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FGOのオタクが長州の聖地巡礼に行って歴史上の吉田松陰がめちゃめちゃ好きになって帰ってきた話

突然だが私はFate/Grand Orderのオタクである。

正確にはそろそろ奈須きのこ(※Fateシリーズ原作クリエイター)のファンかもしれない。
ただがっつり追いかけているファンには全く知識も時間も及ばないし、この話をするとすごい長くなるのでとりあえずFGOのオタクで始める

本記事はFGOのオタクが、旧長州藩萩市の聖地巡礼をし、普通に偉人の生き様に人生を揺り動かされてめちゃくちゃになるレポである。
FGO外の歴史ファンや萩市民に、感謝を込めて届いたら嬉しいし、逆に他にも高杉社長と松陰先生のオタクがいたら、巡礼先の参考にしてほしい。


なお、現代では当時の該当偉人の尊敬が、直接的に尊王攘夷的思想には結びつかない点については先に注記しておきたい。そうじゃない話をするぞ。

1.そうだ、聖地巡礼行こう

社長が推しである

Fate/Grand Orderの高杉晋作は色々あってifの昭和で社長をしている

2023/3/5,FGOでの高杉晋作の、プレイアブル実装が発表された。
当初2021年に、坂本龍馬を主人公にしたイベントにノンプレイアブルで登場しており、満を持しての実装であった。

2023年3月のイベントでは、吉田松陰も登場。語り口はギャグテイストながら、松下村塾の教えを下敷きに、蘇った高杉晋作の人間的再生を見守る王道ストーリーが展開された

それを受けてふと、FGOをやっている友人に「お盆休みで(松下村塾があった)萩行かない?」とLINEしたのが4月のことである。
「行くわ」と返ってくるまで4分であった
オタク行動が早い。

▼参考: 色々なFGOの歴史オタク

ここから宿を決め(絶対フグ食べて毒の原因未解明当時の長州藩にマウント取りたかったのでフグが食べられるかを基準で選んだ)、行きたい場所をリストアップし、萩観光協会のサイトのお世話になったりしながら旅程をスプレッドシートにまとめたのが7月のこと。

この時の私はこう思っていた。

へぇ、松陰先生って神社に祀られるほど尊敬されてるんだ
神様じゃなくて史実の人だし軍人でもないよな? そういうのって祀るものなんだ。
まあ色んな政治家と関わりあったみたいだからな、力関係かな」

本レポでは偉人を舐めていた私が、この状態から史料に打たれてメソメソになるまでの混乱状態がよく見て取れる

ちなみに前日友人からは古地図が送られてきた

全然使ってないけど面白いので旅に行く人はどうぞ

2.実際の旅程

8月15日15時すぎ、萩到着。
萩旅行は友人のアドバイスにより、観光地が17時で閉まる山口県でも無理のない二泊三日予定である。
迫りくる台風7号ランをすり抜けながら(※ここは真似しないように)来た身としては結果的に交通の乱れに引っかからず正解であった。

まずは旅館に迎えてもらい、史実の高杉晋作や吉田松陰の墓地へお墓参りに行った。

1日目: 高杉晋作草庵跡・吉田松陰の墓

史実の高杉晋作が剃髪後に妻と過ごしたとされる草庵
吉田松陰の墓

雨のしと降る夕方、誰もいない墓にまだ何も知らず「会いに来ました」と手を合わせるオタク。
※オタク(一人称)は高校では世界史選択であり日本史をだいぶ忘れている。

この時点で友と語り合った感想である。
松陰先生のお墓建立者の顔ぶれ(※写真右奥立看板)スゴ
高杉はもちろん、久坂玄瑞、伊藤博文もいるね。
松陰先生が幕府に処刑されて大罪人とされてる中、門下生17人が名前を刻んで寄進したのは勇気のいる行動だったって……めちゃくちゃ慕われてたんだなぁ……」

FGOの松陰先生も魅力的なキャラクターであったが、この時点で私は、薄々ようやく、史実の吉田松陰という存在の影響力に気づき始めたくらいである。
ちなみにFGOの高杉晋作も「僕の人生で先生より尊敬できる人はいない!」と松陰をめちゃめちゃ慕っている。

