【光る君へ】第16回「華の影」
1030年ごしに窘められる
今回は「光る君へ」関連番組から紹介する。
まずは2024年4月20日放送「土スタ」。
藤原道隆役の井浦新さんがゲストで登場。
お話に入る前に流れた、番組スタッフが編集したダイジェスト映像「藤原道隆の歩み」は、主役がほとんど登場しないにもかかわらず見ごたえ十分。さすがは大河ドラマである。
井浦さんは「歩くマイナスイオン」と形容されていた。ひと目見るだけで穏やかで優しく、周囲の人をなごませる大らかなお人柄がうかがえた。『枕草子』に登場する「関白殿」そのままのイメージ。それだけに最近の道隆が”身勝手な独裁者”キャラになりつつあるのは悲しい。大石先生は『枕草子』をあまり評価していないみたいだし…。
共演者からのビデオメッセージは、道兼の「自分の周りに波風が起きても、凪にしていける」もよかったが、何と言っても北の方!さんざんのろけた挙句、「(大酒飲みなので)身体のことが心配なんですけれど。飲みすぎです。」とピシャリ。
関白殿、1030年ごしに北の方に窘められ給う、の巻だった。深酒による糖尿病から早い死のしわ寄せは、結局定子さまに行ってしまうのだから、もっと早く進言して差し上げて…。
続いて4月21日Eテレ放送の「イモヅル式に学ぼう!NHKラーニング 学ぶ君へ」。
過去に放送された平安時代の文化風俗を解説する番組VTRを紹介しつつ、ゲストに招いた「光る君へ」出演俳優のトークを交える番組。
今回は2回目で、花山院と忯子さまがゲスト。「貝覆い」の遊びが紹介された。ゲーム実演もして、「これは先攻圧倒的有利ですね」と仰せの花山院の勝ち。忯子さまにも「お上の勝ちでございます!」を言ってほしかった。
とはいえ、本編では白い寝間着姿で手首にひもを巻かれるシーンと、妊娠中の体調不良で床に臥すシーンしかなかったから、笑顔で明るい声の忯子さまには安堵する。花山院はまだ本編で出番があるはず。
この番組は2024年を通じて不定期に数回放送予定らしい。次のゲストは惟規とさわと予想している。
香炉峰の雪
第16回本編の話に移る。
前半はお待ちかね「香炉峰の雪」エピソードの登場。テレビドラマでは初めての実写化だそうで、ファンの歓喜、感涙の声がネットにあふれた。私も感無量だった。この場面は後々映像資料としても使えるだろう。
『枕草子』の記述では、雪がとても高く降っている日に女房たちが御格子を下げて、炭櫃(すびつ)の火で暖まりつつおしゃべりしていた時のこととしているが、本作では登華殿で一条帝と中宮の御前を公任・斉信・行成が訪れた日としている。香炉峰の雪の問いかけのみならず、華やかな平安貴族文化のエッセンスを描く場面である。
行成は帝の麗しさに心奪われつつ『古今和歌集』の写しを献上する。後世加賀前田家が蒐集して関戸家に伝わった「関戸本古今和歌集 伝藤原行成筆」が現存するという。
本作での行成は、男性に対して恋心に近い憧れの情を抱く一面が描かれている。清少納言との「逢坂の関」詠歌応酬は取り上げるかどうかまだわからないが、バイセクシャル的なキャラクターに仕立てる狙いがあるだろうか。
斉信は越前からの鏡を中宮に献上する。越前とは、敦賀港に出入りする宋の商人を連想させる。
「斉信殿は、女子への贈り物に慣れておられるのやも。」
「そのようなことはございませぬ。」
ここで1カット、清少納言がどこか複雑な表情を浮かべる姿を挿入している。
続いて「香炉峰の雪はいかがであろうか」に移るが、私が着目したのはこれ。
『枕草子』の「清涼殿の丑寅の隅の」に出てくる、桜の枝を挿した瓶をふまえているのだろうか。
本作では清涼殿を登華殿に変えている。雪の季節だから、多分造花なのだろう。この時代、既に造花の技術があったらしい。もしくは早咲き品種か。
開かれた後宮
うす日が射す、”いとをかし”な雪景色を眺めた参加メンバーは庭に降りて雪遊びを始める。さすがに帝や中宮と臣下の直接のふれあいは当時ありえず、現代的演出だろうが、実際にも定子はただ奥に鎮座するだけに飽き足らず、御簾近くまでお出ましになることがしばしばあったという。后として、これは型破りの行動だった。
