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障害ってなんなのか。

どれだけ前向きな気持ちになれる日があっても、静かな夜にはふと、どこか深いところから強烈な哀情が湧いてきて心が泣く。

そうさせるのはいつも弟の「障害」です。

言葉を自由に扱えて、不調を訴え辛さを吐き出すことが出来て、思った通りに体を動かせて、そこそこ気持ちをコントロールできて、「普通じゃない」と怒鳴られ、ため息をつかれ、責められ、傷つけられることなんてない、「普通」の人間に、どうして弟は生まれてくることが出来なかったのだろう。どうして弟が?なぜこんな思いをしなきゃならないの??

それぞれみんな何か抱えていて、大変なのはうちだけじゃない。一人で被害者ぶるな。
…そう頭では分かっていても涙は尽きません。
流しても流しても、流しきったと思っても、
哀しみの水脈は枯れることなく、深部から湧き上がってきます。そして心を濡らして、ひび割れたところに滲みて辛いんです。

「普通」を決めているのはマジョリティで、意味のある社会の規定も無意味なものもあるだろうから、相互に寄り添えば「障害」は消えて互いを認め合えるのでは、生きやすくなるのでは、と考えもします。

ですが"根本的な"「障害」もあると思うのです。

例えば、「ことば」が出ないこと
体の不調も傷ついた経験も、その経緯も伝えることができないから、その人の生は本人以外の人間の"推測"に委ねられる

例えば、「みえかた」や「しょうどう」が特殊であること
まるでトンネルの中から外を見るように狭い視野に、偶然大好きなトンボが飛び込んできて、それを夢中で追いかけ川に落ちてしまった
深い川で流れも速い。その時周りに誰もいなかったら?

例えば、「ちてきのうりょく」が低いこと
高いところから落ちたらどうなるか
車の前に飛び出したらどうなるか
熱いやかんに触ったらどうなるか
適切な判断ができず、怪我や事故、ひいては死がすぐ近くにある

これらはマジョリティの作る「普通」の概念が崩れようと、一生ついてまわる課題です。
私の弟にも、ずっと。

だから、障害とは「生きる上での障壁」なのだと思います。それは脳の特性であり、周囲の理解不足や偏見でもあり、どちらも含んでいます。
ただ、前者は変えられません。
だから後者と、当事者に働きかける。

周囲に話をしてサポート体制を作って、本人にも寄り添って、そうしたことが出来ている時、私は幸せです。でも抗えない根深い障壁もあって、そこへの折り合いの付け方はまだ分かりません。
きっとその分弟が持っている"純粋さ"、"感性の鋭さ"、"幸福の感じやすさ"は私にはない素敵な贈り物です。
だから「障害をなくせ」はないものねだりなのかも知れません。それでも…ね。

私は、弟と同時に自分も救いたいのかもしれない強欲なお姉ちゃんです。
そんな私が 一つだけ、願うなら

たった一人でもいいから、
家族や支援者以外で弟を大切に思う人が居て欲しい
そして弟を大切にして欲しい

身内だから、支援対象だから、そうではなくて
一人の人として、弟の素敵さを認めてくれる人。
そんな人に出会えたら、この重い心の鎖も粉々に砕ける気がします。

もし最後まで読んでくださった方が居たら、
本当にありがとうございます😢✨

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