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関節リウマチとわたし②

皆様こんにちは😃
6月も半ば、雨の日も多くなってきました。
私の場合、関節リウマチが梅雨と冬の寒い時期に悪化しやすいので、毎日痛みと闘っております🥺

さて、前回は検査入院直前までお話ししましたが、今回は検査入院〜治療開始までのことをお伝えしようと思います🖊️

前回のおはなし

前回は小中学生の頃から既にあった自覚症状や痛みを我慢するのが限界で根性だけでは何と
もならない状態に陥るところまででした。
既に首以外の関節はほとんど動きませんでした。


やっと検査入院

いよいよ入院の日がやってきました。
内心「もしも何も見つからなかったら、親に呆れられたり先生にズル休みとか言われるのかな…」と不安になりながら。
初めての入院でドキドキしていましたが、期間は約1週間ほどと言われていたので、とにかく痛みを取り除けたらと思っていました。

初めから免疫膠原病内科の先生方が担当していて、入院して初めてされた処置はまた膝の水を抜くこと!!
衝撃的だったのが中々膝の水が抜けなくて、大きい注射器を10箇所以上にさされ、それでも水は抜けず、テカテカパンパンのお膝はそのまま😭

X線、血液検査、MRI、造影剤CT、ルンバール、その他多数の検査をしましたが、なかなか病名はつかず、何らかの自己免疫疾患であることは確かですとのことでした。

CTを撮る時の造影剤アレルギーだったようで、息苦しさや倦怠感を覚えました。

今やああ痛かったー!笑ぐらいに思えますが、ほんっっっとに痛い検査が割と多かったです😂

何もできない-全介助状態-

検査以外の時は基本的に病室で安静だったのですが、受験期だったのと鬼の特進コースで洗脳されていて、勉強を辞めることが怖過ぎてペンをゴムで指に括り付けて受験勉強をしていました💪

首以外は動かせないので、お手洗いも行けませんでした。物を落としても取れないし、シャワーもできないし、基本的に何をするのもナースコールを押すところから始まります。何もできない自分に絶望でした。

意地になり床を這う-尊厳のために-

当時すごく気にしていたのが『お手洗い』です。
行きたくなればナースコールを押して、車椅子用のお手洗いに連れて行ってもらいます。
もちろん1人でズボンも下ろせないので、下ろすところも手伝ってもらって座らせてもらいます。
事前にトイレットペーパーをちぎってもらっておいて、ふけそうなら時間をかけて自分で拭く感じです。
ただ高校2年生、多感な時期で、そういうことに1番恥じらいを感じていて、本当に辛かったです。
看護師さん達もすごく理解してくださっていました。
終わればまた立たせてもらってズボンを上げてもらって…という感じです。

それだけでも相当恥ずかしい思いをしていましたが、ある時師長さんが来られて
「ごめんね、詰め所横の車椅子トイレに連れて行ってあげたいんだけど、夜中はどうしても人手が足りないから、夜中だけで良いからポータブルトイレをベッド横に置かせてほしいの
とおっしゃいました。

当時も仰っていることと意味はよく分かっていました。
行って帰ってくるのに30分弱かかっていたのが事実で、もちろんその間看護師さんは一旦他のお仕事をされますが、呼ぶと戻ってきてもらって、ベッドに寝かせてもらうところまでになるので夜間だとかなり負担だったと思います。

分かっているだけに、迷惑をかけてしまうことも辛いし、それと同じくらい大部屋でポータブルトイレを使用することが嫌でした。

ポータブルトイレを頑なに拒み数日、夜間はお手洗いを我慢していましたが、如何せん寝る前まで点滴を繋いでいるのでお手洗いに行きたくなるのです。

しかし、もし次一回でも夜中にトイレに行きたくてナースコールを押したらポータブルトイレと言われていたので、何としてでも自力で大部屋についているお手洗いに行きたいところ!!

