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E先生との思い出

私は某私立女子校の出身である。

母校は幼稚園から大学院までそろった一貫校でありながら、高校卒業後はほとんどの生徒が他大学に進学するという学校だった。漏れなく私も大学受験をし、青春を謳歌しつつも、高校3年間は受験色の強い日々だったように思う。

私の女子高生時代については、担任のE先生なくして語ることはできない。毎年クラス替えがある中で、私は高校の3年間、ずっとこのE先生が担任だった。

E先生は、私たちを送り出すと同時に定年を迎える大ベテランの先生で、子育てをしながら30年以上この女子校で教鞭をふるった女の先生だった。竹を割ったようなさっぱりとした性格で、優しすぎず突き放さずの距離感がとても心地よい先生だった。

思春期の子供たち、特に、大学受験を控えた高校三年生は、進路のことで親と仲たがいする子、心身の不調をきたす子等、いろいろと難しい状況がある。E先生は、寄り添いつつも決して甘やかさない方だった。少し冷たいと受け取る人はいるかもしれないが、先生は私たちが自分で考えて自分で決めていくことを重視していらしたように見えた。私を含め、多くの生徒がその温かくも厳しいやり方をありがたいと思っていた。E先生は、教師と生徒という上下の関係はありつつも、ある種、個人として生徒それぞれのことを対等に見てくださっていたように思う。

私は、進路で悩んでE先生に相談したり、というようなことは少ない生徒だったので、どちらかというと先生とは淡々とした関係だったと思う。元々私はストレスを溜め込まない性格だったこともあり、個別面談の時にも

「何か相談したかったら言いなさい。あなた、先生に言えない、とか尻込みしちゃうタイプじゃないでしょ。」
と、あっさりとした感じだったのを覚えている。

間違っても
「先生は味方だからね。一人で抱え込んじゃ駄目よ」

などとウェットな寄り添い方をしてくる先生ではなかった。親とも比較的良好な関係だった私は、敢えてE先生が一歩引いて見守るスタンスを取ってくださっているように感じ、私のことを信頼し、親と私の関係を尊重されている感じがして、心地よかった。

そんな先生との関係だったが、一度だけ、相談してもいないのに成績のことで声をかけられたことがある。高3の秋、模試の結果が返却された日のことである。

得意の英語の成績がすごく悪い。そして他の教科も全体的に芳しくない。あれ、この時期にこれはやばいぞ、と冷静に思えるくらいにやばい。ちょっと立て直さないとな、と悶々と考えながら帰ろうとしたとき、別の生徒達と喋っていた先生が通りすぎようとした私に声をかけたのだ。

「ちょっと、あなた、今回珍しいわね。どうしちゃった?」

「あー、あはは、、、どうしちゃったんですかね」

「国語やりなさい、国語。多分それで一気に英語は戻るし、ほかの教科も上がるわよ」

私はたいそうびっくりした。そのころの私は、国語はもともと点数が安定していたため注力せず、その分の時間を数学の底上げやら英語やらに充てていた。それを先生が知る由もない。

時間にしてわずか10秒程度のやり取りだが、10年近く経った今もよく覚えている。その後、勉強時間のウェイトを見直して国語をおろそかにしないようにした結果、翌月には国語の成績が劇的に上がったのはもちろん、低迷した英語が回復した。翌月の模試の返却日、先生は帰り際の私に

「よかったじゃない、戻って」
とだけ言って微笑んだ。

悲喜こもごもの受験を終えた3月、卒業式を前にE先生がクラスに向けて贈った贐の言葉は、

「夢は諦めていいのよ。その夢にこだわる必要はない。でも次の夢をちゃんと見つけなさい。常に何か夢は持ち続け、それに向かって邁進しなさい。これからの皆さんの人生が、前向きで、豊かなものでありますように」

だった。
受験がうまくいかなかった私は、この言葉に救われたのをよく覚えている。綺麗事を言わず、優しい厳しさを持ったE先生は、最後まで先生らしい言葉で私たちを叱咤激励してくださった。

#エッセイ #卒業 #大学受験 #高校生 #恩師 #忘れられない先生

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