清少納言はじめ、女房たちに手紙を投げて渡すこともよくあったという。(山本淳子・著「枕草子のたくらみ」朝日新聞出版・2017年より)若く可愛らしく、朗らかで時に茶目っ気もあり、生き生きと行動しつつ、巧みに女房たちを統率する中宮の姿は周囲を魅了しただろう。
ドラマで中宮が斉信に雪の球を投げたのはその発展形としての演出だろうか。金田哲さんのチャンネルによれば、中宮様は雪の直球を投げ込んできたらしい。実は剛速球ピッチャーだったのか。
定子は、今の言葉で言えば「開かれた後宮」を目指したのであろう。それは関白道隆率いる実家の威光を示すというよりも、今でいう多動性知的障害が疑われる冷泉帝・右大臣藤原兼家と反りが合わず(ドラマでは毒で身体を弱らせたとしていた)、懐仁親王(一条帝)立太子により身を引く形で退位した円融帝・変わり者かつ子供っぽい性格を突かれる形で、兼家の都合により退位させられた花山帝と、皇室への信頼が揺らぎかねない状況が続いたゆえ、一条帝の御代ではまず貴族たちの信頼を回復させて、さらに村上帝時代の華やかさを復活させる狙いがあったとも考えられる。
兼家はじめおじさん貴族が鬼籍に入った今だからこそ、思い切った改革ができる。若い貴族たちと細やかなコミュニケーションを取り、風通しをよくしておけばwin-winの状態を長く続けられると踏んだのだろう。そう考えていくと「中関白家は、帝との親密さを殊更に見せつけた。」の冒頭ナレーションにはどこか棘があり、中関白家を意図的に下げて描く制作スタンスが透けて見える。
伊周うるさい
すぐ戦国三英傑がらみや幕末志士をやりたがるゆえ、私が生きている間にはもう映像化されないであろう”お宝場面”だけに、伊周の出しゃばりぶりは公任ならずとも鼻についた。お上と中宮が雪遊びしている時くらい、少しは気を利かせなさいよ。
公任は「帝の御前で、伊周殿のあの直衣は許し難い。」と指摘していたが、上記の「かなふみ」をよく見れば、伊周が着ている直衣は薄い桜色とわかる。多分”桜の襲(かさね)”だろう。これも「清涼殿の丑寅の隅の」を意識しているのだろうか。
すなわち、伊周は現に桜の直衣姿で主上に謁見している。斉信のセリフ「帝がお許しになっているのだから」の裏付けになっている。
伊周は前回の弓比べ(『大鏡』記載の話をアレンジしたもの。『大鏡』の記述自体、史実ではないとも言われている)でも、道長を挑発した挙句に墓穴を掘ったという役回りにしていたが、ここまで「道長を泰然自若の大人物に見せる」演出があざといと、やはり制作サイドは中関白家にあまり敬意を持っていないのではないかと疑わざるを得ない。
伊周の生意気ぶりに関しては、母親が以下(Spotify)で育て方を悔やんでいる。
クラゲの骨
ここで腹を立てても致し方ないので、ちょっと良い話をいくつか取り上げてみたい。
今回から成人の藤原隆家が登場。雪遊びには全く興味を示さなかったが、後日兄・伊周から帝の御前で舞うように命じられ、清少納言の扇を取って舞を披露する。この舞姿は溌剌としていた。兄のはしゃぎぶりを一歩引いて見る姿勢を持ちながら、内裏で放火騒ぎが起こると「女院かもな(藤原詮子のしわざではないか)」と短絡的に決めつける危うさもある。
『枕草子』には隆家が姉の中宮のもとを訪ねてきた時のことが記録されている。以下要約する。
この話は「はだかの王様」の如く、もっと人口に膾炙してよいと思う。現物を見せるのでなければ、いくら口で魅力を説いても相手に伝わらない。清少納言は幼い頃父について周防まで船旅をしているので、クラゲの実物を見ていて、骨がないことを知っていたのだろう。
「実物を見せずに、ただすばらしいと言うだけじゃわからないでしょ。」
という意味の、清少納言のウィットに富んだツッコミに、興奮気味にしゃべっていた隆家はハッと我に返り
「確かに、骨を持ってこなければ伝わらないね。少納言よ、他人から指摘されたというのは恥ずかしいから、これは自分が言ったということにしてくれないか。」
と、頭をかいたのだろう。
