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『敵は、本能寺にあり!』 第二十四話『驍勇無双の艦』

 ―1578年―
 雑賀さいか攻めを果たした後も依然として膠着状態にあったが、信長は堺と雑賀の間に佐野砦を築き、(大阪泉佐野)雑賀衆の再挙兵に備えた。

 光秀は丹波領の城を次々と落としていく。
しかし、“裏切り者” 波多野はたの丹波篠山たんばささやま 八上やかみ城を攻めている最中さなかも、信長のめいにより秀吉の援軍に加わるなど、転戦を余儀なくされた。

 また折々、謀反者の処理に駆り出される事も……。摂津せっつの荒木が(兵庫南部・大阪北中部)義昭に寝返った際も対応に当たった。
ただ、光秀の説得を受けた荒木は、信長に謝罪するため安土城へ向かうも、その道中で心変わりし、西国さいこくの毛利のもとへ逃亡。

 のように内部の混乱が相次ぐ信長に対し、「今こそ好機だ」と踏んだ義昭は、毛利の水軍を使い本願寺へ兵糧ひょうろうの搬入を始める。

 己が下した判断が、終わりを呼び寄せるとも知らずに……。

 ◇

此度こたびの海戦での勝利、謹んでお慶びをお讃え申し上げ奉ります」
光秀が安土城を訪れ祝いの言葉を述べると、信長は屈託なく得意げな笑みを浮かべた。

焙烙ほうろく(手榴弾)火矢ひや大安宅おおあたけの前(大型軍船)では全く通用せなんだようじゃ」

 ――事の発端は、天王寺砦の戦いの後までさかのぼる。

 足を負傷しながらも勝利を収めた信長であったが、戦いの直後に毛利水軍が敗者の本願寺へ兵糧の搬入を開始したと知る。
無論、供給を阻止するべく海戦を挑んだが、目も当てられない大敗に終わった。

 是に辛酸を嘗めた信長は、“志摩しま(三重南部)海賊大名”である家臣 九鬼くきに命じ、数多の大砲と鉄の装甲を備えた巨大戦艦 大安宅船おおあたけぶねを七そう建造させた。

 そして毛利水軍が再び茅渟海ちぬのうみへと(大阪湾)やって来るのを、虎視眈々と待ち構えていたのだ――。

 ◇

 雪辱を果たす絶好の機会がやって来た事にほくそ笑む信長は、巨大戦艦七艘を志摩から茅渟海ちぬのうみへ配備させ、本願寺に通じる川の河口部を完全封鎖した。

 片や毛利水軍は、六百せきで襲来――。
得意とする火矢ひや焙烙ほうろく(手榴弾)射程内に陣取ろうと、巨大戦艦に近付き取り囲んだ。

 しかし鉄の装甲を備えた巨船に、大量の炮烙や火矢を浴びせたとて燃えるはずもなく、大砲で一斉射撃された六百の小さな船は、海の上へと木っ端微塵に吹き飛んだのだった……。

 毛利水軍は再起不能の惨敗を喫した。その影響により、顕如けんにょは本願寺を退却――。本願寺が持つ強大な領主権力も、顕如退却と共に完全に失われたのである。

 ◇

安宅船あたけぶね紀伊きいの海を渡る折、雑賀さいかの船団は目の前を過ぎゆく巨船を、ただ唖然と見送っておったと聞きました」と光秀が続けると、信長は微笑んだのち、改まった顔つきで瞳に力を込めた。

「あぁ。――ようやくじゃ。これでようやく西国さいこくに打って出れる。可成よしなりの討死に始まった本願寺との長い戦いが、ついに終わったのう……。
光秀には無礼を致した。頼りにする余り、彼方此方あちらこちらへと呼び寄せ――。其方そなたとこに臥す程に。
伴侶が亡くなったというのに、わしは思い遣る事もせず……悪かった。
面目ない――」
平伏する信長に、光秀は目を白黒させ真面まともな言葉を失う。
頭を上げた信長は、威儀を正して告げた。

「丹波平定の為、大軍を与える。
光秀、一点に集中せよ――!!」

 ◇

 物騒な会話を繰り広げる彼らを気にも留めず、帰蝶きちょうは心を込めて大小様々、色とりどりの紙風船を折り続けていた。
宣教師より贈られたボーロやコンフェイト(金平糖)などの南蛮菓子を、紙風船の中に忍ばせて――。



“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。
この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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