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8月6日におもうこと

 久々に電気を消してちゃんと布団の上で眠った数日前の夜、戦争の夢を見た。
怖い夢はいつも起きた後に呼吸が浅くなるような緊迫感があるが、その日は「なんでこんな夢を見たんだろう?」「もうすぐ8月6日だからか」とスッと腑に落ちた。仕事に追われて日々を過ごす中で、誰かが夢を通して教えてくれたのかもしれない。

 今年の8月6日は土曜日だったので、朝8時ごろからテレビで広島の平和式典を見た。ゆっくりと式の様子を見ることができたのは、いつぶりだろうか。

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 写真は4年前の8月に長崎を旅行した際に撮影した、平和公園からの景色。原子爆弾で破壊された後に再建された浦上天主堂が見える。長崎原爆資料館の統計によると、ここ長崎市では当時の長崎の人口24万人(推定)のうち、約7万人が1949年12月までに亡くなり、計約14万人が被災したと想定されている。

 私の遠い親戚にも、長崎の原爆で亡くなった人がいる。小学生の頃、佐賀に住む祖母の兄の家に飾られているご先祖の写真を眺めていると、親戚がその中の一枚を指し「この人は原爆で亡くなったんだよ」と教えてくれた。まだ若い男の人が、スーツを着てかしこまった表情で映っている写真だった。他に、長崎は平地ではなく、山で囲まれた地形であったこともあり、被害の大きさは広島ほど大きくならなかったこと、佐賀にまで被害が及ばなかったことも教えてもらった。

 終戦した年に小学6年生だった私の祖父は、空襲で目の前に爆弾が落ちたことがあり、今でも忘れられないと話してくれたことがある。戦時下を生き延びた人達が、子どもの私に戦争について話してくれる機会が何度かあったが、そんな大人たちの多くが、すでにこの世を去っている。

 昨年の話だが、報道機関で働く知り合いが、広島で被爆し今は兵庫で暮らしている被爆者団体に取材依頼をかけても生存している方が少なく、取材が難しくなってきているとSNSで投稿していた。私たちが戦争を経験した人々の生の声を聞くことは、より一層難しくなってきている。

 先日、スイッチ・パブリッシングが出版した雑誌Coyoteを買ってみた。今回の特集は「絵本の中の『せんそう』」。戦争と平和を伝えるために生み出された絵本に込められた願いについてのインタビューが特集されている。Coyoteは「旅に暮らし、暮らしを旅する雑誌」というコンセプトだが、このような身近な媒体が「絵本」を軸に戦争について特集するのは、私は良いテーマだなと思う。

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 昔から8月はテレビで戦争関連の特集や映画の放送が多かったが、年々少なくなっているように感じる。私はまだそんなに長く生きている訳ではないが、少なくとも戦後60年の時よりも、かなり減っている印象だ。

 被爆者の語り部が減り発信媒体が減る中で、また13,000発も存在する核兵器が戦争の抑止力になっている今の世の中で、核兵器の恐ろしさを知るには、自分から情報を掴みに行くしかないのだろうか。仕事が落ち着き自分の時間が出来た今、学びながら自分に何ができるかを考えていきたい。そんなことを考えながら、今年の8月6日を過ごした。

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