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無職になって幸せになった

どうも、無職です。

トップ画像はセミの抜け殻です。

日本に来て最初の夏は、「これがよくジャパニーズドラマや映画で流れていたセミってやつ!想像より10倍くらいうるさい!」と感激しました。今はセミの存在にも慣れたもので、蝉の死骸を踏まないように怖々歩いています。

5年勤めた会社を退職してから2ヶ月が経ちました。

もともと数年前から辞めることを考えていたのと半年前からリストラ宣告されていたのでなかなか仕事にやる気が出ず(自分の代わりに雇われた人材の教育係をしてたのだから出るわけがない、と言い訳させて)オンラインお別れ会で泣きながら別れを惜しんでくれる同僚を尻目に、退職が嬉しくてニヤニヤが抑えられないくらいだったわけなのですが(最低)、それは「辞めた後は母国に帰れる!友達と家族に会える!」と思っていたからなんですね。

ところがコロナの影響でワクチンを打ち終わるまでは帰るのが難しい、といいうことになり(詳しくはこちら)住んでいる自治体では1度目のワクチンの予約が9月頭まで取れないことが発覚して。最初の1週間はショックで食事も喉を通らず、睡眠も取れず、体調を崩してしまいました。(余談ですが私は食べることが大好きで40度の熱があってもモリモリ食事を摂る人間なので、食欲がないというのは大事件です。なのに全然痩せてなかった。なんで?)

ですが大事な人に会えない寂しさは世界中どこもみんな一緒、と思うようにして、とりあえずやってみたのです。

思い切りダラダラを。

積読していた本を読んだり、昼寝したり、気になっていたアニメを一気見したり、パンを焼いてみたり、ゲームしながら寝落ちしてみたり、目的もなくフラフラと散歩に出掛けてみたり(もちろん一人で、マスク有りで)

「何もしなかった」なんて日があると今までだったら罪悪感が湧いてきて辛くなっていたのですが、何せ無職なので、何もしなかったとしても明日がある。そして、明日も何もしなくてもいい。ノルマも無いし締め切りもない。「やらなくちゃいけないこと」が無いってこんな気持ちなのか。

毎日一人で過ごしているので、クラスメイト、友達、同僚、先輩、娘、妹といった役割や名称が何もない、ただの私として自分と向き合っています。こんな貴重な機会って長い人生でもなかなか無いと思う。

そして努力し続けていないとダメになる、もっと上を目指さなきゃ、という気持ちが緩やかにほぐれていって、「何もしない自分」「何者でもない自分」を受け入れられるようになり、もしかしてこれが幸せというものなのかな、とふと思ったのです。

今まではニートという存在がとても嫌いで、働かず毎日ダラダラして親の金を食い潰して、よく平気な顔していられるわね!と思っていたのですが、撤回します。人に迷惑かけないならニートって最高です。

とはいえ、以前似た状況に置かれた時(会社がつぶれて賃金が支払われず、薄給だったので貯金も少なかった)は職探しに奮闘した覚えがあるので今の平穏は貯金ありきです。お金って本当に大事!!!!!

職探しもしているのですが、あまり焦らなくても良いか〜、とのんびり構えています。2〜3社に応募して、面談して、落ちて、次行って、というスローペースです。

今までも結構バラバラな職種だったし今も自分にとって面白そうかどうか、だけで判断して応募しているのでキャリアカウンセラーやリクルーターが「君は何を目指しているの?何がしたいの?」って聞いてくるけど、そんなの分かったら人生苦労しない。

それはそうと、人と全く関わらない日がこうも続くと刺激が少なすぎるのか、最近は寂しいという感情もあまり沸かなくなりました。完全なる孤独、意外と快適かもしれない。

#私らしいはたらき方

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