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それゆけ李白マン~中国街歩き詩選~ 第36回 南門外はクールに歩く

(28)南門は黒石のせいか日陰のせいか、ずしりと圧倒的な重みが感じられる。高さ7、8米(メートル)、横5米ほどの口を開けている。昼に訪れた西門と異なるのは、こちらでは甕城(ようじょう)が真南にあるため真っすぐ出入りできる点と、自動車の通行が禁止されていることだ。そのため歩行者、自転車、バイク、オート三輪がひっきりなしに堅固(けんご)な門をくぐっていく。ただし、信号もなければ車線もない。まさに個人の制御能力と気分によって通行・往来が成立していて、歩行者にとっては危険なことこの上ない。ぼくは物好きの習性により、また城壁に上った。ご案内のとおり二重構造である。見下ろせば、内外(うちそと)の門のあいだに物売りが数人出ていて、各々の車両には白菜、茄子(なす)、蜜柑(みかん)などが陳列されている。中には、二つの桶(おけ)に栗を満載した老爺(ろうや)の姿もあった。どうやら此処(ここ)まで、棒手振(ぼてふ)りの形でえっちらおっちら運んできたようだ。もはや、1980年代の西門の写真に見るほどの賑わいはない。また、通行者たちの移動スピードも以前と比べたら段違いに速いのだろうが、こうして近景を見渡すと、街の象徴としての城門と市民との関係性は今なお変わらないように感受させられる(旅先でたびたび再開発現場を目にするので、かような生活風景の名残に、ぼくなどはかえって鮮烈な印象を受けるのだ)。門外には堀を渡る小さな橋が架けられていて、そのすぐ向こうに交差点があり、さらに遠方には民家ともビルとも括(くく)ることのできぬ、薄茶けた中層建築の密集が認められた。殺風景といえば殺風景な、平々凡々たる下町ビューである(きっと中国の街歩きに慣れている人ならば、ああ、ごく普通に見られる職住一体型の商業地だなと感じるだろうが、そうでない人であれば率直に、やだ暗くて怖そうなどの感想を述べるかもしれない)。眼下道行く人は、みなラフな服装に身を包み、家路へと散っていく。西日がまぶしい。どこかで野外カラオケでも行われているのか、大音量の歌声が聞こえてくる。大地の夕暮れ。時刻は17時14分。そろそろ次の目的地である旧城東門へ向かう頃合いだが、たそがれてゆく城外の夕景を見ているうちに、もう少し昔ながらの街区を見てみたい。そう思った。ぼくは城門を下りた。

(29)ぼくの鞄は、英国メーカーの実用的な背包(ベイバオ=バックパック)、キャビン・ゼロというもので、これは機内持ち込みギリギリの上限サイズである(容量44升=リットル)。せっかくの中国ひとり旅、現地に着いたら最高のスタートを切りたい。空港で足止めやトラブルなんかに見舞われたくない。そんなせせこましい思いが、ぼくに大きな荷を背負わせている。手当たりしだいに旅行用品を詰め込むと、まるで亀の甲羅のような格好になる。携行品は必要最小限にとどめているため、ごく軽量なのだが、そのビッグサイズの鞄がいま背中にある。さらに今日は時間節約のため、ホテルに寄ることなく歩きつづけてきたから、もはや鞄もシャツも背中もみんな汗をかいている。でも、かまわずに今日はまだまだ歩く。さて、堀に架かる橋は、自動車でいえばわずか二車線分くらいの道幅。これを渡って城外へ出る。すると頭上のバーに、上り下り合計六つの監視カメラが設置されているのを発見。いやはや。威圧的ともいえるほど多い。今日はあまり気にしていなかったが、こんなにのんびりした荊州古城においてさえ、監視社会化が着々と進行しているようだ。

