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【Honesty;100%の正直さ】

インスタでこれまで少し共有していた、ヨーガとマインドフルネスを、日々の暮らしで実践することについて。今日はこのHonesty - 100%の正直さ、について久しぶりに書いて更新しようと思ったら、なんと私の文章長すぎて、インスタに文字超過ですと言われ(笑)。そうですよね、文章つらつら書く媒体ではないから、私が間違ってたと気づき(^^;)、今回はこのnoteで書いてみます。

私の話ですが、本業では、3月までロンドンオフィスに所属していて、ロックダウンを機に北イングランドの湖水地方(Lake District)に家を借り、チームで私1人だけ湖の前の自宅からリモートワークをしておりました。そして今回のここバンクーバーへのの移住に伴い、アメリカ西海岸のオフィスに異動する予定で長期のお休みを頂いているところです。

本当は、もう本業に復帰しているはずですが、なかなかこの休み期間の生活が好きになって、まだ長期休暇中。本業以外にもいくつか仕事やプロボノをしており、これらは再開してるのですが、ヨガの先生は未だお休み中。誰かに教えることから一瞬離れて、こうやって自分自身のヨーガやその解釈を深める時間、自分が生徒に戻り切る時間もとても好きなんです。何度も読む度に、新たな教えに出会う経典や、大先生(Guru)の言葉が自分に沁み込むことに、どっぷり浸る期間。住む国も周囲の人もガラッと変わり、新しいお友達だらけ、色んな不思議な出会いもたくさんあって。

そんな風に、のんびりと過ごしていたら、イギリスを離れてのこの3ヶ月で色んなことがあり、少しずつ自分の内側で変化を感じるように。
こういうのが出てきた時は、私はとても丁寧に、大切に扱うようにしています。

世の中や、自分の中での風向きが変わる瞬間を、本来ヒトはちゃんと感じられる生き物。
日々、「今」「ここ」「この私」に意識を置きながら丁寧に暮らしていれば、誰でも感じられる、とても動物的で自然なものだと思うのです。

いつの間にか、「自分たち - 自然」というように、ヒトがまるで自然と対峙する存在かのような気がする現代。だけど今も昔も、私たちが動物のヒトである限り、私たちは自然の一部であるということ。対峙しているわけでもなく、ましてやコントロールできたりするわけでもなく、大きな営みの”自然”のたった一部として存在している、存在させられているということに、変わりはありません。
そして、全てが刻一刻と移り変わるゆくこの”自然”の中で、その一部である私たちヒトが、移り変わらないわけがないのです。

夏至が過ぎましたね。一年で最も、陽のエネルギーが最大になる日を過ぎた今、また今度は冬至に向かって少しずつ、だけど確実に、日は短くなってゆく。

朝起きて、開ける窓から薫る空気の匂いが、先週と変わったな、とか。
自然の中の緑の、色合いが、より濃くなってきたな、とか。
当たり前に感じられる、自然の変化。それと同じくらい、自分の中の変化もまた、当たり前に感じられるはず。
そして、自然の変化を疑ったりすることがないように、自分の中の風向きの変化も、なかったことにしたり、無視することができない、とても自然で、かつ確実な変化。

自分の中の風向きが変わる時。自分の中から、これまで持たなかった思いが生まれたり、あるいは今までは疑うことなんてなかったことに、違和感や、新しい気持ちを覚えたり。
一体私たちはどれくらい、この自分の内側での変化に、マインドフルで(注意深く)在るとができるのでしょう。

昨日の私にぴったりだったこと。昨日までの私が一番、心地良かった思考や観念、「私らしさ」だと思っていた自分「らしさ」。
これらが、今日の、この瞬間の、今の自分にしっくりくるものではなくなっているというのは、本来とっても自然なことです。

今までは毎朝、来る日も来る日も、青いジャケットを羽織って家を出ていたとして。学生時代も、働くようになってからも、家族ができてからも。
もういつからこれを着ているのか思い出せないくらい、物心ついた時からそういえば着ていた。
私には青のこのジャケットが1番似合う! って、思ってたことも本当だし、なんなら、私らしさといえばこの青のジャケット、とすら思って疑わなかった。

