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Spotify「Queen 20」

Queen をデビューからリアルタイムに見てきた世代としては、映画「ボヘミアン・ラプソディ」の以前と以後で、その評価が劇的に変わった印象があります。それを「ファンの世代交代に成功した」と見るのか「ブランディングが奏功した」と見るのかは、かなり厄介な問題です。率直に言うと、Queen はぼくらにとって非常に「痛い」バンドだったのです。そのあたりの経緯/理由を、リスニング方法の変遷に絡めて紐解いてみます。

ところで、全英史上もっとも売れたアルバムは何か、ご存じでしょうか。正解は、Queen の「Greatest Hits」。つまり、Queen の代表作はプロパーな一枚ではなくベスト盤であり、なおかつ、それが全英 No.1でもあるのです。この事実が端的に Queen の音楽性を表しています。


痛い理由①~Debut

Queen のデビューは1973年でした。これはタイミングのうえで最悪といってもいい受難の年、世はまさにプログレ・ブームがピークを迎えようとしており、上にはハードロック第一世代が鎮座まします状況でした。ツェッペリンやパープルを聴きこんだ先行世代からは「甘っちょろい若造が意気がっとるやないか」と見られ、口さがないブログレッシャーからは「ええもん持っとるのに中途半端やな」と呆れられる、そんな板挟みの環境です。ぼくらの中学でも Queen が認知されたのは 74年~75年ですが、彼らのファンを名乗る同級生は正直ダサかったのです。

はっきり言うと「クイーンいいね」を口にするのは、それまで洋楽ロックを聞いたことのない奥手か、もしくは外タレ好きのミーハー女子か、この 2タイプでした。いや、本当に Bay City Rollers と同類視している女子はたくさんいて、音楽そのものより Roger Taylor のあどけなさが話題でした。

このデビュー期の受難は当の Queen も自覚していたようで (事実 1st は業界的にもケチョンケチョンでしたから)、汚名返上を狙った 2nd、間髪いれずの 3rd、そして 4th「オペラ座の夜」、と畳みかけるようにアルバムを発表します。落ち着きがないというか、生煮え感というか、うかうかしていたら干されてしまう、といったスタンスが透けていたのです。これが逆効果でした。中途半端な印象をかえってリスナーに与えました。もともとハードロック路線で出たのなら、その方向でとことん勝負すればいいのに (Brian May のギターにその可能性は感じられたのに)、それはしない。2nd でプログレっぽい展開に光明は見えたのに (コンセプト盤という意味ではイイ線を行ったのに)、それも極めない。

飽き性なのか、飽きられるのが怖いのか。しっかりと腰を据えない、この中途半端な音楽性は、当時の昭和的価値観からして「痛かった」のです。実際 Aerosmith や Kiss も同期のデビューでしたが、彼らはハードロック路線を進んだわけで……。なにかに付けて比較され……。

痛い理由②~Freddy 

それに輪をかけて、ヴォーカル Freddy Mercury のパフォーマンスが「痛かった」、はい。歌唱力はあるし、ピアノも上手い、なのに自己顕示が強すぎてガツガツしているようにしか見えない。ファッション・センスも 、蓼食う虫も好き好きとはいえ、タイツ姿に胸毛を露わにしたり、短髪&ホットパンツをひけらかしたり、みんなドン引きでした。少なくともぼくの周りに、自称 Freddy ファンは一人もいませんでした。

品がない、話題づくり専門、ヒゲが濃い、出っ歯、等々 Freddy の悪口を言いだしたらエンドレス。そのため彼の音楽的才能にまで誤解を生んだのは、かなりの損失です。メロディメーカーのセンスは認めざるを得ず、「輝ける七つの海」や「ネバ―モア」の曲調には Freddy の個性がよく表れていました。また、彼のパフォーマンスはフロントマンとして必要悪だった、と言えなくもないわけで、徹底的にやりきる感、知的羞恥を超えたサービス精神、といったものは非凡でした。だからこそ、フツーに歌えばいいのに!  そんなにウザがられたいのか! 

