関節リウマチとわたし①
みなさま、こんにちは。
リウマチママです。
今回は私が関節リウマチと診断されるまで[検査入院まで]のお話を書かせていただきます🖊️
はじめに
こちらの記事では、私個人の体験を記しております。症状や診断については個人差があると思いますので、あくまでも1人の体験談として読んでいただければ幸いです。
同じように病気で苦しまれている方、周りでサポートされている方、その他関心のある方々に少しでもお役に立てると嬉しいです。
何か変かも? -小中学校時代-
今思うと、明らかにおかしかったと思える体の痛み。
1番古い記憶では小学校4年生の時。
日に当たると顔が真っ赤に腫れあがり、蝶形紅斑ができていました。
学校から帰ると、母と祖母が心配していましたが、外遊びをしていたのでそれくらい平気!と特に気にせず過ごしていました。
その後、現在に至るまで日光過敏もですが、日光にあたっていなくても蝶形紅斑が見られることが多かったです。
そして、小学校6年生との時からは、1ヶ月に一度ほど、起き上がることが困難なほどの関節痛に襲われるようになります。
しかし私は「関節痛」という言葉を知らなかったので、母や保健室の先生には「筋肉痛」と伝えてしまっていましま。そのため、ただの筋肉痛としか思われず、自分自身も(そんなに激しい運動をしたかな?)と悩んでいました。
幼少期から、クラシックバレエ・ミュージカル・チアダンス(その他、初投稿参照)など芸事をほとんど毎日していたので、急に身体を動かすのではなくほとんど毎日ハードな動きをしていました。
中学生になると、痛みと頻度が上がりました。
私の性格は生真面目で負けず嫌い(特に自分に負けたくない)だったので、保健室に行くことさえも何だか逃げているようで嫌だったのですが、月に2.3回ら関節痛が理由で保健室に行っていたと思います。
どうしようもなく痛くて、ベッドで寝かせてもらうのですが、検温すると熱が37.5℃前後であることが多かったです。
そしてなぜか寝かせてもらっているのに、起きると全身が熱く、関節が余計に痛くなっているのです。
なぜそうなっているか分からなかったので、ある程度自分で時間を決めて、少し休んだら、余計に怠くなった体を引きずって教室に戻ったことを思い出します。
病院には熱っぽいとのことでかかったことは1.2回ありましたが、中学2年生の時に突発性難聴になったことがあったので、耳鼻科の通院の方がメインで、関節痛に関しての受診に重きを置いたことはありませんでした。
それでも学校を休んだことは一度もなく、負けず嫌いな性格だけで、3年間無遅刻無欠席で過ごしました。(確か早退は何回かしていたはずです笑)
勉学に青春を捧げる-高校時代-
高校は、大学進学に力を入れるために進学コースに入りました。
月〜金は8時間目まであり、土曜日も7時間目まで、日曜日は模擬試験や検定など、勉強漬けの日々でした。
また、8時間目が終わると18:30過ぎだったと思うのですが、そこからさらに予備校と個別塾に通い、本当に自分を追い込んで勉強していました。
習い事は当時、チアダンスの選抜メンバーレッスンと本番だけに参加する形で、空いている日曜日と自主練だけに絞って続けていました。これも、チアの先生に勉強との両立をしたいと申し出て、何とかお願いして選抜だけに所属させてもらい、根性で何とかしていたという感じです…💦
ついに痛みで数日休む
高校一年生の夏、ついに体が動かず、数日寝込むことになります。
夏休み期間も、進学コース内では毎日夏期講習があります。
特に数学は、今思うと体罰も平気でするような(小声)女の先生だったので、体調不良を伝えた休んだりすると、本人不在でも全員の前で「弱い」、「そんなことで休んでてどうするの?」「休んでもどんどんその分課題が増えるだけなのにね」などと言われます。
案の定、友人から「ズル休みですね。夏休みを謳歌しようたってそうはいきませんよ。休んだら休んだだけやらないとダメなのね。」とみんなの前で言われていたようです。
それを聞いて、悔しくて悔しくて。悲しいし、みんなにどう思われただろう…と悲しくて。