だけど今朝起きたら、何となく、今日は赤色のドレスが着てみたいな、とふと思った。手にとってみて、鏡に映った自分を見て、「ダメダメ、私やっぱ青じゃないと変だって!」と思い直し、いつもの青いジャケットに着替えて出勤。だけどやっぱり、街を歩いたり、ふとした瞬間に自分の姿がガラスや鏡に映る度、これまで疑問に思ったりなんてしなかったことが、モヤモヤと内側に湧き上がる。なんか、なんだか、上手く言えない。上手に説明できないけれど、だけど、もう昨日までの私に戻れないことが、心のどこかでは自分でも分かってるような。どうして?何で、私、この自分にしっくりこないんだろう。

次の朝、また赤色のドレスが着たいと思って、今回は勇気を出して着てみた。そしたらやっぱり、リビングでは家族から、会社では同僚や上司から、「どうしたの!?あなたらしくないよ〜」なんて言われちゃって。あ〜、やっぱり私は青いジャケットが1番似合うのか。あれが私らしいのか。そう思って、もう赤色のドレスは封印。

ここでの青ジャケットも、赤ドレスも、お分かりの通り、比喩表現。それは例えば、俗に言う「キャラ」なのかもしれないし、性格なのかもしれないし、口癖なのか、肩書きなのか、自分の社会の中での役割なのかもしれない。

皆さんにも、こういう経験がありますか。
封印すると決めた、その赤色のドレス。本当になかったことにできる人なんて、いるんでしょうか。

朝起きて突然、今日は赤が着たい!と、思った理由なんて、本来は説明する必要すらないこと。

誰かに納得してもらうために、生きている訳ではないのに。
どうしてか、一体誰に向かってなのかも分からないけど、必死に、今日は赤だと思った理由を、理屈を、一生懸命探しては、説明しようとする。
この正体は、マインド(=心)の働きだとヨーガでは考えます。

理屈なんて、探せば多分見つけられるし、理由はきっと、後からいくらでも付け足せるのだけれど。

1番大切なのは、「今日はなんか赤ドレスがいい!」と思った自分自身の変化を、ちゃんと感じ取っていられること。取りこぼさないで、なかったことにしないこと。見なかったことにも、気が付かなかったフリもしないで。
そんなことをして、自分自身を裏切らないことです。

初めはきっと、怖い気持ちも見え隠れする。
自分の知っている自分が、いなくなるようで。自分らしさが無くなってしまうかのようで、怖いのです。

怖くていい。今までは、青いジャケットを着た自分しか知らなかったのだから、赤いドレスを着て出かけるのは、相当な勇気がいることなのでしょう。
だけど、「赤が着てみたいなぁ。」と思った、その、今日の、今朝の、【今】の自分に、できるだけ100%、正直でいたいなと思うのです。
【今】の自分に、できるだけ偽りなく、裏切ることなく、真っ直ぐでいたい、と。

怖さをバッサリ捨てて、潔く赤いドレスを着ることだけが、正解ではないのだと思います。
はじめは、カバンに赤いドレスを忍ばせるところからのスタートはどうでしょう。あるいは、家の中で、10分だけ着てみる?近しい人と会う時だけ着てゆく?それか、上に青ジャケットを一応羽織ってみて、こっそり赤いドレスを着ておくのもアリ。

いつか、潔く赤いドレスを着てお出かけできる日まで、どれだけの時間がかかったとしても。どれも全て必要な、大切なプロセスだということを、忘れないでいたいものです。だってプロセスこそが、ヨガやマインドフルネスそのものなのだから。そのプロセスこそに、美しさや味わい、価値があるものです。

いつだって、完全に【今】の自分自身に正直であれる人というのは、きっと、とてもマインドフルな人。
だけど決して、その人に怖さがないワケではない。

怖い気持ちもまだ抱えたまま、その上で敢えて、その”赤いドレス”を選ぶことができること。色んな思いや気持ち、不安や後悔、執着や恐れがまだ、心の中に存在することに、丸ごとOKを出した上で、それでもやはり【今】の自分に正直であることを選ぶこと。
That’s the power of Mindfulness. That’s Yoga in practice.
その時こそが、ヨーガが活きてくる瞬間。

夏至の、この極陽に振り切るエネルギーって、やはり生き物に影響しますね。
あぁ、生き物なんだなぁ、と。自然の一員なんだなぁ、と感じさせられる、こんなエネルギーの変化が私は好きです。

変化した自分を受け入れることにしたら、また人生の予定が変わることに。
予定調和とは程遠い、私の人生。
だけど、誰かに理解されるよりももっと前に、【今】の自分自身へのHonesty - 真っ直ぐな、100%の正直さ を、できるだけ見失わないでいたいなと思うのです。

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