ただ、これはもう彼の性 (タチ) だったのかもしれませんね。なにかのインタビューで「ぼくは同じことを繰り返すのが嫌いだ、音楽・映画・演劇でいま何が起こっているのかを確かめ、それを全部採り入れるのが好きなんだ」と応えています。一曲のなかでころころ調子が変わったり、あの多重録音のお決まりコーラスが予期せぬところに入ったりする、ブリコラージュ的な作風についての質問だったと思います。そして、それが Freddy 個人の問題ではなく、実は同時代の他のアーティストから感化されていたことが、「痛かった」最大要因なのです。

痛い理由③~Sparks

今日では「ボヘミアン・ラプソディ」はもっとも愛されるロックの名曲のひとつです。とりわけ、構成やオペラティックなコーラスが賞賛されます。しかし、1975年当時、表向きプログレ的エッセンスを凝縮したようなあの作風は、Sparks の先進性をかなり模倣している、と見做されたのです。早く新しいものを産みださねば、といった強迫観念的な欲求が Freddy のアンテナに働きかけたのかもしれません。Sparks はアメリカのメイル兄弟を中心としたバンドですが、72年イギリスに活路を求めて渡英このとき前座を務めたのが Queen なのです。そして74年「キモノ・マイハウス」で Sparks がカルト的人気を得ると、メディアは一斉に「ロックオペラの傑作だ」と持て囃しました。その一部始終を Queen は間近で見ていました。

目まぐるしいドラマチックな展開、オペラ風のコーラス、Sparks の「キモノ・マイハウス」「恋の自己顕示」のテイストは、そのまま Queen の「ボヘミアン・ラプソディ」に受け継がれます。これ絶対にパクリやなあ、というのが当時のぼくらの率直な感想。

いやいや、言葉は慎まなければなりませんね。パクリではなく、アーテイスト同士がインスパイアされるのは珍しくありません。ただ、Sparks はアヴァンポップのキワモノ・バンドみたいな扱いだったので、この曲調は見事に嵌っていました。他方 Queen はどこまでも鹿爪らしく、笑っていいのか感動していいのか、どうにも困惑するばかりでした。これがまた「痛かった」のです。売れるためにはなんでもアリかよ、みたいな。

だから、この一連のクイーン「痛い」評は消費行動にもろ影響しました。早い話、LPを買うには危険すぎました。当時は LPレコード全盛期であり、コンセプト・アルバムが主流なのに、Queen のアルバムには統一感/熟成感がありません。トータル性が欠如したシングル・トラックの寄せ集め。かりに LP一枚が10曲収録でも、好みの曲は 2・3曲でした。これに 2500円を払うのは冒険でした。まして、ハードロック → グラム → プログレ → パンク → ニューウェーブ、と70年代の音楽シーンが移り変わるなか、彼らはどのムーブメントからも距離を置き、あるいはどこからも煙たがられていたのです。そこへ、それらのすべてを集約/統括するかのように発売されたベスト盤、そりゃ買うなら断然こっちでしょ。

1981年「Greatest Hits」をぼくも購入しました。なにを隠そう、Queen の LPはこれが三枚目でした。「Queen Ⅱ」「オペラ座の夜」だけは持っていましたが、他は全部 S木くんに録音してもらっていたので。おそらく、ぼくと似たような消費者は多かったと思います。

サブスク時代の到来

さて、ぼくはいま世界中のクイーン・ファンを敵に回しています。ご心配なく、ここから胸のすく逆転劇です。

実は Queen のことをぼくは陰でずっと意識していました。昭和の忖度文化に気圧されて「クイーンいいね」とはさすがに言えなかったものの、批評眼は常に是々非々のスタンスを貫いていました。ここまで書いたクイーン評のオセロゲームが、8割がた黒色で占められていた盤面が、いよいよ白色にひっくり返ります。ことごとくオール・リバーシ (黒がアンチ、白がシンパ、という意味で『Ⅱ』のコンセプトとは無関係)。

