金魚

息がしづらくなった。

いつからだろう、憧憬に恋の匂いが混ざったのは。いつからかどろりとした匂いが鼻の奥に居座っていた。

まるで世界が熔けてしまうのではないかと錯覚するくらいの猛暑が続いた。
教室の金魚がパクパクと口を動かしている様子をじっと見つめる。かすかなハイライトが光る金魚の目の奥で、水槽越しに自分の目を覗き込んだ。ふと気づいてしまったのだ。いつのまにか恋慕の渦にのみこまれてしまっているということに。机に頬杖をついて悶々とした。このままでは溺れてしまう。ただ憧れを胸に抱いて歩きたいだけなのに、それでも人は選択を誤る。人間は恋に惑わされる、それが宿命かのように。
少女の憂鬱な気持ちとは裏腹に教室の窓から爽やかな風が流れ込んできた。

肌を焼く強烈な日差しがいつもより一層と襲ってきた。珍しく、私は一番乗りに教室に足を運び入れて水槽を覗き込んだ。
どろりとした匂いが鼻の奥を襲ったと同時に、ぼてっとした腹を上に向け、目のハイライトはどこかへ消えてぷかぷかと浮いている金魚が脳裏にこびりついて離れなかった。
せっかく朝早く登校したのにその日は一限目から保健室で横になるはめになった。

不思議な人だった。いつも飄々としていて、掴めない人だった。琥珀糖がラムネの炭酸でパチパチと弾けたみたいな瞳をしていた。
憧れていた、とてつもなく恋焦がれてた。
彼はいつも放課後に餌をやって金魚の腹を撫でるのが好きだった。

放課後、私は水槽の掃除をしていた。
明日から話す機会が突然なくなるのかなとぼーっとした頭で考えていた。
「あれ、どこいったの。金魚。」
彼に後ろから声をかけられ、びくっと身体が揺れる。
「いなくなった、暑かったのかな。」
「ふーん、残念だな。好きだったのに。」
てか、水の中にいんのに暑いとかあんのってケラケラ笑いながら言った彼の瞳の奥は寂しさを隠しきれていなかった。ああ、溺れてしまうなと思った。

明日から寂しくなるねとは言えなかった。
ミンミンと煩く鳴り響く蝉の音だけが教室を包み込んでいた。

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