敵も作りたくないし、ひっそり勉強に集中して生きていたのに、先生の一言のせいでみんなに嫌われたらどうしよう。と、ずっと考えながら寝込んでいました。
その時、どうせ休んでしまったのなら病院に行くのがいいと、母が町医者に連れて行ってくれました。
熱と関節痛があって、インフルエンザの検査をしましたがインフルではなかったので、ロキソニンをもらって帰ったような気がします。
その時初めて、母に詳しく痛みを伝え、「関節炎」や「関節痛」という言葉を知りました。
母は幼い時、リウマチ熱に苦しんでいたので「関節痛」には大変理解を示してくれました。
とはいえ、検査などは受けず、この後1年半ほど耐え続けます。
根性だけではどうにもならない
そして、高校2年生の年明けすぐから、これまでにない痛みに襲われ、目に見えて全身が腫れてきたのです。
体育で体育館を使う時は、授業初めに雑巾掛けをしなければならないのですが、あの体制になると、膝が痛すぎて前に進めないのです。
私の性格上、悪目立ちしたくないので、絶対他人に遅れを取らないように根性で駆け抜けるはずなのに、それもできません。先生にどうしても出来ないと言いにいきました。
学校の行き帰りでは、8時間分+予備校or塾の用意を制カバン、制サブバッグに入れて歩くので、もともと肩かが引きちぎれそうになるのに、膝や腕まで痛み、一歩が一足分くらいしか踏み出せなくなりました。
それでも、休みたくない!自分に負けたくない!という一心で、(痛くて歩くのが遅いなら、家を早く出ればいい!)と、始発と同じくらいの時間に家を出て、かなりの時間をかけて通学しました。
2ヶ月ほどそれで頑張りました。
その間に、正座ができなくなりました。
膝を曲げようとしても、この上なく膝がテカテカパンパンで、母に相談して病院で膝の水を抜いてもらいました。
しかし、もう身体は限界で、数週間後、大事な模擬試験の日に、本当に痛みでどうしようもなく、またもや休んで、違う病院へ。
この間抜いたはずの水がまた溜まっていて、膝も曲げられず。
その日はレントゲンを撮ったのと、脚気の検査をして帰ったと思います。
自分の中では一生懸命頑張っているけど、体が動かない現状に、悔しさや強い憤りを覚えました。
夜中に泣き叫ぶ「救急車を呼んで!」
日に日に腫れているところや動かせないところが増えてきました。
膝に水が溜まる
足首に酷い浮腫(くびれがなくなる)
肩と腕が痛み自力で腕を持ち上げられない
股関節の痛み
手先、足先の指が伸ばせない
痛みのせいで横になる↔︎横になると余計に痛む
という悪循環のせいで、家の中ではトイレに行くことくらいしか出来ませんでした。
学校を休んでいた日の夜に、恐ろしいほど全身が痛み、自室から大きな声で「痛いー!全身が痛い!救急車を呼んで!!」と叫びましたが、当時仕事から帰宅して疲れていた両親は取り合ってくれませんでした。
関節痛などに理解を示してくれていた母も「夜中に大きな声出さないで!スマホ持ってるんだから自分で救急車呼びなさい。」と。
泣き叫んで訴えるしか出来ず、救急車も呼べず、その日は痛みのせいで朝まで眠れなかったことを覚えています。
後に母はこの日の対応を後悔し、今でも自分を責めています。
検査結果と検査入院
結局、脚気の検査もレントゲンも異常はなく、それでも痛いので、町医者で大きい病院に検査入院の依頼と紹介状を書いてもらい、検査入院することになりました。
この時にはもう首以外の関節はほとんど動きませんでした。
お手洗いに行くのも食事をするのも誰かの介助がないとできず、検査入院の日までがとても長かったです。
おわりに
今回は検査入院に至るまでの経験を書かせていただきました🖊️
長々と綴りましたが、これでも掻い摘んで書いたつもりです(笑)
最後まで読んでくださって本当にありがとうございます🙇♀️
次回は、検査入院のことをお伝えしたいと思います🏥
毎日暑くなってきましたね☀️
知らない内に脱水状態にならないよう、こまめな水分補給を心がけましょう!!
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