▼近くに松陰先生誕生地もある。

お盆でもあり、ほど近い東光寺では送り火が行われるはずの日だった。
台風で中止になったが、本来は13日の迎え火とともに美しい風景が見られるらしかったのが残念だ。
教えてくれたお土産屋の人、ありがとう。

2日目: 明倫学舎・松陰神社

翌朝10時すぎ、今は資料館になっている藩校にお邪魔した。

ほんの10年ほど前まで、まだ小学校として使われていたそうだ。
歴史ありすぎる。教科書に出てくる人が使ってた校舎で授業受ける小学生どんな気持ちなんや。
でも私幼少期に朗唱(※吉田松陰の言葉を教室で読んでたらしい)させられてたら当時は松陰ダルかったかもしれん。

明倫学舎入館3分で大ウケする我々。
七夕の笹になにか付いてた。オタク考えること同じすぎる

すみません面白すぎて勝手に撮った。消して欲しい本人が見たら教えてください。

明倫学舎の資料館である1.2号館は、かなり見ごたえがあった。
行く人はぜひゆっくり時間を取って楽しんでほしい。

ここで私の吉田松陰観がかなり変わる
2号館1階の世界遺産ビジターセンターに置いてあったVR松下村塾のせいである。

内容は自身が松下村塾の一員として迎えられ、長州の志士たちや、のちに新政府の要となる幕末ファイブを、同じ目線で見守ることができるものである。
この10分程度の幕末ダイブ経験から出てきた私は情緒ボドボドになっていた

「あのね……松陰先生がね……あなたの志はなんですかって……志に基づいた行動ならできるって、死後の明治時代にも想いが伝わってるのがすごい分かって……
「おーおー」※空中に向かって胡乱な動きをするVR体験中の私を見守っていた友人

我ながらチョロいが、昨日じわじわと影響力を感じていた偉人から目指したいものを問われ、後の世を動かす推したちと同席したことで、「ウワ〜そりゃ〜歴史に残るわ」となったのである。
こんな……こんな松下村塾のあったかい風景で若い頃を過ごしたら、そりゃ一生の思い出になっちゃうよ! みんな! ※映像はイメージです
そして本当に、吉田松陰が人の心を動かす言葉を持ち、教え子たちの心と行動に足跡が残り続けているのがひしひしと伝わった。

地方観光地のVR歴史映像でめちゃくちゃになる人、シナリオとか映像の担当者冥利に尽きそうなのですごい伝えておいてほしい。
友人曰くVR保守担当のおじさんもちょっと嬉しそうだった

これは入口に置いてあった松陰先生によるイエス・ノーボタン式似ている塾生診断である。高杉晋作に似ている判定、微妙に嬉しくない。

続けて明倫学舎を練り歩き、歴史や地理について学んで松陰神社に向かう。

「松下村塾って思想的な面は今もよく聞くけど日本の工業化にも貢献してたんだ……」
SAITAMAが工業都市なの、めちゃくちゃ松下村塾思想の下敷きあるじゃん……」※FGOの高杉晋作は戦争を生き延び、吉田松陰亡き武蔵野SAITAMAに重工都市を築いている

次なる松陰神社の境内には、いよいよ目的地・松下村塾もある。
オタク(一人称)はもうウキウキワクワクであった。

松陰神社は松陰旧宅・松下村塾跡地にある。伊藤博文らの請願からなる神社である。
何回も言うけど初代総理大臣に追悼で神社建立を請願されてるの尊敬され方が凄すぎる。政治的なところとかもそりゃあったんだろうけども……。

まず学びの道に足を踏み入れて、飾られているあらゆる名言に「わかる〜!!」と大興奮するオタク(私)。
九大芸術工学研究院が空間デザインしているらしく、普通にお洒落。

これはFGOのイベントクライマックスにも使われているのでファンは見て

以下学びの道の私実況。

「『総じて人々得手不得手あり 英雄の上にも無得手あり 愚者の中にも得手あり 其の得手を知ること 人を試むるの要なり』 これはマジでそうだよ。松陰先生、ストレングスファインダーで言うところの個別化得意だったんだろうな
※ストレングスファインダーについてはこちらでどうぞ(課金部分なので自分で調べても◎)

「『知は行の本たり 行は知の本たり』 デキるグループリーダーだった人と同じこと言ってる〜
※グループリーダーはとても勉強熱心な人だったので吉田松陰かは別にしてどこかでこういうの読んでそう

「『道の精なると精ならざると 業の成ると成らざるとは 志の立つと立たざるとに在るのみ』 これは言い過ぎのような気がするけど最近結構実感してる〜!! 目標持って行動することの大切さ!!
※要約これで大丈夫?

