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【創作】 小説 ロボットの話

※このお話は「カクヨム」でも読むことが出来ます(無料)

ちょっとおしゃべりで愛情深いお手伝い用ロボットと、どこにでもいる少しだけかわいそうな少女のお話です。
「カクヨムWeb小説短編賞2019」 最終選考候補作品。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893029699/episodes/1177354054893029727


皆様、はじめまして。私はお手伝いロボットです。

ロボットといってもAIみたいに、何でもできる優秀なものではありません。お茶を運んだりお掃除をしたりといったような、ちょっとした家事のお手伝いを致します。そうですね、家庭用ロボットといったところでしょうか。形はちょうど、何でしたっけ? そう、「スターウォーズ」に出てくる丸っこいロボット。あれに似てるとよく言われます。使う人の心を和ませるように、ころころとした形状で作ったと生みの親は申します。

私がお世話になっている(お世話をしている?)お宅を紹介します。23年前に家電量販店で私を選んでくださったご夫婦と、その一人娘のお嬢様が私を使ってくださる家族です。まだ小学校に上がる前だったお嬢様は寂しがり屋さんで、幾度となく私をぬいぐるみ代わりにぎゅっと抱きしめるのでした。

小学校に上がってからは、寝坊助なお嬢様をお母様とともに起こしに行くのが私の朝の仕事でした。学校に遅刻しないように起こし、朝が弱くてぐずつく彼女の顔を洗わせ歯を磨かせ、身支度を整えさせます。これが意外と骨の折れる作業で(ロボットに骨はありませんが)ようやくお嬢様が朝食を召し上がっていただく頃にはいつもバッテリーが切れかけてしまい、慌てて充電をする始末でございました。

そんな昔の朝のルーティンが余計に懐かしく感じるのは、きっと近頃のお嬢様が塞ぎ込んでいらっしゃるからでしょう。寝室で一度眠りにつくと、なかなか目を覚まされません。丸一日近く眠られている日もしばしばでございます。

話をお嬢様の小学生の頃に戻しましょう。

私のご主人であるご夫婦はいわゆる転勤族で、昔から全国を転々としがちでした。お嬢様は御多分に洩れず典型的な「転勤族の家庭に生まれた娘」でありました。私の古ぼけたメモリーで覚えている限り、少なくとも小学校で2回、中学で2回と義務教育課程で4回以上は転校を余儀なくされました。私なんかは呑気ですから、引っ越しのたびに段ボールに入れられる以外は快適なもので、未知の世界を旅する感覚でむしろ楽しんでおりましたが、彼女は私よりもずっと繊細でした。繊細で、意地っ張りなのでした。繰り返される転校のたびに迎える、お友達とのお別れが辛すぎるあまり距離を置くようになさっていました。お友達に本音を打ち明けられないようになってしまったのです。やがてその癖は治しようがないほど定着し、何を考えているか分からない、ちょっとクールな性格としてお嬢様の印象を形作ってしまいました。それはそれで個性ですから良いと思いますが、ご本人はそういった周囲の反応は不本意でございました。

言葉を選ぶ配慮がまだ身についていない子供ゆえか、時にはご学友に本音で話したところ「性格が暗い」など心ない一言を浴びせられることもあったそうです。彼女はたまたま気分が落ち込んでいただけで、普段からそういうわけじゃない。私は元気があって活発なお嬢様をたくさん知っています。ロボットだから人間の心の機微には今ひとつピンと来ませんが、あまりにも傲慢な態度だと思います。その一瞬だけを見て、さも全体を知ったかのように切り捨てるとは、何事でしょうか。私は気にしなくて良いと思うのですが、そうした理不尽な出来事の積み重ねでお嬢様の心には細かい傷がたくさんついていき、ますます本音を言えない臆病な人になっていきました。仕方がないとはいえただでさえ縁が切れやすい境遇に加え、連絡が途絶えて馴染みの人とだんだん疎遠になっていくのです。本来なら心を持たないはずのロボットの私ですら、お嬢様のご様子には一抹の寂しさを覚える程でした。

あれは何度目のお引っ越しでございましたでしょうか。

雪が多く降る街のある夜のことでした。しんしんと降り積もる雪の音が遠くから聞こえそうなくらい静かな夜。お嬢様は寝室のカーテンの陰に隠れて窓の外をじっとご覧になっていました。リビングではご夫婦がくつろいでいらっしゃいました。

