見出し画像

韓国映画『南極日誌』を観て感じたポン・ジュノ

 韓国映画『南極日誌』は2005年に制作された作品で、監督はイム・ピルソン、共同脚本に『パラサイト 半地下の家族』で有名なポン・ジュノがクレジットされています。
 主演のソン・ガンホ率いる南極調査隊が、到達不能点を目指してひたすら歩く、というのが大まかなあらすじです。
 ぶっちゃけ、めちゃくちゃ面白かったってわけじゃないんですが、ポン・ジュノの作家性みたいなものが現れていたので、気づいた点をゆる~く書いていこうかと思います。
 この作品を見ていて一番思ったのは、『海にかかる霧』にめっちゃ似てるな~、ってことでした。(『海にかかる霧』はポンジュノが脚本とプロデュースをやっていて、監督は『殺人の追憶』の脚本家シム・ソンボです)

※この先、『南極日誌』と『海にかかる霧』のネタバレあり

家族もの

 ポン・ジュノの映画はだいたい家族ものが多いです。監督作でいえば『グエムル』や『母なる証明』、『パラサイト』は言わずもがな、『スノーピアサー』もソン・ガンホと娘の親子が出てくるし、脚本のみの『海にかかる霧』はもろに疑似家族ものです。
 この『南極日誌』も主演のソン・ガンホが「おれたちは家族だ」的なことを言ったり、隊員から何か言い返されたときも「お父さんに対して何言ってんだ!」的なことを言い返したりします。つまり疑似家族です。
 そしてその疑似家族の父親役である隊長のソン・ガンホが暴走し、狂気に走っていくという展開は、『海にかかる霧』の船長と同じです。

家がぶっ壊れる

 ラスト、休憩のために入った小屋の中である惨劇が起こり、小屋自体も吹雪でぶっ壊れてしまいます。家が壊れていくのと同時に、疑似家族の家父長制が崩壊していくのが重ねられる演出です。
 『海にかかる霧』のラストもまったく同じです。船長が暴走しながら、同時に船(家)が沈没します。
 家が壊れていく要因が、父親の狂気と暴走である点も同じです。

狂気に走る人

 ポン・ジュノの作品には狂気に走る人がたびたび登場します。
『母なる証明』の母、『殺人の追憶』のソウルから来たエリート警官、『パラサイト』もラスト近くである人が狂気じみた行動に出ます。
 ポン・ジュノがフェイバリット・ムービーに挙げているヒッチコックの『サイコ』もベイツがある意味狂気的な人物です。
 物語というものの根本には、覗き見精神みたいなものがあるように思います。
 実際にはこんなこと起きてほしくないな~とか、実際にこんな人いたら大変だな~とか、実際に身の回りにあると困ることが物語の中で起こると、人は興味をそそられます。ミステリーが大好きな人も、実際に身の回りで殺人事件が起きるのは嫌なはずです。
 物語というのは安全圏からいろんな出来事や人物を観察することができる装置です。言い換えると覗き見する装置でもあるわけです。
 ポン・ジュノ作品における狂気に走る人も、実際にこんな人いたら嫌だな~って感じの人ばっかりですが、作品の中ではそれが興味の対象になります。観客の覗き見精神を操ることに長けているポン・ジュノの核となる要素かもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?