「『人の精神は目にあり 故に人を観るは目に於いてす』 経験値先生(※FGOの吉田松陰担当ライター)これ知ってたでしょ!? だからSAITAMAの高杉(※当初悪役だった)見たとき『そんな目の男は知りませんね』って言ってたんだ!!」
※オタクの推測

他にも
「オタク、これFGOで見た!!」
「これ私も思ってる!! 身近な優秀な人が言ってた!!」
みたいなのを片端から写真撮り倒していた。

境内にある吉田松陰の生涯の資料館であるところの至誠館で、これらの名言解説集が買えると知って即決。
至誠館に入るときにチケットと一緒にお願いして、友達に「そういうのって出るとき買うんじゃないんだ」って言われた。

至誠館も良かった。
松陰わずか30年(数え/満29歳)の生涯の、どの時点で何を考えていたのかを、周りを取り巻く人や時代と合わせて辿る気持ちには、しみじみとしたものがあった。

そしてメインディッシュ、松下村塾聖地巡礼である。

載せないが私を入れて「入塾してる感じで撮ってください」と友にお願いした写真もある

松下村塾、最初は片方の棟だけの八畳間だったのを、門下生が増築して大きくなったらしいね。
後の世に名だたる人たちがえっさほいさと土運んでるの想像したら愛しすぎる。前日VR松下村塾見たせいで余計に

松陰神社境内には教え子たちが祀られている松門神社もある。
何回目かわからんけど顔ぶれ凄すぎる

松門神社には教え子と遺書の功労者が合祀されている。FGO的にはハイサーヴァントかもしれん。

こんなところで2日目の旅程終了。
ここで私は至誠館に貼られていた松陰関連名所地図を見て、「野山獄行こう野山獄」と言い出す。※黒船密航に失敗した松陰が放り込まれた牢獄。当初旅程にはなかった。
理解のある友は「5kmくらいまでなら歩く」と剛毅のリアクションを見せた。※そんなに離れてない。

3日目: 野山獄・高杉晋作旧宅・萩博物館

「先生を 慕いてようやく 野山獄」
高杉晋作の句である。

野山獄跡は明倫館や萩城下町の北東あたりにある

周りに観光地も少なく、静かな住宅街だった。
ここがかつて藩の監獄で、名だたる志士が投獄されていたことを想い、私達は手を合わせた。

感謝したいので残しておくが、そのようなことをしていたら近所の男性が野山獄パンフレットを案内してくれた
本当に近所に住んでいるだけの親切な方だった。ありがとうございます。※もう少し色々聞いたが特定に繋がってはご迷惑なのでこれだけに。

松陰先生句碑に向かい振り返るとパンフレット置き場

さらにのんびりお散歩して、途中で「海だー!」「キレー……じゃない! ゴミだらけだ!」「現地の歌人もゴミだらけって歌ってて草(※井上剣花坊)」など寄り道しつつ、萩城下町へ。

萩城下町は、江戸時代の趣残る木造りの素敵な街であった。
おやつのプリンを買ったりしながら、いよいよ推しのモデルの高杉晋作生誕地へ。

▼おすすめプリン

高杉晋作生誕地は、当時の豪商家・菊屋屋敷のある菊屋横丁にまだ旧宅として残っている。

▼偉人旧宅入り放題チケットからはハブられているので注意。でも元々大人100円

細い横丁に往時の少年を思い浮かべたりしながら、門をくぐる。

むしろ100円でいいんですか!?