隆家が質のよい骨をゲットしたこと自体は嘘ではなさそうだが、特殊詐欺や怪しげな宗教勧誘が横行する昨今、”うまそうな話”を聞かされたら心の中で「それ、クラゲの骨!」とつぶやく習慣を身につけるのもよいかもしれない。
1028年後の「言はで思ふぞ」
「光る君へ」公式ホームページで、ファーストサマーウイカさんのインタビューが掲載された。その中で、定子さまに関するとてもよいお話がある。大河ドラマの公式サイトは放送終了後数ヶ月で消えてしまうと思われるゆえ、勝手ながら引用の形とする。
996年にわけあって、清少納言が長く出仕をやめて里下がりしていた時、定子から紙20枚と高麗ばしの畳(かつて清少納言が「これがあれば私の心は慰められます」と定子に話していたもの)を贈られて再出仕を促され、さらに「言はで思ふぞ」と書かれた山吹の花びらを贈られ、意気に感じて復帰したという話とどこか重なるではないか。定子さまは1028年後によみがえっても定子さまだ、と心温まる。本当に、良き演者に恵まれた。
ちなみにウイカさんは、クランクインの頃NHKの食堂で、デザートのスイカをお目当てにしつつ注文したところ、そのメニューにはスイカがついていなかったので、ショックで騒いだことがあったという。吉高さんが「あっ、うちの子だ」と気づいて、スイカを分けてあげたとネタにしているので、ウイカさんの面目躍如といったところか。
高畑さんもウイカさんも「枕草子は、良くも悪しくも”盛られて”いる。枕草子に書かれていない面をどう表現していくかが、役づくりのポイント。」とお話されているが、もう少し長く「定子サロン」を見せてほしいと、正直思う。
愛は愛、政は政
後半は994年の疫病流行について描く。「光る君へ」の企画は2022年、コロナ騒動が落ち着きつつあった時期にスタートしている。制作スタッフは主役を紫式部に決めて、まず生きていた時代を調べたら疫病流行が記録されていたので、これは脚本に使える、今の世にも通じるメッセージを出せると考えた、といったところか。
一条帝は奏上に来た関白に懸念を伝える。「さような汚らわしきこと、お上がお知りになるまでもございませぬ。比叡山に読経を命じております。」と言う道隆に対し、帝は唐で編纂された『貞観政要』を引用して、「隋が滅びたのは兵の備えを怠ったからではない。民をおろそかにし、徳による政を行わなかったからであると書いてある。朕はそのようになりとうはない。」と応じる。
この場面は「布マスク2枚で国民の不安は解消されます」とほざいた官僚や、「がんばっている医療従事者に応援のメッセージを送りましょう」とのたまう政治家などに向けた散楽的風刺にもなっていると、どれほどの視聴者が気づいただろうか。
一条帝は身体つきや顔つき、たたずまいのみならず、内面も大きく成長された。ただ学問を修めるのみならず、学んだことを自分の中に落とし込み、わが物とする力が備わっているとうかがえる。
一方、定子に対する愛とまごころはゆるぎない。”優しいお姉さん”でいてくれて、自分の核心を作ってくれたからこそ、今度は朕が定子を心から愛し、護り抜いていこうと決意しているのだろう。その姿勢は紛れもなく母譲りである。
ドラマでは教育ママ的な面しか描かれなかったが、映像になっていないところで、人を愛し慈しむことの大切さや父帝の話などを丁寧に聞かせていたと想像できる。ゆえに母が関白と不仲で、妻がそのあおりを受ける形で母に嫉妬されている現状に、深く心を痛めているだろう。
道隆は「一日も早く皇子をおもうけくださいませ。それこそが国家安寧の源でございます。」と言う。帝も定子も、もちろん子供は早く欲しいと思っているが、それはあくまでも自分たちの愛情が先にあってこそ。結果として義父の政に役立つのならばそれに越したことはないが、義父の思惑が先にあって、そのために子供を作るというのはどこか違うのではないか、と考えているだろう。愛は愛、政は政。夫として定子を慈しむ心と、国の長として民を慈しむ心は並び立つもの。帝のお心の中ではその線引きが既にできている。
汚れ仕事は
感染が広がり、これまでの感染症よりもたちが悪いと気づいた道兼と道長は対策を取ろうとする。
道兼は内大臣就任の挨拶に来た伊周に、疫病に対する見解を尋ねる。しかし伊周は全くの他人事といった返答をする。道兼はそれを聞いて腹をくくる。
