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私は一体、誰の、何のためにこれをやっているのだろう…。ダウン症がある次男と私の物語。

私は一体
誰のためにこれをやっているだろう…

私は一体
何のためにこれをやっているんだろう…

次男を登校させるとき
こう感じることが多くなりました。


ダウン症がある次男の誕生から
もうすぐ18年。

全身をドス黒い紫色に染めて
誕生した彼の顔を見て
違和感を得ました。

「もしかしてダウン症…」

私が小学生の頃、
なかよし学級にいた
男の子と同じ顔。

将来、
私はダウン症がある子どもを
授かるかもしれないと
感じていたことを
分娩台の上で
思い出していました。

次男にダウン症があることを
知った主人側からは
1ヶ月経ったころに
「離婚を考えているから」
と宣告されました。

次男には
心臓や気管のほかにも
いくつかの合併症がありました。

周囲から
医療的ケアが必要な
障害児を連れて離婚したら
生きていけないよ
と散々脅されて。

だけど、
離婚をしたいのは私ではなく…
そんなことを言われても…

私には
戻る場所がありません。

子どもたちを連れて
生きていかなくちゃ
いけなくなったのです。

次男は
経鼻栄養に加え
気管切開もしていたので
日中も夜間も
鼻に入れた管の管理
痰の吸引や
喉の穴の周囲の消毒が
必要でした。

次男が風邪を引いたときは
私がトイレに行く時間を
とることが難しいほど
痰の吸引は頻回でした。

気管孔から溢れ出る
自らの痰で窒息して
しまうからです。

そうやって
必死にやってきました。

「あなたは何もできない」
と、子どものころに母から
結婚していたころは元主人から
そう言われていた私でしたが

なんの、なんの
なんでも私ひとりで
こなせるようになりました。

誰かに責任を丸投げにしていた
過去の私とは違い

預かっている
次男の生命への責任を通じて
私自身と向き合い
精神的に自立する必要が
あったからでしょうか。

日々盛りだくさんで
たいへんでしたが
今までにはなかった
自由や達成感を
得るようになりました。

必死にやっていたころ
すべてのことが当然で
疑問が生じることは
ありませんでした。

ところが、
冒頭でお伝えしたような疑問が
顔を出すようになったのです。


毎朝、
スクールバスに間に合うように
自らの意志で動こうとしない次男を
引っ張っていきます。

家を出る直前にうんちをし
彼の手にはうんちが付着し
そのまま髪の毛や顔などに
触れたりします。

スクールバスに間に合うようにと
私が必死にやっていても

彼の顔や髪の毛や洋服や壁に
茶色のそれらが付着しているのを
目の当たりにすると
一瞬のフリーズの後
焦りに加え雑多な感情が
うわーっと湧いてきます。

怒りの感情なのに
なぜ涙が出る?

涙が出ているのに
なぜ笑う?


こういうこともありました。

次男が
便器の掃除ブラシを
口に咥えようとしていたことがありました。

その光景に衝撃を受けたのですが
次の瞬間
みょうに納得&感心していました。

次男にはそれが
(巨大な)歯ブラシに
見えたのでしょう。


現在にいたるまで
次男には色々なものを
破壊されました。

私から見れば破壊行為でも
彼からすれば興味関心の末の
実験であり、遊びであり…
ワクワクなのです。

修理してしまうと
次男は同じことをしてしまう。
だからそのままにしておきます。

どんなに怒りが込み上げたとして
理屈や理論という概念のない
彼に怒っても仕方がない。

彼は言葉を発しません。
必死に怒っている私を前に
キョトンとした表情の後
にっこりと笑顔を見せてくるのです。

不覚にも
つられて私の感情も緩み
次男への愛しさが溢れ出し
自然と笑みがこぼれます。

そうやって毎朝、毎日
感情のフルコースを味わいながらも
決してブレることがない
彼のペースに合わせている
母親の私がいたりします。


「自由」だなぁ。
邪気なく純粋に
何かをやらかしている
次男を見ていて感じます。

神経質で
潔癖症で
人の目を気にして
他と自分を比べて
落ち込んでばかりいる私に

次男が色々なことを
教えてくれているようにも
感じます。

いつしか
こういう言葉が
私の口から
出るようになりました。

「ま、いっか」


だけど、
負担や限界を感じることが
どんどんと増えてきたのも事実です。

私は一体
誰のためにこれをやっているだろう…

私は一体
何のためにこれをやっているんだろう…

次男を登校させるとき
こう感じることが多くなりました。

次男のためではないことは確か。
彼が望んでいるわけではないから。
私がひとりで
見えないルールに従おうとして
必死になっているだけのことだから。

私にとっては当たり前のことで
疑問など湧かなかったこと。
だけど今、
疑問が湧くということは…

もう
今までと同じではないんだろうな。
そのことを
私自身が教えてくれているんだろうな。

次男を授かってから
私の人生の中心は彼になりました。

夢の中でさえ
次男とはぐれないように
手をぎゅっと握っています。
だけど
毎回はぐれてしまい
私は次男を必死に探すのです。

年々、私も次男も歳を重ねていく。

ぎゅっと握りしめている
手を少し緩めて

母親としてではない
私自身を人生の中心に
おいてみようか…。

そうやって
私と次男との
新しい人生を選択しても
いいのかもしれない。








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