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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第33回 荊州のマクドナルドで考えたこと

(18)ぼくは入店するとレジに直行し、双層芝士厚牛堡套餐(ダブルチーズ厚切りビーフバーガーセット)45元──中可楽(コーラM)と中薯条(ポテトM)付き──を注文、レジ近くの卓子(テーブル)席で食べた。当時のレート換算で約720円。比較的高価格の、肉厚な安格斯漢堡(アンガスバーガー)である。味は期待を裏切らない。わざわざ湖北省荊州まで来て頓珍漢なことを言うようだが、思いがけず幸福な気分にひたった。強がりは言わない。やはり、慣れた味と、慣れた店舗空間が落ち着くのだ。出発前の調べによると、どうやら荊州城内でたった一軒の麦当労(マクドナルド)のようだ。客層はというと、子供連れの若い夫婦が多い。が、見ているとお年寄りも次々に単独入店してくる。いつオープンしたのか分からぬが、すでに荊州市民の日常に溶け込んでいるのが分かる。もはや麦当労の漢堡(ハンバーガー)はとくに高いものではなくなった。平たくいえば、庶民的である。実際、ひっきりなしにやって来る客の大半は、店内中央に設置されたタッチパネル式の注文機を使って、テキパキとオーダーしている(といって、彼らは特別洗練された地元民という風にも見えない)。日本の麦当労と同様に、街ナカ風景の延長が其処(そこ)にあるというだけである。わざわざレジまで行って口頭で注文するのは、自分や一部の不慣れな客だけなのだ。いや、かつまたポケットから紙幣なんか取り出して会計しているのは、完全アウェーのぼくだけのようであった。だからむしろ、荊州城内に店舗が此処(ここ)しかなく、(中国の街角でよく見かける)麦当労甜品(マックスイーツ)店のスタンドすら存在しないことが逆に奇妙に思えてくる。まあ、この調子だと数年後には店舗数が急増しているかもしれないが、どうだろうか。さて、土曜の午後とあって、しだいに店内が混雑してきた。当初荷物置きにしていた椅子を子供連れにゆずると、おチビさんを含む家族全員からおおいに感謝された。ぼくはますます上機嫌で漢堡をパクついた。

(19)日本のマックと味が違うんですか、と問われれば、まったく変わらない(はずである)。とくに中国限定メニューを楽しみに来るわけでもない。これはヘンテコな説明になるけれど、中国旅行でつい麦当労に入ってしまう理由の一つ目は、ぼくがそれを一種の避難場所と認知しているからである。初日の常州で水餃子の話をしたが(第12回)、以前は中国の食べ物がことごとく体に合わず、旅先で本当によくお腹をこわし(何度も道端にへたり込んでしまったくらいだ)、その都度、食べ慣れた麦当労の存在に助けられた。そのせいか、いまも中国を訪れて何日か過ごすと、自然とその所在が気になってしまう。おそらくは、内なる自己防衛本能がビビビっと発動してしまうのだ。二つ目は、いくらか滑稽に思われるかもしれないけれど、いつもの店でいつもの食事にありつく、しかも激動の中国で、というのが一種お気に入りの旅先ルーティンと化しているからだ。ぼくの中国麦当労デビューは、北京王府井(ワンフージン)店においてであった。1992年(平成4)7月。それは時あたかも、現上皇ならびに上皇后両陛下ご訪中の3カ月前のことである。また同時に、麦当労の記念すべき北京進出直後のタイミングだったようで(ネット上には同年4月開店という記事が残る)、やはり注目度が高かったのだろう、中学生当時のぼくの記録によれば、ちょうど現地のテレビクルーが店内の清掃作業を撮影しているところに遭遇した。そして店外は、ドナルド人形と写真を撮る大人(!)でごったがえしていた。なにせ北京1号店である。流行に敏感な北京市民と地方からの裕福な観光客が新文化を体験しに、こぞって王府井店にやって来ているという印象であった(もちろん外国人も混じっていた)。余談だが、1997年発刊の『踊る中国人』という本には、現地麦当労が高齢者グループの誕生日祝いに利用される例が紹介されている。90年代半ばでは、まだとても庶民的な価格設定とは言いがたく、なんとなれば特別な日に利用したいレストラン、という位置づけだったようだ。かようなわけで、四半世紀前の原体験と巷のルポ情報を心にたずさえ、改めて中国社会の変化を体感してみたいというのが、ぼくの「麦当労詣で」の秘めたる動機である。それと、今回の旅では利用しなかったが、ぼくは星巴克(スターバックス)との最初の出会いが香港の店舗だったため、なんとなく他都市の店舗も見てみたいという好奇心から、中国に来るとよく星巴克に入る(店舗数が多いので旅先でよく発見するという事情もあるが)。そして、たとえば上海の渋い洋館やら、無錫の古運河沿い倉庫やら、洗練されたリノベーション空間を愛でながら、新時代の中国人と席をならべ、心静かに拿鉄(ラテ)を飲んでは悦に入るのだ。

