死にたいに犯される夜

私がこの世に誕生してから19年しか経っていないが、死にたい気持ちに犯されすぎて本気であ、死ぬと思った夜が数回ある。

死にたい夜はまるで地獄のようだ。涙で鼻から息を吸うことが出来なくなり口呼吸をしたくても嗚咽でままならない、窒息しかけると何度も思った。頭に酸素が回らなくなり頭痛に悩まされる。ひたすらと自分の存在すらを罵倒し、責め続ける拷問が数時間続く。次第に己の身体を殴り続けるのだ。体感で言うと永遠に感じる時もある。そんな夜に当たり前に寝れるわけなんてないのだ。

幾度もベランダに飛び出たり、ODをしかけた。ただ、どうしても微かに光る自分の未来や周りの人たちの存在がその願望を必死に止めてくれた。でもこのように死にたいと思って行動しても自分で思いとどまれたらいい。あくまでもこれは死にたい夜なのだ。
しかし、本気であ、死ぬと思う夜はどちらかと言うと己に呪い殺されると言った方が近い。かの有名な「源氏物語」に主人公光源氏に想いを寄せていた六条が嫉妬のあまり夕顔と葵の上を呪い殺してしまったという話があるが、私はこれをかなり有り得るものだと思っている。人間の感情には、すべてを支配できるようになってしまう瞬間というものがあるのだと思った。死にたいに呪い殺されそうになると本能的に、あ、死ぬという気持ちが脳内に駆け巡る。
だから、ニュースで自殺という話題があがると''ああ、この人はもしかしてこの世の中に、そして己に呪い殺されてしまったのかな''と思ってしまうのだ。

ある漫画に''でも「死にたい」と言ってる人は本当は「生きたい」気持ちがどこかにあるんです。''というセリフがある。そうなのだ、死にたいと生きたい気持ちはいつも紙一重である。ただ、死にたいが''死ぬ''になると生きたいという想いがいつのまにか汚されてしまう。
そうなる前に、本能が警告するのだ。もし皆にそんな夜が訪れたら警告を処理しきれるうちに脳をシャットダウンして無理やり眠りについてほしい。そうすると嫌でも朝が来る。私は別に生きることが正義だとか死にたい気持ちが悪だとか思っていない。ただ、本能のままに日にちを繋いでいくと何か素敵なことが訪れるかもしれない。無理やりでもいいから生き続けるともしかしたら何か悪くないことが起きるかもしれない。それまでテキトーに生きてていいのだ。そんな程度でいいのだ。

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