(30)まずは、城門からまっすぐ伸びる御河路(ユーホールー)を南へ歩いた。道幅約7米で、センターラインはない。バイクと歩行者の数が半々、自由に通行している。左右はだいたい二、三階建ての真っ黒なコンクリート建造物がならぶ。お世辞にも綺麗な街並みとはいえない。安心して歩ける道ではあるけれど、色合いがことごとく荒(すさ)んで見える。超市(スーパー)、薬局、それから香辛料や旗袍(チーパオ=満州服、いわゆるチャイナドレス)の店、ヘアサロンに刺青(いれずみ)店、酒屋、タバコ屋と業態はさまざまだ。わざわざ近郊からやって来たのか、車の荷台で品物を広げている者も見かける。品物はバナナ、リンゴ、シシトウ、サツマイモ、ショウガなど。新彊哈密瓜(しんきょうハミうり=マスクメロンの一種)は5斤(ジン=2.5キロ)10元で売られていた。すべて量り売りである。たいてい、よく日焼けした逞(たくま)しい中年女性が商売をしている。街の景色は、歩いても歩いても、中国らしいとしか書けない、あけすけで大ざっぱで、飾り気のない感じである。念を押すまでもないが、ここは三国志で名高き湖北の名城・荊州、しかも関帝廟なる名所にほど近いロケーションである。思うに二十年前ならば、ぼくのような日本人観光客が好奇心丸出しでぶらついていたローカル区域に違いない。だが現在は、外国人などまるで出没しそうにない、地元人民オンリーの情景。だから、ぼくがいかにも背包族(バックパッカー)らしい出で立ちをして、手には8インチタブレットを携(たずさ)え、肩掛け鞄からカメラを覗かせて歩いていたりなんかすると、逆にこちらが好奇の目に晒(さら)されるというのも致し方ないところではある。たびたび、すれ違いざまに手元の機器を覗き込まれたり、(ホラ写真を撮らないのかというようなジェスチャーを交え)売り物を指差して微笑まれたりする。フレンドリーな応対ともいえるし、珍客へのイジりを楽しんでいるようにも取れる。異邦人であるこちらも、じつに居心地がいいのだ。さて、今さら説明するのも野暮に思うが、かような場所、つまり観光名所でない、とりたてて特徴のない通りを歩くのも、ぼくにとって超ゴキゲンな余暇イベントである。日本国内のノイズや情報の偏りを捨てて、たまの数日間、完全別次元の中国に身を置くことを、ぼくは自分なりの「レクリエーション」と位置づけている。日々伝聞される中国情報に飽き足らず、動くモンスターとしての中国をもっともっと知りたいと考えたとき、どんな小さな景色でも言葉でもいいから、自力で拾い集めてきたいというのがぼくの了見である。言い換えれば、街のトンデモ風景や、すれ違う新時代の人々の装いと表情をガン見して味わい、過去の体験・体感と同フォルダに保存することは、情報過多による日頃の凝(こ)りをほぐす、一種のストレッチ体操なのだ(と自分ではこじつけている)。ただ散策のあいだ、こちらも二言三言、でしゃばって品物や景気について訊ねていれば、またさらに愉快な時間が味わえたのだろうが、この時は疲労と暑さによってそんな気持ちは湧き起こらず、繁華な空気が絶えたところで、ぼくは御河路を引き返した。