赤いパジャマを着たお嬢様は手にお人形を持っていました。お人形に窓の外とご自分を交互に見比べさせながら、なにかを呟いています。バレないようにそっと私は近づいてお嬢様の様子を伺いました。お人形は青いドレスを着たフランス人形みたいな古びた陶器でした。「いつかここから出たいね」「迎えに来てね」とフランス人形は言いました。それはもちろんお嬢様の声でした。

今、お嬢様の世界にはたった1つの古ぼけたフランス人形しかいません。フランス人形がお嬢様をこの部屋から連れ出せるはずがないし、あるいは彼女たちを迎えに来る人も、存在するはずがないのです。降りしきる雪が、彼女たちをまっさらで不思議な泡沫の世界へと閉じ込めてしまったのでしょうか。ああ、私はロボットなので心などないのですが、この時はお嬢様を、人間というのを、とても哀れで、とても愛おしい生き物だと思いました。

私たちを音もなく雪が覆っていきました。夜が永遠にずっと続くかと思うくらい長い間、お嬢様はいつまでもいつまでもフランス人形に話しかけていらっしゃいました。


家庭用ロボットは家事のお手伝いだけをしていればいいわけではありません。時にはお子様のお相手も務めないといけないのです。

丸っこくて愛らしい形をした私ですが、ちいさな足で歩くためバランスが悪いのが難点でした。ある時、お嬢様のお友達が遊びにいらしたのでお茶をお運びしようとした際、お友達が思い切り伸ばした足に引っかかって盛大に転んでしまったことがありました。

「何をなさるのですか!」

頭にティーカップを載せた私を、お嬢様のお友達がクスクスと笑います。お嬢様はその場では見て見ぬ振りでしたが(地味に傷つきました)

「ごめんね」

といって後で一緒にフローリングにかかった紅茶のシミ取りを手伝ってくださいました。せっかくできたお友達にケチをつける気はありませんが、せめてもう少し人を選んだ方がいい気がします。さらには、しばらくの間お嬢様も真似をして私に足払いをしようとするので参りました。不意打ちでスッと伸びてくる彼女の足を避けるのは、製造から数十年が経とうとしているポンコツ気味ロボットの私にとって容易なことではありません。小学校も高学年になった頃だったので、反抗期のせいでしょうか。誰かを困らせて気を引きたいと思ったのでしょうか。ロボットの私には本当のところは分かりません。分かりませんが、いたずらな笑顔で楽しそうにしているお嬢様を見ると、浮かんでくる文句も不思議と消えてしまうのでした。

お嬢様はスパルタの呼び声高い中学受験用の塾に、小学校3年生から通っていらっしゃいました。家庭の事情による転校が多いため、どんな学校でも通用するように高い学力を娘に身につけさせたい、というご夫婦の親心ゆえだったのですが、ロボットの私の目から見てもお嬢様には重荷というか、教育方針や雰囲気が合わない塾だと分かりました。平日は2日おきに夕方5時から10時まで授業、土日は朝から晩まで試験という子供には超多忙な毎日で、ただでさえ朝が弱くて寝坊な彼女の起床時間は遅くなる一方でした。さらに慢性的な寝不足のため小学校では覇気がなく、お嬢様の良くいえばミステリアス、悪くいえば「何を考えてるか分からない」オーラにますますの磨きがかかっていました。当然、昨日観たテレビとか、流行ってる音楽とか、遊ぶ時間も勉強に当てるお嬢様には縁のない話であり、周囲の話題についていけません。案の定、ただでさえ少ないお友達もどんどん離れていきます。これでは私の朝の負担が増えるだけ損というものです。

そもそも、中学受験という競争の激しい世界に、一人娘で両親に囲まれてのんびり育ったお嬢様が立ち向かえるはずもない、と実のところは思いました。向いていないと知りながらも、両親の期待に応えたいとハードな塾のスケジュールをこなし続けるお嬢様の姿は本当に健気で、そして少しだけ鈍いのかもしれないと失礼ながら思いました。何度引っ越しても全国にチェーンを展開するその塾は至る所に点在し、また一から入塾テストを受けて通い直していらっしゃいました。受けては通い、受けては通いの繰り返しでした。ちなみにお嬢様の得意な科目は国語で、これはいつも満点に近いのですが、苦手な算数は良くて下から3番目、それ以外ほとんどビリという泥仕合な順位をとうとう脱することができませんでした。

