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NO WAR!そもそも正義って何だろう?【哲学】

今話題になっている、ロシアによるウクライナ侵攻。たまには時事ネタで、記事を書いてみようと思いました。

(この記事は、ウクライナ侵攻についての解説記事ではありません。)


日本は唯一の被爆国です。私たちはその日本で生まれ育ちました。
戦争の恐ろしさについては小学生の頃から勉強してきましたし、「戦争はするべきではない」と大多数の人間は思うでしょう。もちろん私も多数派の1人です。

これまでにも数々の戦争が世界の歴史と人々の心に深く刻まれてきました。人類は命の尊さを十分に理解してきたはずです。


しかし、プーチン氏は戦争という決断をしました。

NATOは派兵しないと決断しました。米軍も派兵しないでしょう。
他国からの武器の支援のみで、ウクライナは実質孤立無援です。

両国の兵士や一般市民の犠牲者は増える一方で、周辺国は手が出せず慎重な決断を強いられています。

この混沌とした世界、改めて正義って一体なんだろうと考えさせられました。




今回も1冊の本を参考にしました。(参考書籍は最後に記載しています。)


まず正義とは、「その社会に所属するメンバーのほぼ全員が認めるであろう基準」のことを言います。
(戦争を正義だと思っているかどうかは、分かるはずないですが)ロシア国民の総意ではなく、プーチン氏とその傘下の小さな社会の基準によって戦争が選ばれたはずです。NATOは理事会という社会の基準、アメリカは民意という社会の基準があり、各社会によって正義の基準は異なります。

加えて、それぞれの社会で、「侵攻するか否か」「派兵するか否か」「制裁を科すか否か」ということを、何度も議論やシミュレーションを重ねて判断してきたことでしょう。

各社会において、少なくとも2人の人間がいれば2種類の正しさが存在します。人数が増えれば、種類も増えていきます。

そしてその「正しさ」とは常に「誰かにとっての正しさ」でしかないです。

正しさのどれを採用するべきなのか、という判断をするとき、結果が明らかな場合もあれば、後から「○○が正しかった」となる場合もありますし、分からない場合もあります。

いずれにせよ、その時々において、最善の選択が存在していたはずです。
つまり正しさは、最善の選択を行うための判断基準であるということなのです。


さらに、ややこしくなりますが「最善の選択を行うための判断基準」が「正しい」のかどうかを判定するためには、
・絶対的な基準、誰もが認める基準を探す
・本質的な正しさ、普遍的真理を考える
という方法が挙げられます。

ロシアは戦争を選び、ウクライナを脅して操ろうとしています。それは誰もが認める手段でしょうか。違うと思います。実際、ロシア兵は命令に逆らえず、涙を流しながら戦っていますよね…。

正義が負ける時、それは権威を振りかざす時です。
権威とは、さまざまな予測を的中させてきたことによって発生するものです。

プーチン氏は、約20年間政権を握ってきました。天然ガスの会社を国有化したことによる、ロシアの経済回復は見事な功績です。他にも色々な事業の積み重ねで、長い年月を経て圧倒的な独裁者となりました。

そんな権力の塊のようなプーチン氏に、逆らえる政治家はいないのではないでしょうか。(国民はデモを行なっていますよね)

(プーチン氏は正しいと思っていたとしても)ロシアの判断は正しくなかったのかもしれませんが、NATOやアメリカの判断は、今後の動向を予測した上での最善の選択をしたのかなあとも思います。



正義感が強そうな人って周りにいますか?アベンジャーズで例えると、キャプテン・アメリカみたいな人です。

さまざまな価値観、正義がひしめく世の中で、自分の「正しい」と思っていることに積極的に賛成の意図を表明する。そして、議論を通して異なる論理や正義、信念に触れ、対話と合意を繰り返していきます。この営みこそが「正しくあろうと努力し続けること」であり、自分の「正義の基礎づけ」となるのです。

私は少しずつでも、「何となく正しそうだから賛成」という考えから、その事柄について論理的に(苦手です)吟味して、自分の正義を確立していこうと思い始めたところです。

繰り返しになりますが、「正しさ」とは常に「誰かにとっての正しさ」です。世論に流されず自分という地に両足を着けておくためにも、自分で判断することが必要となってくるので、もっと知識を取り入れなきゃ〜と思う次第です。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

参考書籍
・高田明典著「正しさとは何か」夏目書房新社(2015)

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