(31)南門まで戻り、今度は堀と並行する横道、東堤街(ドンディージエ)を歩く。ここは完全な古民居街で、レンガと瓦屋根しか見えない、まるで遺跡みたいなゾーンである。幅はわずか4米。ただ、ひっきりなしにバイクが行き交うし、死んだ路地ではない。さっそく上り勾配(こうばい)で二、三軒目から奇妙に道は曲がりだす。金だらいで洗濯している女性や、両耳にタバコを差したおっさんと出会う。なんだかいい風情がある。そうかと思えば、薄汚れてはいるが白壁で双塔の天主堂(教会)が堂々とした姿を見せ、いいねいいねと進んでいたが、途中から半壊した民家が立てつづけに出現。空き地はシートを被(かぶ)せられて草はぼうぼうで、アレレレレ。これはまた、再開発まちがいなしの空気だぞ。ハタと気づいて冷静に周囲を見わたすと、なんと通行人の大部分は、新しい古民居リフォームを手がけている作業員なのであった。なるほど「通行人」が多いはずである。現時点で、およそ半分くらいは住民が残っている様子だが、一方で確実に移住も進んでいる。路地の入口に戻ってみると、改装工事現場のあらましを記したボードが立っていて、「湖北楚風園林仔建築有限公司承建、歴史建築修復裁量項目」と掲げられていた(大事な情報を見落としていたのだ)。このエリアはいったい、どんな風に生まれ変わるのだろう。夕暮れどきのためか、工事風景はごくのんびりしたもので、みな五十歳以上と思われるおっさんたちが、リヤカーでせっせと瓦やレンガを運んだり、敷石を詰めていたりと、そんな軽作業に従事していた。近くの交差点では、車椅子に乗った中年の男女が代わりばんこにマイクを持って、十八番(おはこ)の歌謡曲を唄っていた。先ほどから聞こえていたカラオケの声の主であった。二人とも非の打ちどころのない歌声である。だが、うーん。どうも上手すぎる。しかとは分からないが、こういうのは録音されたプロの声を再生している「口パク」も多いからと、半信半疑でやり過ごす。ただ、べつに誰かがなじることもなく、彼らの野外コンサートが延々とつづいていた。暮れなずむ城外に集まったおじさんたちが、めいめい手頃な縁石に座り込んで、その歌を静かに聴いている。それから、行きがけにはなかった青のオート三輪が、いま交差点の一隅に停車していて、腕っぷしの強そうな若い兄ちゃんが強面(こわもて)の顔に似合わず、金魚と亀を売っていた。荷台の巨大水槽で金魚百匹以上がめいめい泳ぐさまは、それはなかなかの見ものだった。

  夕照(せきしょう) 東堤街に入(い)る
  昔時 誰と共にか語らん
  本地 人行少(まれ)なり
  新風 古道に吹く

  *原詩 返照入閭巷 憂来誰共語 古道少人行 秋風動禾黍

中唐の耿湋(こうい、生没年不詳)の詩。『唐詩選』に収録。こうして子供からお年寄りまで、大勢の荊州市民の姿を眺めながら、夕方の南門外をアミューズメント感覚で散策してみたわけだが、期待どおりに等身大リアルを体感し、上機嫌になることもあれば、やはり行った先で再開発の機運に触れて物寂しい気持ちになったりもする。ネット情報によって周到に準備ができるようになり、クールに旅を楽しめるようになったのも事実であるし、他方で当地のナマの風情に接し、不意に感動を覚えたり感傷的にもなれるのもまた経験上事実であるといえる。至ってのんきな個人旅行といえど、この筋書きとアドリブの妙こそプレイヤーにとって痛快さのタネなのである。

西門とは印象を異にする南門(撮影方向の逆に関帝廟がある)。
城壁の上から城外を望む(正面にまっすぐ伸びるのが御河路)。
南門と甕城の間。交差点になっている。
同地点。バイク、自転車等がひっきりなしに通行する。
御河路
「商用車」の形態もバラエティに富む。あと売り手(中央)はだいたい普段着。
拡幅工事が行われるのか途中から道幅が変わる。古い建物が多い。
東堤街の入口付近。庶民的な風情に誘われて歩き出したが…
東堤街を引き返す。前方左に夕日(逆光のため暗め)。
城外の暮らしのぬくもりを感じながら、古い街並みを後にする。
ちょっと近寄りがたい雰囲気の金魚売り。

 秋日 [唐]耿湋
返照 閭巷に入る。憂へ来つて誰と共にか語らん。
古道 人行少なり。秋風 禾黍を動かす。

目加田誠『新釈漢文大系19 唐詩選』(明治書院,1964年)p.640-641

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