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道草を食う

『道草を食わないで帰りましょう』
小学生の頃は、こんなふうに学校で言われたものだった。今どきの子はどんな言い回しで指導されるのだろう?
『寄り道しないで、まっすぐ家に帰りましょう』
と言うあたりが無難な言い回しだろうか。

私の育ったのはトトロが居そうな田舎…と言えば大袈裟だけれど、自然に恵まれた地域だった。県庁所在地から急行で1時間程度の場所で、学校の近くには、駅から徒歩15分ほどと言うこともあって、新興住宅地もできていた。だから当然、空き地もところどころにあった。

空き地は子どもたちの天国だ。今でこそ虫嫌いの私も昆虫を取ったり、木登りも2階の高さくらいまでは平気で登った。

そんな子どもたちの端くれでもあった私の楽しみは、【野いちごを食べること】。

夏は暑いので水筒にお茶を入れて持って行く。
学校が終わる頃には空っぽになるので、そこにお水を満タンにいれて帰る。

通学路の途中にその天国はあった。
さほど広くはなかったけれど、私たち6〜7人が、毎日、取って食べても減らないくらいの、一面の野いちご畑。

まさに道草を食う

そこで必要なのが水筒に入れた水。その水で綺麗に洗って食べるのだ。胡麻のように小さな種のある粒々のかたまりの実を食べるとプシュッと音を立てるように口の中に甘酸っぱさが広がった。
その美味しかったことと言ったら❗️

そんな時は仲間はずれも何もなく、みんな一緒。
一緒に道草すれば怖くないっていう、連帯感でもあったのかもしれない。

高学年になるに従って、みんな野いちご畑に寄り道しなくなった。私は後ろ髪引かれるくらいに、「行かないの?」と喉元まで出かかった声を何度飲み込んだだろう。
かと言って、1人で道草する度胸も無かった。

私はまだ、幼かったのだろう。小学生のうちは、川に入ったり、家の庭と地続きの田んぼがあって、れんげが咲くと入り込んで、花冠どころか、ベッドまで作っていた。
もちろん、母は眉をひそめ、「みんなそんなことしていない、いい加減にそんな遊びやめなさい」としきりに言われた。

私にはやめなきゃならない理由がわからなかった。これもADHDで精神年齢が低かったからかもしれないと今だからわかる。

れんげのベッドに寝転んで大空を眺め雲の流れを見たり、すぐ横の県道沿いの桜🌸を眺め、草の匂いに包まれるなんて、今思えば、なんて贅沢な経験をしていたんだろうと思う。

野いちご畑は中学に入る頃には、無くなって家が建ってしまったけれど。

道草をした野いちごばたけの思い出は、
暗いものが多い私の幼少期の思い出の中で、
珍しくキラキラとして、子どもらしくて、懐かしい思い出として、心に残っている。

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