見回りの直後に、部屋の入り口にあるトイレまで向かったのですが、立てるわけもなく、転倒しました。
転んだついでにそのまま床を這い、15分くらいかけてトイレにたどり着き、終わった後は同じようにベッドに戻ってきましたが、床を這った汚いズボンでベッドに寝転ぶのもできず、椅子に座ったまま朝を迎えました。

病棟の看護師さんはほとんどの方が私を妹のように可愛がってくださっていたので、朝担当の看護師さんに顛末を話し、もちろん危険な行為に及んだことは注意されましたが、どうしてこのようになったのかもよく分かってくださいました。

今はお手洗いくらいベッド横のポータブルトイレでさっさと済ませれば楽なのに〜って思いますが当時の私には死活問題でした。

結局、車椅子トイレに連れて行ってもらうことになりましたが、もちろん人の手を煩わせていることは理解していたので、すごく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

痛み止めで幻覚幻聴!?

痛みがきつかったので、毎日トラムセットを飲んでいたのですが、おそらくそのせいか自分でもよく分からないことが2、3起きていました。

母は2日に一度くらいのペースで午後に必要な物を持ってきてくれていました。
しかしある日、私が看護師さんに「母がロッカーの中にお風呂セットと新しい服とか入れてくれてます。今朝2段目に入れておくよって言っていたので2段目にあります。」と伝えたのですが、実は母は来ておらず、もちろんお風呂セットも新しい服もありませんでした。

夢なのか幻覚なのか幻聴なのか。
起きているのか寝ているのかも分からず。
ぼーっとすることが多く、自分が何をしているのかもよく分からない状況。

似たようなことが何度か起こり、原因はトラムセットの副作用なのではないかということになりました。

副作用がありつつもしばらく服用し続けていたような気がします。
そのため、入院生活でところどころ覚えていないところもあります😅

抗リウマチ薬、免疫抑制剤を服用する

血液検査で「絶対に関節リウマチ」とは言い切れないものの抗リウマチ薬の投与を開始。
リウマトレックスを服用するものの、副作用が出てしまい、吐き気や食欲不振で長く続けることができませんでした。

  • 吐き気

  • 食欲不振

  • 味覚障害(苦味)

  • 倦怠感

  • 脱毛

主にこのような副作用です。

しかたがないので、リウマトレックスの服用は諦めて、免疫抑制剤であるアクテムラ(皮下注射)を自己注射することになりました。
アクテムラでは特に副作用は出ませんでしたが、初めはとにかく打つのが怖かったです!!💉💦

それに関節が激痛なので注射を握ったり、打った時のパチンッという跳ね返りが痛すぎて苦労しました。

この10年で数回薬を変えていますが、結局現在もアクテムラで安定しているので、またアクテムラについても書きたいと思います🙌

結局何の病気なの!?

いろんな検査を受け、薬の投与を開始したものの、一体何の病気なのか…

病名は?治る?治らない?死ぬ可能性もある?

そんなことを病室でずっと考えている毎日でした。

ICでは、医師から次のことが伝えられました

  • 何らかの自己免疫疾患

  • 抗リウマチ薬や免疫抑制剤が効いているから関節リウマチの可能性が高い

  • 全身エリテマトーデスの症状が部分的に出ている可能性もある

断言することは難しいけれど、当時は動けないままだったので、リハビリを始めるには病名をつけなければならず、アクテムラの効果が出てきているので「関節リウマチ」との診断が下りました。

関節リウマチとは

「関節リウマチ」と聞いた時みなさんはどんな人がなる病気だと思いますか?

関節リウマチとは、関節が炎症を起こし、軟骨や骨が破壊されて関節の機能が損なわれ、放っておくと関節が変形してしまう病気です。
腫れや激しい痛みを伴い、関節を動かさなくても痛みが生じるのが、他の関節の病気と異なる点です。
手足の関節で起こりやすく、左右の関節で同時に症状が生じやすいことも特徴です。
その他にも発熱や疲れやすい、食欲がないなどの全身症状が生じ、関節の炎症が肺や血管など全身に広がることもあります。