広くはない敷地だが、生まれの初湯井戸、暮らした座敷、生涯資料、東行(剃髪した晋作の名乗り)歌碑など、お腹いっぱいすぎるほどの高杉晋作スポットだった。

「西へ行く人を慕いて東行く 我が心をば神や知るらむ」

飾られていた句碑を見る。
過激派代表だけど人慕ってばっかりだな晋作。

龍馬推しも行ってくれーーーッ

FGOライターの一人の経験値さん(X:@keikenti)は元々、大河ドラマや歴史漫画が好きなようだ。(参考:コンプティーク2022年3月号インタビュー)
見た目こそ現代ゲーム風イケメンになっているが、比較的現代で受容されている偉人イメージそのままキャラクターを作っているのがよく分かった。


旅もいよいよ終わりに近づいている。
最後は萩博物館である。
せっかく歴史ある土地なら現地資料館には行きたいでしょという気持ちで旅程を組んでいた。
高杉晋作資料室もある。

なお、この時点で比較的時間に余裕があったので、同時開催の夏休み特別展「萩古生物キングダム」にも行った。
映像に結構力入ってて面白かった。感性がキッズ時代から変わらん。

常設展示内容は主に、萩の歴史、萩の自然、晋作資料室である。
やはり幕末史展示の力の入りようは往時の長州藩だ。
2泊3日の旅行期間、何度も概説を読んだおかげで、「あーそんなことあったね」と言えるようになったこと自体がとても嬉しかった。
日本史にわかがちょっとだけ幕末わかる人にレベルアップした。

晋作展示室は写真撮影不可であるが、FGOファンなら諸手を挙げて見たいであろうただの三味線じゃない三味線レプリカが展示してあるので行ってほしい。

FGOの例の三味線からは電磁ブレードが出る。なんで?

3.旅から得たもの

社長推しから始まった聖地巡礼であるが、ただキャラクターや舞台の解像度が上がっただけでない、様々な喜びがあった。

私は元々本を読むのが好きであり(noteプロフィール参照)、FGOが好きなのもテキストを読むことの延長線だ。
その私が近年、いいかげん旧知の友達も出世したり子供を育てたりする歳になってきて、「本を読むだけじゃなくてそこから得たもので人に貢献したい」と思っている時期に、吉田松陰の生涯はぶっ刺さった

知は行の本たり、行は知の本たり。
幽囚中に一年と少しで千六百冊超の本を読んだという松陰が残した言葉である。
幕末の千六百冊って今一日三冊マンガ読むのと事情ちゃうねんぞ。手に入れただけで人脈すごいわ。
この事実からも伝わる、知識と実行を紐づける松陰の考え方と、圧倒的人と繋がる力に、私は痺れた。

教育に力は入れるが優しい家庭で育ったという松陰。
塾生一人ひとりの個性を見抜いて、それに合わせた教育を行ったという。
齢29ながら家族や塾生個々を大切にしていたことは、処刑前の手紙(留魂録)に切々と表れている。

松下村塾が外向けに行われていた期間は、実に二年足らず
その期間に影響を受けた青年たちが、墓への寄進に名を刻んだり、神社を建てたりするような力。
私はそこには思想家としての強さだけではなく、篤い人間愛があったのではないかなと思う。

背筋が伸びる。
幕末の攘夷運動という、今からすれば極論的な思想を唱えていた過激派であるが、深い部分を尊敬し、受け取れるものは受け取りたいと思った。

でも、その吉田松陰も牢獄の中で、「諸葛孔明にはとても及ばなかった」(萩博物館資料)と悔いている。
偉人もまた、先人の大きな積み重ねの上に立ち、そのうえで届くものと届かないものを見つめていた。

FGOの吉田松陰のめちゃくちゃ好きなシーン

地を離れて人なく、人を離れて事なし、故に人事を論ぜんと欲せば、先(ま)ず地理を観よ。
吉田松陰の教えである。

人の考えは、暮らす土地に紐づいて形成される。
その地をよく知ることが人を知ることになる。

知らずに行った言葉であるが、まさに今回の聖地巡礼のテーマだったかもしれない。

時代によって人の評価は変わる。

それは踏まえても、私も先人の言葉で価値観を更新し、積み上げながら生きていきたい。
松下村塾もそう教えている。

旅行レポはこんなところで。
楽しかった!!

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