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『敵は、本能寺にあり!』 【第一章『蝶鳴く城』】 第一話『疎隔の子』

 ―1582年―
 しとねから起き上がり煙管キセルくゆらせる信長のぶながを、光秀みつひでは寝そべったまま見上げる。
シャープな顎先から流れる美しい輪郭を微睡まどろみの中で眺め、憧憬しょうけいの身を案じた。
ふと注がれた切れ長の視線に彼の心臓は跳ね、無垢な想いが口をく。

「この先何が起きようと、私を信じてくださりますか……」

「無論」
すぐさま返された言葉に、光秀の迷いは消え去る。

 日成らずして、丹波亀山城におどろきし叫号きょうごう――。

「敵は、本能寺にあり!」

 ◇

 さかのぼること二十六年――。

 ―1556年―
 長良川ながらがわ(岐阜)戦いにて信長は、援軍に出向いたものの本陣の合戦には間に合わなかった。
そして正室 帰蝶きちょうの父 斉藤 道三どうさんを失ったのである。
道三に牙を剥いたのは彼の長男であり、帰蝶の異母兄妹いぼきょうだい 義龍よしたつ
帰蝶は人知れず父をしのび、身重みおもの体で涙淵るいえんに沈む。

 戦渦から戻った信長は、いそめく足で帰蝶のもとへと向かった。奥御殿の縁側に座り、風に揺れる鈴蘭の花を見つめる彼女の、弱々しく寂しげな背中に心痛めながら、信長は小さく声を掛ける。

「帰蝶、力及ばず面目ない……」
深々と頭を下げる夫に、「いえ、父上の為に、かたじけのうございました」と赤い目ながらもグッと涙を堪え低頭。

「お父上にも吾子あこの顔を見て欲しかった――」
ぽつり呟く信長の温かな胸に抱きすくめられ、帰蝶の瞳はせきを切る。
二人は確かに、仁愛の心で繋がっていた。

 半年後、帰蝶は湖北こほく(滋賀北東)成菩提院じょうぼだいいんで、男児を極秘に出産。
尾張おわり(愛知西部)家督争いの只中で混迷を極めており、子を宿す帰蝶に危険が及ぶと感じた信長が、彼女を清洲きよすから(愛知北西)湖北の寺へと隠したのである。

 ◇

 信長が家督を継承してからというもの、弟 信勝のぶかつは『当主の居城である末森すえもり(名古屋)両親のもとに育ち、父上の城を継承した我こそ正当だ――』との主張を続け、数年に渡り争いが繰り広げられていた。
確かに信長は傅役もりやく平手ひらて那古野なごや城で育てられており、加えて“尾張おわりの大うつけ”と揶揄される程の奇行も不利に働く。

 平手にしてみれば信長は、小さい頃から頭の回転が速く、人とは違った発想と視点で鋭い質問を投げ掛けてくる利発な子――。
ただ身内を前にした途端、乱暴者となり悪目立ちしたがっているように映る姿は、繊細な信長の、『愛されたい』と願う心の裏返しと捉え、より深く限りない愛情を注ぎ育て上げた。

 “美濃みの(岐阜)マムシ” 道三との和睦を成立させ、帰蝶との婚姻を取り纏めたのも平手だ。
信長と帰蝶の幸せを願い、かたわらで優しく見守り続けた彼の人生は、毒念により、不意に終焉を迎える事となる――。



“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。
この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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