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『敵は、本能寺にあり!』 第二十七話『死を以て一分を立てる』

 ―1582年―
 信忠は二歳になる嫡男 三法師と、側室 寿々すずと共に岐阜城で暮らしていた。
帰蝶きちょうの弟であり、信忠の側近となった 利治としはるが、娘の寿々を側室入りさせたのは、三法師の養母とする為だ。
三法師の生母は公にされていないが、言わずもがな信玄の娘 松姫まつひめである――。

 信忠と松姫は帰蝶の取り計らいにより、信濃しなの(長野)木曾谷きそだににて逢瀬を重ねていた。
しかし両家の対立により、松姫が岐阜城へ輿入れする事は叶わず、信濃の高遠たかとお城で兄 盛信もりのぶの庇護のもと暮らしている。

 ◇

 睦月の凍える早暁そうぎょう、信忠は護衛と共に安土城の信長のもとへ向かった。

木曾谷きそだにの木曾 義昌が、武田家当主 勝頼の課す、新府しんぷ城築城の為の常軌を逸した年貢や賦役の負担に失望し、調略に応じました」

「それは誠か? 義昌の正室は勝頼の異母妹いぼまい 真理まり姫であろう。罠に掛かってはおるまいな」
いぶかしむ信長に、すくむ事なく信忠は続ける。

「家康殿が駿河するが(静岡中部)城を取り戻したいくさにおいて、最後まで援軍を送れず落城を許した勝頼の声誉せいよは地に落ちたと聞きます。
家臣の心はうに離れておるかと」

「であるか。長篠城の攻防戦で対峙した、勝頼信玄の息子の求心力の無さにはわしも驚いた。信玄亡き武田は放っておいても腐り果てると思おたほど。
りとて完膚無きまでに叩きのめしたが、まだ家康に対抗しようと新府しんぷ城を築城……、勝頼はつくづく愚かじゃ。
父親の信玄は『人は石垣 人は城 人は堀 情けは味方 あだは敵なり』と、甲斐かい(山梨)領内に城は建てず、館に居を構えたそう。
『攻撃こそ最大の防御なり』と、人の心を掴み、人を育てる事には金と労をいとわなかったと聞く。この違いには敗戦後も残ってくれた家臣とて、猜疑と不忠の塊であろう」

 ◇

 くして木曾が織田方に付いた事で、武田は防御壁を失ったも同然。
木曾の正室 真理姫は、武田の粛清を恐れて幼子おさなごを連れ逃避。
同母弟妹の居る高遠城にだけは迫り来る敵襲を報せたが、夫への最後の情けとして、異母兄いぼけいであり武田家当主の勝頼には報せなかった。

 真理姫からの報せを受けた高遠城では、盛信もりのぶが松姫に八歳の嫡男と四歳の姫君を託す。

「兄上も共に甲斐へ参りませぬか! この城は真っ先に狙われますゆえ!」
松姫は兄を想い哀願した。
破談になり悲しむ松姫を優しく励ましてくれたのは、真理姫と盛信だった。
松姫と信忠の逢瀬も、彼女が子を宿した時も、ずっと見て見ぬ振りをしてくれていたのだ――。

わしは信玄の息子。落ちぶれても武田の武将じゃ。木曾が離反とあらば、高遠城は対織田の戦線。父が愛した甲斐かいに攻め入られぬよう、この城を守り切る! 松姫、達者に暮らせよ。子らを頼んだぞ――」

 そんな高遠城内の混乱を見た家臣の一人が、新府城の勝頼のもとへ走ってしまった事に、盛信は気付いていなかった……。

 ◇

 松姫が高遠たかとお城から避難して、一ヶ月後――。
信長のめいにより朝廷に働きかけていた光秀から、『武田討伐』の大義名分を正親町おおぎまち天皇勅命として得たとの報せが入る。
「若い軍が出陣する。大将 信忠をよく補佐せよ」と、信長より重臣へお達しが下った。

 軍評定いくさひょうじょうでは、信忠が大将として声を張る。
相模さがみ(神奈川)小田原城より北条氏、浜松城より家康様が、新府しんぷ城を挟撃!
私の軍は岐阜城より美濃みの南部の岩村城を経て、木曾谷と高遠城の二手に別れ先陣する! 父直属の本隊は私の後に続く!」

 黙って聞いていた信長も、最後に皆を鼓舞。
「民こそが宝――! 民の生活を顧みぬ将は断固討伐せねばならぬ! 天下を平らかにするのじゃ!!」

 ◇

 一方、木曾家謀反の報せを受けた勝頼は、人質として預かっていた木曾の身内を処刑し、木曾谷へ討伐軍を派遣。
しかし信忠軍の別働隊が既に到着しており、瞬く間に撃退された。

 かつて勇猛果敢だった武田の家臣は、次々と戦わずして城を捨て寝返り、血縁筋さえも平然と裏切りを働いた為、信忠軍は二手とも易々と高遠城まで辿り着く。
松姫の兄 盛信もりのぶに少なからず恩義を感じている信忠は、城を包囲しながらも“開城と降伏”を何度も要求。
しかし盛信は応じず、遂には使者の鼻と耳を削ぎ落とし返して来た。

 ――松姫の心を想えば、何としても盛信には生きながらえて貰いたい。しかし同じ武士として、彼の覚悟も痛い程分かる。
信忠は迷いの中、信長の言葉を思い出す。
『心と気を働かせて行動すれば、物事は好転する。与えられた役目を全うするだけでなく、自分で模索し創造しなければ、価値ある者にはなれない』

 冬空の下、信忠は心を鬼にし、三千の城兵に対し三万の軍隊で総攻撃を開始。
大激闘の末、血に染まる高遠城が落ちると、盛信は腹を掻き切りはらわたを壁に投げ付け、死に果てたのであった――。



“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。
この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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