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色々な過去


今日は七夕。


皆、個々に生を受け
それぞれに沢山の経験をし
色々な事情がある。

私の人生はもしかしたら
その辺にありふれた人生でも経験でもなかっただろう。

noteに綴っている事は
ほとんどが幼馴染ツインレイの相手と娘、
そしてたまに飼い猫や父のこと。
そして別れた旦那の事。


これから本題に入る前に説明したかったのだ。
そして今から綴ることは亡くした子供について。

誰かを亡くし痛みがまだ癒えていない方は読まないでほしい。
苦しくさせたいわけじゃない。

私は23さいのときに別れた旦那と結婚した。
そのあと半年、一年位で実は一度、離婚をしている。

離婚をして少し経った頃、
離婚をしった幼馴染と再会した。

そこからなんとなく自然な流れで一緒にいる時間が増え、色々と落ち着く頃に再婚できたらなと考えて前向きによりを戻した。

その間に妊娠をした。

順番も逆でまだなんとなくお互いの生活が落ち着いていなかったが幼馴染と再婚をし、
息子を出産した。

息子は私や幼馴染の家族、そして知人達、色々な人から愛されて沢山の愛情をもらいながら
育った。

だか、息子が一歳になる前に事故。
事故というべきか不慮の事故として片付けるべきか今だにわからない。
知人がまだ赤ちゃんには食べさせない食べ物を与えてしまった。
目を離したときだった。


本人は可愛いからと。
食べさせたかったと。

でもそれは誰がどう考えても赤ちゃんには
与えない食べもの。

息子が真っ青になっていた。

救急車を呼び
警察の方もきた。

もうその時の事はあまりきちんと覚えていない。
ただ息子をかかえ、冷えていく息子をタオルで包み、ぎゅっと抱きしめた。
幼馴染と一緒に救急車の中で病院につくのをただ待ったそれだけ。


奇跡が起こるんじゃないかって
何度も願って。

冷えてかたくなってきてる息子を幼馴染と2人でずっと抱きしめながら三人で暮らした部屋に戻ってきた。
その日はずっと涙を流し
冷たくなった息子に何度も
【寒いね】といって暖めた。
食べ物を詰まらせたことによる死だったから。
【苦しかったね】そう言って夜があけていった。

朝をむかえて
昨日の今頃はまだ生きていたという事。
本当はまだ生きているんじゃないかも幻想も。

ずっと一緒に。
そんな事が出来ないのも知っている。
お葬式の準備が進む。

幼馴染はしっかりやり遂げてくれた。

沢山の周りの優しさに支えられながら。

それでも周りの優しさが時に私たちを苦しめた。
少し経った頃、
慰めようと集まってくれる。

それが暫く続いた。

わかってる。
気遣いと優しさということは。

だから断れなかった。

でもほっといてほしかった。

そのうち私はうつ病になった。

幼馴染は大変だったろう。
息子を亡くし、嫁は鬱病。
そして仕事に関係者からの励ましという名の集まりに顔を出す付き合い。

息子を亡くした原因は
彼の親戚だった。

私側の家族はこのまま幼馴染との結婚を反対した。
そして別れた旦那は事情をしり、
自分が面倒を見ます。と。
毎週のように家に押しかけてくるようになった。

うつ病になったのを知られたら更に、
別れされられると思った私は、必死で隠し気丈に振る舞い、様子を見に来がてら別れさせようとする家族たちが帰るの待つ。
ただ時間が過ぎるのを待った。

鬱病は良くなるどころか酷くなる一方だった。

そのうち、疲れ果ててしまった。

そして私は幼馴染に言ってはいけない一言を放つ。

【もう疲れた】と。

幼馴染は離婚を決意。
そこからはあっという間に離婚。

何故か、別れた旦那が迎えにきて。

私は抵抗しても何をいっても
そこから逃げ出せなかった。
一週間位は続いただろうか。
仕事も別れた旦那は休みをとり、
私が逃げ出さないかずっと一緒にいた。
なにをいっても無言を貫く。

何度か脱走もしたが
精神的に弱まってる私は
途中で逃げ出すのをやめてしまう。

そして幼馴染がまた迎えにきてくれるんじゃないかと淡い期待をして。

数ヶ月経ったころ。

私は書いた覚えもない婚姻届けを勝手にだされ
知らないうちに最初に結婚した相手と結婚をしていた。

そこからは、不受理届けをだされ。
ようやく今年、離婚ができた。

そんなあまりあり得ない経験をした私が綴る亡き息子へ。


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