昨日のつぶやき
私が見て生きた光の闇の世界。🫧💮
「真実を語るならば逃げ足の早い馬に乗ると良い」そんなメッセージをキャッチ。
ことわざなのかなー?っと思ってググったら、「真実を語る者は機知のない人間だけである」というドストエフスキーの名言があるのですね。
書き残すことが私の魂の喜び。書くことを選ぶ。そんな私を我慢しない。
機知のある人なら、知っている世界なのかな。
私は機知がなくて知らなかったよ。
知っても語る機知がない自分を受け入れるよ。🌞🪷自己統合。(笑)
そんな私も私は信頼するよ。
(そうするとストレスが減るそうな)
そうすると人も信頼できるそうな。
日光東照宮の🙈🙊🙉って、これのことなのかな。
機知のある家族はこれをどうやって子供に教えるのかな???🤔
とてもそこを知りたい。
機知のない家族が知りたかったら参考になるよね。
良心と機知は別の軸上にあるね。
いじめモラハラ心理的虐待の洗脳と弱みを握ることで保険をかけなきゃ築けない信頼って、もろいよね。
そこがネック。と思って私の我は信頼しないを選ぶけれど(私は私をそういう扱いはさせないと決めたから)、光の社会はそうして統べられていたのね。
それが清濁合わさっているってことなのかな?
我を取れば、信頼するもしないもそもそもないんじゃないかな。
私がいないという前提もそもそもないものね。
私はいるけれど、いてほしいところにいなかったという期待と要求から始まったことなのだものね。
いてほしいところに動かそうとしたけど私がそうしなくてこうしているということだものね。
結構心地よく幸せに。と思う。
😊
そう、私、右も左もどっちがどうでどんなかということを覚える気がないのですよね。知ろうとしない。不思議と。そこのエネルギーも省エネしています。
たぶん、一生懸命教えてもらっても、覚えない頭です。そこを覚えることに意味を感じないです。(自己受容と自己開示)👍
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