましたが、私は公私共に充実していました。家族も新しい生活を楽しめて居ました。

 時はまさに梅雨、慣れない4組3交代の現場に入っていました。2直交替明け、真夜中の地酒の二級酒と、地元のスーパーで買った華奢なパックに入ったかにみそでの晩酌を楽しみに帰宅。すると···
 2歳直前の娘が冷蔵庫の前に座ってにっこり出迎えてくれたのです。

 にっこり笑った口に何やら灰色の···

なんと、かにみそをそのまま赤ちゃん用スプーンで。しかも一パックまるごと綺麗に完食。微笑ましくて思わずニヤけちゃいました。

 絶対将来一緒に晩酌楽しめる!

 予想通り、今は娘と晩酌を楽しむ生活をエンジョイしています。

蛇足
 このとき、家族との海外駐在を夢見て、このトップガンを何度も何度も。その作品のおかげて、発音が良くなったこともり、海外駐在の夢も叶いました。

 懐かしいバブル期の思い出です。


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