『敵は、本能寺にあり!』 第七話『戦巧者の将たる器』
―1568年―
極めて迅速な動きをみせる信長は、動座僅か二ヶ月で、将軍候補 義昭を奉じ上洛戦を開始する――。
岐阜城を出立し関ケ原を越え、湖東、湖南、山科を抜ければ京だ。
しかし湖東には、信長の上洛を妨害したい六角氏が陣取る。
信長軍は同盟国 三河の家康と、妹 お市が嫁いだ北近江の浅井を援軍に付け、総勢六万の軍勢で攻戦に入った。
出陣前の軍評定で信長は、六角氏が持つ安土の山城の内、本城と其れを守る支城に隊を分ける事を提案する。
「稲葉率いる第一隊は和田山城、可成・勝家率いる第二隊は本城の観音寺城、儂と秀吉率いる第三隊は箕作城に其々布陣――。
戦端で箕作城を落とせば、六角は観音寺城を捨て、逃げるであろう!
城を捨て甲賀へと逃げ込み、小部隊で遊撃戦を仕掛けるは六角定番の策!
だが此度は上洛戦。討ち滅ぼすのが目的ではない。道さえ開けば進むのみじゃ!」
◇
開戦一夜にして秀吉隊が箕作城をあっさり陥落させると、落城を知った和田山城の城兵は戦わずして逃亡。
信長の思惑通り、六角氏は易々と観音寺城を捨て、甲賀へ敗走した。
信長も予想していなかった副産物は、六角氏が城を捨て逃げるのを見た地侍達が、次々と信長に寝返った事だ。
「秀吉ばかりに手柄をあげさせてはおれん!」
信長が秀吉と隊を組んだという事は、絶大なる信頼の証――。此の戦いに於いて、敵が逃げると予想されていた本城に陣取った自身よりも、落とさねばならない支城についた秀吉の方が期待されていると、勝家は焦燥感に駆られた。そして可成に吼えるも、当の徒輩はどこ吹く風と受け流す。
勢いに乗る信長は、可成・勝家率いる第二隊に、次の先陣を命じた。勝家の苛立ちを、良い方向に導かねばならないと感じたからだ。
「可成と勝家に任せたい! 三好が守る勝龍寺城を攻撃せよ!」
六角氏が一日足らずで落城するとは思ってもいなかった三好氏は、慌てふためく中で可成と勝家に攻め込まれ、不承不承ながら降伏した。
斯うして信長は難なく上洛を達成し、叛逆者の三好氏は阿波へと追放されたのだった――。
◇
義昭は朝廷から将軍宣下を受け、『室町幕府第十五代将軍』に就任。赤や白の山茶花が綻び始めた本圀寺に駐屯した。
前将軍 義輝の旧臣らも、幕臣に返り咲く。義輝のもとでも政所執事を務めた晴門は、京の要人との人脈を認められ再任に至った。
将軍就任行事が落ち着くまで、京で過ごす事となった信長一行だが、正親町天皇より、京での濫妨狼藉は控えるよう申し付けられる。
世に横行する“乱妨取り”――戦に乗じて物・金・村人などを掠奪する行為を、信長軍では元より禁じていた。
家臣も盟友も少なかった頃から、敵との大きな兵力差を埋めるため、信長は「褒美はしかとやる。倒れた兵の刀を盗む暇があれば、一つでも多くの首を取れ!」と飛檄。
過去、桶狭間の戦いにおいても、戦の合間に乱妨取りに没頭し油断する今川軍の隙を突き、少兵ながら大将首を取る事ができた。
信長は常日頃から、戦陣での規律を保つ為、「破格の俸禄を与える代わり、一銭でも盗めば死刑に処する」と厳罰を予告している。
“尾張の大うつけ”との異名轟く信長の、正しく導く統率力と礼節を重んじる姿勢に、朝廷も京の人々も意外性を感じるのだった。
慎ましやかに上洛戦勝利を祝う信長軍だったが、其の酒宴の席において、ただ一人不穏な空気を漂わせる者がいた――。
“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。
この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。
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