そして迎えた中学受験日当日。生まれて初めて足を踏み入れた試験会場の緊迫した雰囲気にすっかり呑まれてしまったお嬢様は、本命の志望校だけでなく滑り止めさえも滑りに滑り、それはもうフィギュアスケート選手で五輪王者の羽生結弦も真っ青なくらいの滑りっぷりでございました。滑りまくった末に、崖っぷちで願書を持って駆け込んだ新設ホヤホヤの私立校にようやく合格することができました。待機室として使われた食堂の壁に貼られた紙に、ご自分の名前が書いてあるのを見たときは、ご家族全員で手を取り合い涙を流して喜ばれたそうです。それは国語だけというちょっと変わった試験で、国語の試験の後、受験生がひとりずつ別室へ呼ばれて先ほど解いた問題の答えの根拠をその場で説明する「口頭試問」と呼ばれるものが合わさっていました。生まれて初めて受ける口頭試問だけでも珍しいのですが、合格者はまさかのお嬢様ともうひとりの女子だけ。倍率は40倍だったと後で知らされた時は、さすがのご本人も驚いたご様子でした。

こうして、ようやく中学受験の重圧から解放されたお嬢様でしたが、待ち受けていたのは結果に対する厳しい現実でした。

ご夫婦は、受験が終わった直後こそは娘へ労いのお言葉をかけていらっしゃいましたが、時間が経つにつれ、想定外の中学校にしか受からなかった事実に向き合うのがお辛くなったのか、実の娘に対して厳しい言葉を投げかけるようになったのです。

こんなレベルの低い学校しか受からないほどお前は頭が悪いのか、暑い日も寒い日も送り迎えをし、駅前で帰りを待っていた私の時間と労力を返せ、あの時お前があんまり泣くからつい家に上げてしまったがやっぱり算数が解けるようになるまでずっと外に放り出しておけばよかった、お前にこれまでかけた金を返せ、中高一貫だが付属高校はレベルが低いから進学せずに高校受験をしてもっと良い学校へ行って親を見返してみろ、お前みたいなバカは私の子供ではない……

追い討ちをかけるように、お嬢様の心の拠り所であった遠くにお住いのお祖母様にも

「仕方がない子だね」

と電話口で言い放たれ、ついにお嬢様は壊れてしまいました。

慣れない試験の雰囲気に圧倒されたこともありますが、最大の敗因はやはり苦手な算数でした。せっかく受かった中学校の入学式の日まで、お嬢様はご自分を大いに責めました。

「私が、しっかりしてなくて頼りないから、家族に心配をかけて不安にさせてしまった」

ご夫婦がお二人で出かけていらっしゃる時、お嬢様はお父様の机からカッターを持ち出しました。慌てて私は彼女にすがりつき、その用途を尋ねましたが、非力な私のアームからお嬢様はカッターを奪い取るや否や、塾で使っていた算数のテキストをずたずたに切り刻みました。

「こんなもの、私の人生には必要ない!」

泣き叫びながら紙くずを量産させるお嬢様を止めることはできず、私はなす術もないままじっと見つめておりました。

ご両親だけでなく、お祖母様にも愛想をつかされてなかば自暴自棄になったまま、お嬢様のなかの時間も、私どもの時間も、いずれも等しく過ぎていきました。

算数のテキストが大量の紙くずになった日からずいぶんと経ち、大人になった頃、お嬢様はある方に恋をしました。

その方とはテニスという共通の趣味を通じて知り合い、最低でも月に一度はお食事に行ったり、スポーツ施設でともに汗を流したりという親しい間柄になりました。

雪の多い地域で幼少時代を過ごした生い立ちも似ていて、すっかりふたりは意気投合したのでした。お嬢様のお誕生日には、タマネギの形をした雪国の教会と雪だるまのスノードームをプレゼントしてくださいました。行ってみたい国だと、かつてお嬢様がお話ししたことを覚えてくださっていた故の心遣いでした。当然、スノードームは彼女の一番の宝物になりました。

お節介ながら、私から見てもおふたりは相思相愛のように思えました。

あの日、泣きながら算数のテキストを切り刻んでいた少女が大人になり、ようやく幸せを掴みかけている。そう思うと、私はロボットながら我が子がだんだんと巣立っていく親になった気持ちになるようでした。ロボットだから、そのようなことは天地がひっくり返ってもあり得ないのですが。

依然として心の拠り所だったお祖母様にも、お嬢様は恋のアドバイスを受けていました。

「健康で仕事をしていれば、年齢は上でも下でも良いよ」

実にお祖母様らしいご回答でした。

「私、明日、彼に気持ちを打ち明けるわ」

お嬢様はそっと私にだけそう教えてくれました。結果としてろくにお友達のいらっしゃらないお嬢様にとって、私はお手伝いロボットを超えた唯一の本音を話せる身近な存在になっていました。一番の相談相手に選んでいただいたことで、私は、胸の奥があったかくなるのは何故だろうと不思議に思いました。