道長は関白に交渉を試みるが、全く埒が明かないので、自ら悲田院(疫病患者収容施設)へ視察に行こうとする。廊下で会った道兼にその旨を伝えると
「やめておけ。汚れ仕事は、俺の役目だ。」
兼家の教育や指導が、その思惑とは逆の形で実を結んだ。兼家は道隆を、あえて汚い面や苦労する面を見せずに育てた。その結果、道隆は平時では専横で、家族以外に人望が得られず、有事には全く対応できないタイプのリーダーに育った。しばしば水を飲み、陽射しの眩しさに目がくらむ姿も描かれたが、糖尿病の進行を暗示させると同時に、父から与えられた”光”の役割が重荷になってきたことも示しているのだろう。
対して道兼には汚れ仕事だけを押し付け、どれほど恨まれようとも冷徹にその方針を貫き通した。兼家としては、自分の策略がどこかで失敗すれば、その犠牲にしても構わないといったところだったろう。寛和の変の時の指揮ぶりにその姿勢がよく現れていた。しかし道兼を長年苦しめた逆境こそが、有事の際には大きな力となる。
道兼は悲田院に向かい、後から道長も合流する。そこで見たものは、想像を絶するひどい状況だった。二人が強い死臭に袖を覆いつつ薬師に状況を尋ねたところ、「内裏には幾度も申し出ているが、何の対策も取ってもらえない」と訴えられる。
貴族は感染しないという主張は、ある程度理にかなっている。屋敷が広いので密を防げるし、建築技術があまり発達していなかったので、普段悩まされているすきま風も換気に効力を発揮する。その当時で栄養のあるものを食べられるし、現代のように清潔一本鎗でもないから、免疫力もある。物忌みや方違えの習慣も有利に働いただろう。しかし、相対的に庶民より有利な条件を持っているというだけで、絶対にかからないはずはない。「下々の者の暮らし」を実際に見ている道兼や道長は、その点にも気づいたのだろう。
掛詞かよ!
終盤は大石先生の「ご趣味タイム」に入るので割愛する。いとは「姫さまと大納言さまは深い仲ではないか」とすぐに気づいたようだが、為時はまだ半信半疑だった模様。天下の大納言様がペーペーのわが家の娘とつきあっているとはにわかに信じがたいし、もしそれが事実だった場合はこの家が取りつぶされかねないと、肝を冷やしていただろう。頃合いを見てお礼を言い、「大納言様には、朝廷での重いお役目がございましょう。この先はわが家で娘を看ますゆえ、お帰りくださいませ。」と帰宅を促す。
朝、土御門殿に帰宅した道長は、倫子の出迎えを生返事ひとつでスルーしてしまう。まひろが意識を回復するまで見届けられなかったことが気がかりなのだろう。倫子は赤染衛門に「ゆうべは高松殿でございましたか」と声をかけられると、小麻呂をなでつつ
「殿のお心には、私ではない、明子さまでもない、もうひとりの誰かがいるわ。」
と言い、陰影の深い映像でフフフフフとダークな笑い声を出す。
「華の影」という今回のタイトルは、そっちの意味も兼ねているのか!掛詞かよ、ダブルミーニングかよ。(直秀の口調で)
冗談はともかく、道長にしてみたら彰子や、前半に登場した家族のシーンで抱っこしていた赤ちゃんにうつさないためでもあるのだろう。
一方倫子は、”もうひとりの誰か”が如何なる人かも気になるが、もともと自分の方から好きになって申し込んだ結婚だったという経緯を思い返しつつ、「私は殿の一番の女子ではない」という現実を改めてつきつけられて、自嘲したくなったのだろう。父が今わの際につぶやいた「不承知」の声も、改めて頭の中をよぎったのではないか。
SNSでは「名探偵倫子さま、怖い!」と盛り上がっているが、道長に事情聴取しても「兄上と悲田院に行き、疫病の者を看病していた。」と言われたら、「何も、殿がなさらずともよろしいではございませぬか。もし殿にうつったら、私や彰子が困ります。」とは返せても、それ以上は追及できないのではないか。
※本稿のタイトル画像はyukarimurasakiさんのイラストを使わせていただきました。
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