(20)ところで、北京随一の繁華街・王府井はその数年後、陳希同市長による強引な再開発事業で街並みが一気に様変わりするのだが、92年当時はまだ社会主義の残り香が感じられた。くたびれた体育館のような王府井市場では、店員が客に向かって釣銭や商品を投げてよこすのが当たり前だったし、こちらが先方のおしゃべりを制して話しかけると、決まって「アァーッ?」とすごい形相で問い返されたり、商品在庫を訊ねても、すげなく「没有(メイヨウ)」すなわち「ないよ」と返答され、しまいには、あっちへ行けと追い返されたりするのが普通だった。今なら、そんな衝撃映像が動画サイトで紹介されていただろうけど、当時の新聞・テレビでそのあたりの殺伐とした「現場」が映し出されることは、あまりなかったように思う。そういう異文化に対して、率直にツッコむのは如何(いかが)なものかという、自制・遠慮が働いていたのかもしれない。ただ、当時子供だったぼくに言わせれば、なるほどね、これはつくづく実際に来てみないと分からない国だ、となるわけで、ぼくが今なお、このような個人旅行にかきたてられるのも、かような実体験と報道との間の「イメージ乖離(かいり)」がもとである。

(21)昔話はここまで。遅めの昼食にありつき、すっかり腹ごしらえのできたぼくは、ざわついた店内を改めて見渡した。かつての荊楚攻防の地で生まれ育ち、改革開放から徐々に豊かになった人々が、こうして賑やかに漢堡(ハンバーガー)や薯片(ポテト)をほおばり、冷たい可楽(コーラ)を飲んでいるようすは、じつにハッピーで微笑ましい。たかが麦当労(マック)、されど麦当労である。一過性の流行よりも、こうした平凡な日常風景にこそ豊かな生活の一端が覗ける。ぼくは荊州城の中心で、独りしみじみ感慨にふけった。また横道にそれるが、もはや中国で常態化しているスマホ決済は、ぼくの場合は2016年の旅行(上海・寧波・紹興)から各所で頻繁に目にしだした。それから、あれよあれよという間に普及した。あの頃は当の中国人も日本人駐在員も、みんなが自分の体験や伝聞をもとに、中国のスマホ決済がいかに進化しているかを盛んに述べたり発信したりしていた。ぼくも数日間の利便性のため(そして時流に乗りたいがために)、いろんな情報源をたよりに利用登録を試みたのだが、いまだに成功していない。この手の情報を発信している事情通にも一度相談したけれど、それでも失敗に終わった。今回の旅行時点でも残念ながら、外国発行の信用卡(クレジットカード)との連携が閉ざされていて未登録であった。

城内唯一の店舗にしては普通すぎる外観。周囲に溶け込んでいると見るべきか。
タッチパネル機は両面使える(左・右上)。トレーの形状がかわいい(右上)。
ビッグマック21.5元(約345円)。そして牛丼25元(約400円)までラインナップに。
屋外には甜品站(スイーツスタンド)も併設。他都市ではおなじみの風景。

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