陽気なおじさん

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最近の記事

TAMRON SP 20-40mm F/2.7-3.5 Aspherical IF

DC135mm以外では、F5が浮いて見えるほどのチープなレンズしかなかった。チープなレンズ群も望遠寄りで、広角レンズを持っていなかった。それは「写真はアップで撮るほど見栄えがする」と思っていたのと、広角レンズをどう楽しめば良いのかイメージがなく、ほしい写真を作ってくれそうもなかったのが理由。 それでもトライしたい気持ちと、レンズの範囲を拡げたいと言う物欲があった。 ニコンからAF-Sのニッパチズームが発売される噂が雑誌に書かれ始めていたが、待てど暮らせど・・・だった。DC1

    • AI AF DC-Nikkor135 f/2D

      よく考えるとズームが人気を急上昇させていた当時で単焦点は下火ぎみの頃に、ニコンはズームレンズでは機能面、ズーム幅で他社に遅れをとっており、ラインナップを見ても単焦点の方が光っていた。F5にはカッコ良くあってほしかったので、私にはペンタックス200mm以来で生涯2本目の単焦点レンズになったがDC-Nikkor135 f/2Dを買った。 高かったがディスフォーカスコントロールとレアなレンズは、どちらかと言うと望遠系に人気のニコンらしい。 調整次第でソフトフォーカス的な絵になるこの

      • フラッグシップ 思い出5

        転職をして懐に余裕ができた頃にF5を買った。これは完全に物欲である。ハイスペックなカメラを持つことに大きな満足感があった。この頃仕事に追われ休みもほとんど取れず自分を見失いそうになりかかっていたかもしれない。ふと目に止まった雑誌のF5が光って見え、ご褒美が欲しかった。 入手して間もなく「こんなハイスペックなカメラを素人がもつものではない」と思い知った。 重く頑丈過ぎるボディは周囲の物を壊し、私のウェストに多数のボディブローを放ち甚大な被害をもたらした。 それでもF5は眺めて

        • 憧れのニコン 思い出4

          二十代後半。スポーツ繋がりの友人が、ある分岐点でドン底に落ちた出来事があった。私はその友人の導きで、その時の自分があると恩を感じていたので「彼のために何かできることはないか!?」と考え、友人の勇姿を記録に残そうと、ピント合わせに自信のない私(?)は流行の「オートフォーカス」のニコンのF70Dを買った。 ニコンは当時”高級ブランド”で他社よりヒト越え高くて躊躇いがあったものの伝説の信頼性にお金をかけた。 ・・・と言ってもF70Dなので当時の私の懐事情がハッキリわかる。勤め先の輸

        TAMRON SP 20-40mm F/2.7-3.5 Aspherical IF

          レンズの差 思い出3

          初めて買ったスーパーAと、サードパーティ製のレンズは、高校生だった私には”記念写真”専用機でしかなかった。 修学旅行への同伴はスーパーAとの関係を考えさせられたできごとだった。こんなにカッコいいカメラがありながらスゴイ写真は撮れないものかと。。。。 長いレンズを使うと「きれい」と思える写真が撮れそうだと知ったのは更に半年後。ペンタックスの200mm/f4のレンズを買った。中には「コレだ」と感じるショットが稀に撮れたものの、確率は低かった。ほとんどはピンボケ・手ブレが酷すぎて

          レンズの差 思い出3

          初めて買ったカメラ 思い出2

          高校生の頃、友人に誘われて始めた時給¥600の週末のアルバイトで貯めた貯金を使ってペンタックスのスーパーAを買った。 アルバイトは「働く」に興味があり、それで大人に近づけ、次のフェーズに進めると思ったからでお金が欲しかったわけではなかった。親は勉強優先とウルサかったし、部活の剣道にも夢中になっていたので練習のない週末限定で社会体験のような感覚だった。 なので、たいした額ではないが、もらった給料はタンス預金になっていた。 スーパーAは比較的安価でAEなど多機能であったことが決

          初めて買ったカメラ 思い出2

          東京マラソン 2024

          選手は、それぞれの思いをもって前進されていました。ガンバレ! AI AF DC135mm/F2と東京マラソンの応援に行きました。解放付近で撮るとこんな感じです

          東京マラソン 2024

          カメラとの出会 思い出1

          それは小学校の頃、銀行員だった父がカメラを買って帰ってきた日だった。父が買ったのはペンタックスのSPOTMATIC F ブラックボディ。 当時カメラは高級品で、ましてや日本製の一眼レフは職業で使う物でなければ、お金持ちの証のような存在。 兵庫県西宮市にある社宅に住んでいたが、ペンタックスの最初の被写体は「家族写真」であった。父は新調したペンタックスに満遍の笑みを、母はやや呆れてはいたがお化粧をなおして営業的笑みを作り、兄は長男らしくキリッとした顔をしていた。私はと言うと〝あ然

          カメラとの出会 思い出1