そうと決まればと、明日に備えてお嬢様が全身の身支度に取り掛かろうとしたその時、リビングからベルが鳴りました。ベルの正体は、お祖母様の訃報を知らせる電話でした。

会社から忌引きを頂き、頻繁にかかってくる電話から投げつけられる上司や同僚からの嫌味にうんざりしながら会いに行ったお祖母様の最期は、お嬢様が知っているふっくらとしたお姿とはかけ離れ、ずいぶんと心細く、侘しく感じられたそうです。

それっきり、お嬢様は想いを寄せたお相手にお会いしておりません。本当のお気持ちを告げることなく、ただひっそりと暮らしていらっしゃいます。

「大切な気持ちを伝えようとした時に、かわいそうだったね」

と、お母様は自分の娘に聞こえるか分からないくらいの小さな声でポツリと言いました。

お誕生日に彼からいただいた、タマネギの形をした雪国の教会と雪だるまのスノードームだけが、今日もひっそりと雪を降らし続けています。お嬢様は窓際に置いたそれを手に取り、上下にひっくり返しては眺め、ため息を漏らすばかりです。それはキラキラと輝いて、雪によってまっさらな泡沫の世界に閉じ込められた遠いあの日を思い起こさせるのでした。


あれはまだロボットとしての私のバッテリーが今より長持ちしていましたから、確かお嬢様が高校生の頃だったでしょうか。

その夜、ご夫婦は寝静まっていらっしゃいました。虫の鳴き声がして、人間にとっては暑くもなく寒くもない、過ごしやすい季節のことでした。不意にマンションのベランダの窓が開いて閉まる音がしました。人間の聴覚では聞き取れないくらい微かですが、私の機械の耳はそれを逃しませんでした。

私がそろそろと近づくと、ベランダの柵の外側に後ろ手でしがみつき、足をヘリに乗せてぼうぜんと立っているお嬢様が視界に飛び込んで参りました。あまりの突然さに声も出ませんでした。数分の間、真下に広がるマンションの庭を見つめた後、彼女は顔を夜空へと向けました。満天の星がお嬢様を照らします。私は、お嬢様とその向こう側の天の川をしばらくずっと見ていました。というよりも目が離せませんでした。どれほどの時間が流れたでしょうか。やがてお嬢様は器用に柵を越えるとベランダの中へ猫のようなしなやかさで戻り、ぼうっとした表情でご自分の部屋へ入られました。

何事もなかったかのように日の出を迎えるまで夜の帳は閉じたままじっとしていました。

あの時の能面みたいに張り付いたまま動かないお嬢様の表情が、今でもメモリーの奥にこびりついて離れないのです。あれは何だったのでしょうか。何がしたかったのでしょうか。未だに怖くて聞けません。聞けませんが、おそらくは彼女なりの救命信号を遠いどこかへ送っていたのではないかと感じます。

相変わらず最近はこんこんと眠り続けています。お嬢様にとって1日は24時間にも48時間にも、あるいは永遠にすらなり得るのでしょうか。それとも受験に失敗して傷ついたあの日からお嬢様の時間は止まってしまったのかもしれません。

これほどまでお側にいながら、どうしてそんなことにも気づいて差し上げられなかったのでしょうか。

お嬢様が大学の卒業を控えた頃、世界は未曾有の大恐慌時代に突入していました。空前の就職氷河期のなかでも夢を描いて就職活動に励まれていましたが、受けても受けても不採用のオンパレード。悲しい通知が届くたびにお嬢様の心は儚く虚しく砕け散るばかりでした。フリーター時代もバイト先のお局様の社員にいじめられるなど波瀾万丈でした。その頃の我が家は重く暗い空気に占領され、ご夫婦に就職が決まらなくて叱責されるたび声も立てずに咽び泣くお嬢様のお背中をそっとさするのが私の役目でありました。

それでも、お嬢様は憧れのある方と一緒にお仕事をするために日夜奮闘し続けました。それはある著名な芸術家の方で、その方が手がけた作品を紹介する本を自分の手で出版することが彼女の夢でした。一時は完全に身を引いて学校の先生になるための勉強もしましたが、心の隅っこでは諦めていなかったようです。

そんな中で100社目の面接を経て、ようやく芸術関係の雑誌を発行するちいさな会社とのご縁がございました。彼女は念願だった芸術家の方へ何度か企画書を送りますが、タイミングや企画の方向性などが合わず、なかなかスムーズに事は運びません。それでも「いつかは実現してみせる」と思うことで仕事に打ち込み、ようやく手にした職場で充実した日々を送られていました。

