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『敵は、本能寺にあり!』 第十七話『奸計の応酬』
―1573年―
度重なる異見書に激怒した義昭は『信長討伐令』を出し、其れを皮切りに様々謀略を巡らせていく――。
勅命講和を反故にし討伐令に応じた浅井・朝倉軍と信長軍の交戦中、“最強の猛将 武田 信玄”による家康領への侵攻――“三方ヶ原の戦い”が勃発。
信長は同時多発的な戦闘を余儀なくされる。
義昭の策略とはいえ、信玄自身の意『勅命に違反し比叡山焼き討ちを行った信長への“粛正”』も含まれているとあっては、家康へ義理を欠く訳にもいかず、浅井・朝倉との戦に兵を割きながらも援軍を送った。
また、信玄と上杉 謙信との仲を取り持つ為に奔走していた信長は、自身へ牙を剥いた信玄を“悪逆無道”だと罵り、互いの子の縁談と共に結んだ同盟を手切れとし、婚約も解消――。
ところが、武田・上杉・北条・今川までをも巻き込む騒動に発展した元凶が、彼方此方で信長の名を使い、武田に不利な同盟成立に動いた家康にあるとは、信玄からの怒りの書状を読むまで、当の信長は知らなかった……。
◇
細雪の降る中、伝五が早馬を飛ばし岐阜城にやって来る。
「先の戦いでの武田軍勝利に気を良くした将軍が、近く二条城で挙兵する模様。
未だ事を構える浅井・朝倉、阿波に飛ばされた三好や、暗躍する本願寺の顕如に加え、“甲斐の虎” 信玄、更には西国の毛利も応じる見込み。
信長様を包囲し、権力を弱める計略であろうと、藤孝様より密告がありました」
「義昭……恩を仇で返すか!」
沸々と腸が煮えくり返る信長だが、大きく息を吐き溢れくる怒りを努めて抑え、悔しそうに言葉を継ぐ。
「腐っても将軍である義昭に見限られては、大量離反も免れない。忌々しく不愉快ではあるが、挙兵したらば講和を求めよう。
信玄への報復は機を見て必ず――」
家康への援軍の大将として送った平手の孫 汎秀は、共に援軍として派遣された佐久間勢が早々に撤退する中、武田軍の前に散った――。
信長は目を掛けていた汎秀の戦死に、『見殺しにするとは何たる卑怯者――!!』と佐久間を罵倒し足蹴にする程、悲しみに暮れていたのだ……。
◇
伝五は京へ諜報に戻る途中、光秀や傍輩の左馬助・利三に会いに坂本城へと立ち寄る。
「藤孝の身を案じておる……」
光秀は内通者として暗躍する友を心配していた。
「藤孝様は『政は時の流れを読むことが肝要だからな』と、『私は付き従う者を間違えたのやも知れぬ』と溢されておりました」
「そんな事を……。ならば――」
◇
「将軍の命を受け、大津の国衆が挙兵! 将軍は二条城に籠城との事!」
大方の予想はついていた報せだが、信長は苦虫を噛み潰したような顔を見せ叫んだ。
「光秀と勝家を将に据え、大津の事態を収めよ――!」
光秀の誘いに乗り、幕府を離れ信長の家臣となった藤孝は、勝龍寺城の城主に任じられ光秀の軍に付いた。
信長は予定通り、講和を要望。
『人質を出す』事を条件に画策するが断られ、『嫡男 信忠と共に出家する』との殊勝な申し出までも突っぱねられて、とうとう怒り心頭に発する。
「上洛できたのは誰のおかげじゃ――!
『講和に応じなければ京を焼き払うも已む無し』と忠告せよ!」
◇
麗らかな春の訪れに横槍が入り動揺する京の人々は、焼き討ちの中止を求め信長に銀を献上する。信長は受け取りはせずも下京の町民には情けを掛け、幕府を支持する商人の住処――上京のみに焼き討ちを決行した。
「御所を除き、一間残らず焼き払え! 此度に限り、濫妨狼藉大いに結構!!」
二度と裏切りを許さないと決めた信長は、不断の喚声響く町を焼き払い、次々に城を落としては、悉く義昭を追い詰める。
光秀の密命により、伝五は甲賀の忍び衆と共に乱妨取りを働いた。
そして鎮火した後、『京の町を悪政に沈め、安寧秩序を乱したのは悪将軍 義昭に候』との書に銀貨を包み、気付かれぬよう素早く町人や地下人の懐に差し入れる。
書にはお市付の間者が使用していた あの“揚羽蝶紋”が印されていた――。
“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。
この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。
まだまだ未熟な私ですが、これからも精進します🍀サポート頂けると嬉しいです🦋宜しくお願いします🌈