中外製薬HPより引用


私は、お年寄りがなる病気で骨が変形する病気だと思っていました。
若い女性に多くみられるようで、まさか自分が関節リウマチと診断されるとは思っていませんでした。

「関節リウマチ」と検索をかけ、「治らない」と知った時にはショックすぎてそれ以外何も考えられませんでした。

このまま一生寝たきりだったらどうしよう、もう何もできないのかと思うと辛くて辛くて、とにかくどん底に突き落とされたような気分でした。

リハビリ開始

何とか前向きにリハビリを頑張って、自分で歩けるようになりたい!という思いが強く、どれだけ辛い日もリハビリをしました。

作業療法で折り紙を折ったり、理学療法で可動域を増やしたり。

幸いリハビリ自体は楽しくて、折り紙にもハマってしまいました☺️
入院がかなり長引いて1日が長く感じていましたが、折り紙をしている時は他のことを忘れられたし、理学療法士さんもすごく良い方で恋バナをしながらストレッチをしたりとリハビリの時間が楽しみでした。

開始から数週間、手すりや歩行器を使って歩く練習をしていたのですが、そこで調子に乗って「もう退院できるんじゃない!?」と舞い上がって主治医の前で1人で歩こうとしたら、転倒してしまいましたのです😅

歩く感覚といいますか、歩き方を忘れてしまって…1ヶ月以上歩いていないと歩き方を忘れるんですね…
自分でも驚きました👀

入院してすぐの頃、医師に「もうずっと寝たきりですか?」と質問したことがあります。すると、「その可能性も高いです。」と言われ、悲しくて悔しかったのですが、何と言っても負けず嫌い。絶対に歩いてやんるんだ!と意気込んで、トレーニングに励みました。

退院の頃には支えがあれば少しの距離は歩けるようにまで回復しましたが、退院後も基本的には車椅子生活で、歩いても100メートルおきに休憩するように言われました。

もちろん退院後も通いでリハビリテーションに通い、ちゃんと1人で歩けるまでにはもう少し時間がかかりました。

ついに退院 -長かった1ヶ月半-

3月の頭に入院して、気がつけば桜も咲き終わり4月半ば、ようやく退院の日が決まりました。

学年も上がり、いよいよ高校3年生。スタートは遅れてしまったけど、受験に向けて早く教室に戻りまたい。家で家族と過ごしたい。そんな思いでいっぱいでした。

もちろん治らない病気ということを受け止め切れたわけではありませんが、同じ病室だった方や可愛がってくださった看護師の皆さんとの思い出も本当にたくさんあったので、退院日には少し寂しい気持ちもありました。

その頃にはアクテムラを自分で打てるようになっていたのと、手は痛いものの車椅子も少しは自分で動かせられていたので、少し自信を取り戻せていたように思います⭐️

  • 通院

  • リハビリ

  • 自己注射

  • 服薬

  • 車椅子

  • 体重管理

退院後はこんな感じの新生活がスタートしました。

実は体重管理が1番難しく、入院が長引いていたのもそれが一番の理由です。寝たきりなのでお腹も空かなかったし、味覚障害などのせいでなかなか食べられず入院中に体重が14キロも落ちてしまいガリガリになってしまいました。
食べられる物を少しずつ、母も協力してくれて少しずつ体重を増やしていきました💪

1ヶ月半1人で頑張ったあの頃の自分に「よく頑張ったね」と言ってあげたい☺️

おわりに

急性期病院での入院だったので、途中からは病院側もできるだけ早く退院させたかったはずです。実際に私や家族もその説明をされましたし、理解していました。しかし、歩けないということで歩けるようになってから、また体重を少し増やしてから退院と病院側から言われました。
病院からはどう思われているのだろうと考えると、肩身が狭かったり焦ったりで精神的に辛い部分もありました。

病棟には若い患者さんがいなかったため、初めは1人でいましたが、同じお部屋やデイルームで会う方々によくして頂き、退院後も連絡を取り合っていた方もいるほど、周囲の人には恵まれていました☺️

記事には書き切れないほど、他にも様々なエピソードがありますが、今回はこのへんまでで。

次回は、退院後の生活について書きたいと思います🖊️

最後までお付き合い頂きありがとうございます🙇‍♀️

雨の日が多くなりますので、皆さま風邪など引かないようお過ごしください🍀

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よろしければおねがいします✨

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