もう少しで勤続3年目を迎える直前だったある日、お嬢様は社長から無情にも会社の経営不振を理由とした雇い止めを言い渡されます。お嬢様が退職されて間もなく、その会社は潰れてしまいました。経営陣が会社のお金を持ち逃げしたとか、ある上司の愛人が業務中に刃物を持って乗り込んできたとか、その上司の他の愛人が社内にいて愛人同士が鉢合せとなり殺傷事件にもつれ込んだとか、嘘か真か分からない話がたくさんありましたが、辞めてしまった後のことなのでお嬢様には真偽の程など確かめようもございませんでした。

しっかりとしたキャリアがついても不器用で要領の悪いお嬢様は、ツテを頼るもなかなか思うように次のステップへと繋げることができず、忸怩たる思いで無為の日々を過ごす毎日。隣で見ている者としても、とても歯がゆいものでした。やがてお嬢様が1日のうち寝て過ごす時間は増えていきました。起きていれば最悪なことばかりが頭をよぎるからです。約束を破ると罰金が発生するなど、よほどの理由がない限りお家の外へも出なくなりました。お腹が空いてもご夫婦との会話が怖いせいか、なかなかリビングへお越し下さいません。よって、私がお嬢様のお部屋までお料理をお運びするようになりました。それでも口をつけない日もあり、大いにご夫婦や私をやきもきさせるのでした。

お嬢様は、周囲の知り合いは新しく家庭を得て次のライフステージへと進んでいくのに、ご自分だけは同じ場所をいつまでもぐるぐる回っている気がしていました。そんな心境を気軽に吐き出せる友達もいないのです。その現実がますますお嬢様を打ちのめしました。起きては泣いて寝ては泣いて、どのタイミングで人生をやり直したらいいのかを夢の中で模索するほどに追い詰められていました。思えば、幼い頃から塾漬けの日々で頑張ることをずっと強いられてきたお嬢様でしたから、ここに来て何かがプッツリと切れてしまったのかもしれません。頑張りたくない。無理したくない。我慢したくない。この3つが口癖となり、夢遊病患者のように延々と唱え続けているのです。再び立ちあがる気力がまだ湧いてこないのでしょう。それまではゆっくり寝て、人生の踊り場で少しお休みされてもいいのかもしれません。

私のようなロボットは楽天的な思考でプログラムされているので、どうせ将来性のない会社にいつまでもいるよりさっさと見限って新しい会社で働く方が、より早く芸術家の方と一緒にお仕事ができるかもしれないのに、と考えるのです。生きていれば想像もしてなかったようなステキな出会いもあるかもしれません。ですが、お嬢様のお気持ちもロボットなりに分かります。これまで誰より努力しても報われることが少なく、傷ついてばかりの人生を歩んでこられたのですからね。「どうせまた頑張っても無駄」「ショックを受けて傷つくのは嫌」と、何か物事をやる前から悪い記憶が蘇ってきてしまうのでしょう。すっかり臆病になって新たな一歩を踏み出すことができないのです。そして、それはお嬢様だけに限らず、人間には多かれ少なかれそういった性質があるのだということも存じております。私たちロボットは、失敗や嫌な経験は忘れてしまいます。メモリーの容量が少ないからというのもありますが、覚えていても意味のないことは消去されるように効率重視で設計されているからです。裏を返せば、失敗や嫌な経験をいちいち忘れないでいる人間の心は、記憶に惑わされる非効率的なことも時にはありますが、その分だけ奥行きがあって豊かなのでしょうね。

それは例年になく暖冬で、東京に初雪が降った日でした。私は彼女の温かい部屋におりました。大きな窓際のベッドでお嬢様はお眠りになられていました。お布団を掛け直して差し上げた時の、穏やかな表情を浮かべて眠るお嬢様はとても綺麗でした。彼女を苦しめる全ての悩みから解放され、まるでマリア様のように美しいと思いました。お嬢様は、ついにタマネギの形をした教会を見ることができたのでしょうか。きっと隣には華やかな青のドレスに身を包んだ貴婦人のお友達がいらっしゃることでしょう。一緒にお喋りでも楽しまれているのでしょうか。きっと今は自由に好きなことを何でもなさっていますよね。私はお嬢様の手にそっと自分のアームを添えました。掠れ行く視界の端でとらえたのは、まっさらな白い雪。窓の形に切り取られた泡沫の世界へ、私はゆっくりと旅立っていくのを感じていました。



☆過去に書いた以下の3部作をまとめました。

【創作】 小説 ロボットの話①

【創作】 小説 ロボットの話②

【創作】 小説 ロボットの話③


☆カクヨム始めました。


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