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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第52回 高速鉄道のうた2019

(75)玄妙観からまたまたタクシーで荊州駅へ。駅へ向かう道路とその周辺は、見れば見るほど破壊的であり、またじつに革命的であった。新しい街を造れよと、まるで天から命じられたように構造物は徹底的に無にされ、またそこら中に目隠しの壁がめぐらされ、重機が休みなく働いていた。かつて此処(ここ)にどんな風景があったのか、そもそも懐旧すべき物があったかどうかなんて、年老いた人もしだいに忘れだし、新しい人は想像だにしないだろう。車道は幾度も折れ曲がり、クルマは工事用フェンスで仕切られた野外アトラクションのごとき「迷路」をすすんでいった。ぼくは車内で揺られながら、荊州のあまりの変化に圧倒されるひとときを過ごした。いま、荊州はキテる。誰がおとずれても、そのように思うだろう。高速鉄道の停車駅をようやく手に入れ、水陸交通の要として面目を一新した。だが、高層ビルは駅以南に数えるばかり、麦当労(マクドナルド)はまだ城内に一軒。虞(ぐ)よ虞よ、この伸びしろを如何(いかん)せん。街のどこかで、地権者がほくほく顔で算盤(そろばん)を弾いているにちがいない。贅沢は言わない、裏通りでもいいよ、土地の権利書かなにか落ちていないだろうか。束(つか)の間の夢を見ながら、15分あまりで駅に到着した。

(76)荊州駅構内は、そのまま待合室として使われる巨大空間が一つ。そんなごく単純な構造で、改札はわずか三カ所だった。天井まではゆうに10米(メートル)以上、数えてみると500名分くらいの座席がある。構内をぐるりと観察してから、中央のB区検票口(ジエンピアオコウ=改札口)に並んだ。前方の電光掲示板には、これからやってくる列車の詳細が5本ぶん表示されていた。順に列車番号、終着駅、出発時刻、プラットホーム、ステータスである。
 車次/終到站/開点/站台/状態
 D2224 杭州東  15時04分 4 在此候車
 D354   上海虹橋 15時23分 4 在此候車
 D2238 南昌   16時30分 4 在此候車
 D5864 大冶北  16時41分 5 在此候車
 D5820 武漢   17時19分 5 在此候車
ぼくが乗るのは先行の杭州東ゆきであるが、各列車の行き先がバラバラなのにお気づきだろう。日本人には馴染みのない方式だが、中国全土に張りめぐらされた編み目のごとき線路の上に、複雑な営業路線が組み立てられている。在来線も同じことで、いわばサンライズ瀬戸・出雲、あるいは往年の北斗星やトワイライトエクスプレスのような列車が、無数の運行パターンで広大な中国を走っているわけだ。仮に、旅行情報アプリ「携程旅行(トリップドットコム)」の鉄道予約画面などで北京や上海などの都市名を入力すれば、どれほど路線のバリエーションに富んでいるか容易にお分かりいただけると思う。なお日本語で書かれた便利な情報源としては、半期ないし年一回ペースで更新・刊行される、『中国鉄道時刻表』というマニアックな書籍がある。中国では2016年を最後に鉄道局の時刻表が発行されなくなったので、たいへん貴重な存在といえる。

(77)いよいよ乗車時刻が迫ってきた。すると、白シャツ黒ズボンの五十がらみの男が二人、どうにもしまらない歩き方でやってきた。彼らは正規の駅係員である。乗客はたいてい身なりよくビシッとしているが、二人は飲み会から抜け出してきたように、終始にやけた顔で歓談している。本当に自由だなあ。そういえばと視線を落として見れば、この駅は自動改札ではない。時間が来ると、やはり係の者に切符を見せるだけで通過できた。駅に入る際にチェックを受けているとはいえ、なんだかユルいなあと感じる。それに上海、常州、荊州とすべて勝手がちがうのが面白い。改札を通ると、各自所定のホームまで移動する。ちなみに、この駅は5番線までしかないのだが、ぼくは地下通路の案内表記を見て、ちょっと心をくすぐられた。2・3番站台(ホーム)は「成都、重慶、宜昌」方面、4・5番站台は「武漢、南京、上海」方面としてある。日本人にもおなじみの中国有数の歴史都市が、比較的マニアックな荊州を経由して、みごと直通で結ばれていることを再確認する。至極単純にできた旅客としては、それだけで心が雄大になってくる。このうち、宜昌は比較的耳慣れぬ地名かもしれないが、荊州より116公里(キロ)西、あの三峡ダムを擁する長江の港町である。さらにいうと、かつて蜀漢の劉備が敗走した夷陵の戦いは、この宜昌付近で起こった。荊州は総人口600万、宜昌は同400万をそれぞれ抱える。どちらも押しも押されぬ、長江沿岸有数の波止場町である。

  古(いにしえ)にいう 三峡 行路難(かた)しと
  今 鉄道延伸して 千客歓(よろこ)ぶ
  東は兵家必争の地 荊楚に通じ
  西は蜀錦芙蓉の城 成都に達す
  *原詩「上皇西巡南京歌」 誰道君主行路難 元龍西幸万人歓 地転錦江成渭水 天廻玉塁作長安

李白の詩。成都には、錦官城(錦城)と芙蓉城(蓉城)の異名がある。旅情をさそう名だ。いっそこのまま蜀都・成都へ行きたくなってくる。そんな少時もたげた旅欲を鎮め、気を取り直して4番線へ向かう。

(78)長らくお待たせしました。では、脱線を復旧させて、いざ武漢へGO!

荊州駅に到着。車両ナンバーの「豫」は河南省の略。
右(入口)側に売店、2階に飲食店、左側に改札のシンプルな駅構内構造。
身分証も切符も機械に通さない…いまだ自動化未満のゆるゆる改札。
ホームへ向かう地下通路。スケールの大きな行き先表示に心躍る。
所定のホームで列車を待つ。再見荊州!

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