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最終出社日

先日、産休前の最終出社日を迎えた。体調が決して良くない中、ギリギリまで忙しかったこともあり、“あと〇〇日…!”と指折り数えていたくらいには、この日が待ち遠しかった。

新卒として入社して5年弱、ノリノリで仕事をしていた時もあれば停滞期もあったが、総じて密度の高い時間を過ごしてきた。若さに任せてノンストップで走ってきた部分もある。今や社内での自分の地位をある程度確立し、案件に貢献している自負心もそれなりにあった。案件によっては辛い局面もあったが、それなりに楽しめる程度には心の余裕もあった。

だが、ここ最近は忙しさに妊娠中の慣れない体調不良も相まって、早く休みたい、解放されたいという気持ちが大きかった。仕事に対するモチベーションや今のうちにできるだけのことをしておきたいという気持ちも僅かにあったが、それ以上に、身体が追いついていかないしんどさが際立ち、無理をしてはいけないという危機感も大きかった。

ようやっと迎えた11月某日。清々しいが少し落ち着かない気分で職場に向かった。終業式や卒業式の時の通学にちょっと似ている感覚だった。いつもの道のりも、見慣れたオフィスも、少し名残惜しいような、しかし学校に行くわけでも仕事をするわけでもない新しい暮らしを前に高揚していた。柄にもなく、自分のオフィスビルを見上げて深呼吸してみたりした。

だが、最後まで残っていたわずかな仕事を片付けるころには、高揚感は抜けて、すっかりいつものモードになり、今日が最終日という実感が吹き飛んでいた。明日も普通に仕事をする気がしていた。

ところが、午後になって、出社していた同僚や上司に挨拶して回り、あらかじめ準備しておいた休職の挨拶メールを社内に一斉送信すると、途端に自分が執務エリアに座っていることに後ろめたさが襲ってきた。メールを送った瞬間に、今この場にいる資格がないような感覚になり、自分でもとても驚いた。急に目の前に休職が現れた感じだった。

出入りの激しい業界なので、退職やら休職やらで全社に挨拶のメールが飛び交うのは珍しくない。私のメールも面識のない同僚からしたら、ふうんという感じでゴミ箱行きだ。一方で、メールを見て私の妊娠を知り、温かいメッセージを送ってくれる上司や後輩もたくさんいた。直接席まで声をかけに来てくれた人もいた。とても嬉しいことのはずなのに、執務エリアの中で自分だけが日常を離れ、離脱に向かっている違和感に急に居心地が悪くなってきてしまったようだ。

居心地の悪さを押し殺して超特急で最後の片づけを行い、まるで逃げるように、私はPCやスマホなどの貸与品を返却すべく総務部に向かった。これまでに何人もの退職者・休職者の対応してきたであろう総務のおじさんは、慣れた手つきであっという間に手続きを完了させてしまった。

あらゆる貸与品を返却した今、ここの従業員であることの証明を失った私は、社員用の通用ゲートから出ることもできない。総務のおじさんにゲートを開けてもらい、私はただの妊婦さんとして下界に解き放たれた。
「大変お疲れ様でした。」
という総務のおじさんの見送りが妙にくすぐったかった。

帰り道はとにかく落ち着かなかった。単なる休暇であれば、直接の連絡を遠慮してもらったとしてもPCとスマホを通じて仕事の状況が把握できたが、もはやそれもない。糸の切れた凧のようにひゅるるーと吹き飛ばされて街を彷徨っているみたいだった。

ずっとこの日を待っていたはずなのに、気分は決して晴れやかではなかった。しかし寂しいとか不安といったマイナスな気持ちでもなかった。ただただ、仕事がなくなった今この状況に違和感があり、所在ない心地だった。

会社を辞めたかった人はもっと清々しい気持ちなのだろうか。次の職場や新しい生活に思いを馳せてワクワクしているのだろうか。或いは、辞めたくないのに泣く泣く退職するような人だったら、もっと悲しい気分なのだろうか。社会とのつながりがなくなるといった不安はよく聞く話だ。

本当にメールを見なくていいのかしら、チャットに返さなくていいのかしら、とできもしないのに仕事の進捗が気になる感覚は2、3日続いた。しかし、今となってはもう休職者の身分にも慣れたものである。ごくたまに、プライベートのLINEを教えておいた仲のいい同僚から他愛のない連絡が入ったりするが、もう頭は出産に向けて完全に切り替わった。自分の適応力というか、人間の順応性に驚いている。

出産後しばらくしたら、また仕事をする日常が戻ってくる。育児は仕事とは違う大変さがあるだろう。その中で復職日をどのような気持ちで迎えるのだろうか。想像がつかない。でも、その時にこの最終出社日のことを思い出して、ふふっとなれたら良いなと思う。

#エッセイ #仕事 #妊娠 #働き方 #産休 #育休 #休職 #最終出社日

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