2009年、イギリスで Spotify のサービスが始まりました。いわゆるサブスク時代の到来は、音楽をフィジカルの縛りから解放した、という意味で画期的な環境変化をもたらしました。ぼくにとって以前の Queen はお金を払ってまで聴く対象ではなく、そのくせ「はやり歌」ですから、テレビやラジオからはいつも聞こえてくる音源、といった距離感だったのです。ところが、サブスクによってほぼ無数のアルバム/プレイリストの聴き流しが可能になると、それはオールタイムからの選曲に等しく、ややもすれば個々の楽曲情報 (その背景や出自) までが失われます。これって、ベスト盤の聴きかたに似ていますよね。そして、そんな状況が10年も続けば、楽曲情報は歴史のノイズとしてきれいさっぱり忘れ去られます。

Queen にしてみれば「棚からぼた餅」。加えて2018年、絶好のタイミングで映画「ボヘミアン・ラプソディ」が公開されます。この映画のテーマは、ひとつが Freddy の LGBTQ としての苦悩。もうひとつが「ライブ・エイド」における伝説のパフォーマンス。

1985年「ライブ・エイド」を、ぼくはまさにリアルタイムで観ました。世間はすっかりニューウェーブに染めあげられており、プロモーター&社会活動家としての Bob Geldof の凄さが際立っていました。ノーベル平和賞を貰うのではないか、という噂。若者が中心になって世の中を動かした、という連帯感。参加したアーティストへの注目は、やはりニューウェーブ勢に集まりがちで、もっとも旬なのは U2 でした。参加を最後までためらった Queen はもう「あの人は今?」的な扱いでした。しかし/だからこそ、そこに過剰な期待はありません。ハードルは低く、Freddy のウザさすらみんな忘れています。ある意味 (皮肉な話)、ニュートラルに音楽を聴ける環境が整っていたわけで……。フツーに演奏すれば Queen のライブはもともと折紙つき……。

思うに、Freddy Mercury がセルフ・プロデュースの天才だったのは間違いありません。(アンチを含めて) 注目を集めるだけ集め、最後の最後に、自身へ向けられたマイナス要素をすべてプラス遺産へ転化させたのですから。千載一遇のチャンスを見逃さず、その瞬間に注いだ集中力は凄まじいものでした。また、エンターティナーとしての力量もさることながら、みずからの命さえブランディングのために捧げたように映るのは、痛ましい/誇るべき事実でした。映画でも描かれたように、1991年 Freddy は HIV感染症で死去します。wiki によると、1992年当時 Queen のアルバムは全米で約8000万枚売れていたのですが、そのうちの半分近くは前年の Freddy の死語 (享年45) からわずか 1年で達成したそうです。

ブランディングは歴史的に新しい言葉です。おそらく Queen ほどブランディングに成功したロックバンドは、他にはないでしょう。70年代、LP全盛の音楽環境で「クイーンには歴史的名盤がない」とあげつらったのは、他でもなくアルバム至上主義の見方であって、結局ぼくも含めたしたり顔の連中はただ単に頭が固かっただけ。あるいは、Queen のベスト盤がそれに該当したのなら、まさにバンドの活動そのもの (=ブランド) が歴史的傑作だった、ということです。マーケティングにおいて最重要なのは「モノ」よりも「情報戦略」。後から見れば、大衆消費社会の入口で発売された1981年「Greatest Hits」は、いわばベスト盤の域を超え、来たる後期資本主義の本質を先見的に孕んでいたのだと思います。

伝統的な「モノづくり」の気質からすると、Queen のアティテュードは腹立たしく見えたはずです。ときには癪に触って、無駄に敵を作るきらいもあったでしょう。しかし、元来それは作品と反目するものではありません。もちろん逆相関になることも。

いまや、途方もなく広がったオセロ盤を埋め尽くす白のピース。壮観ではありますよね。

それでは、また。
See you soon on note (on Spotify).

クイーンの最高傑作はベスト盤です
なので楽曲・ベスト5を記します

1位「Bohemian Rhapsody」95点
2位「Killer Queen」92点
3位「I Was Born To Love You」89点
4位「The Fairy Feller's Master-Stroke」88点
5位「White Queen」86点

原題表記



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