子どもクラブ 体験入部にて
大学の頃
「子どもクラブ」というサークルがありました。
シンプルでストレートなその名のとおり
地域の学童や児童館を訪れて
大学生が子どもたちと遊ぶサークルです。
子どもクラブに私は入らなかったのだけど
大学に入学したての頃
入るかどうか迷っていて
何度か見学・体験に伺いました。
今日はその時のお話を。
☆☆☆
その日は
大学近くの集会所みたいなところに出向いて
幼稚園〜小学校低学年の子どもたち10人ぐらいと
輪なげとかハンカチ落としとか
屋内でいろいろなことをして遊びました。
3回生のF先輩
2回生のT先輩
同じ1回生で入部希望のCくんと
4人チームでお邪魔したと記憶しています。
皆ガムテープにマジックで名前を書いて胸に貼り
「すのちゃ〜ん!」
って子どもたちに呼ばれたりして。
当時の私は
幼稚園の先生か
小学校の教員になることを目指していたので
こどもたちと過ごす時間はとても楽しく
幸せなひとときでした。
お互いの名前もひととおり覚えて
空気も温まってきた頃
一列に並んで順番に何かするような遊びかゲーム
(すみません記憶おぼろです)
をしていたときに
ある子どもたちがケンカになってしまったんです。
わりと年少の
幼稚園生のAちゃんが並んでたところに
小学生の男の子が割り込んで入ってきて
順番抜かさないでよ!
ウルセー!
みたいなことで
どっちが叩いたとか叩かないとか
揉み合いのケンカに。
とっさのことで私はオロオロしてしまいましたが
T先輩が素早く2人を引き離し
泣き出しちゃったAちゃんを私に託しました。
すのちゃん
ちょっとAちゃんのことお願い。
落ち着くまで隣の部屋で一緒にいてあげて。
戸惑いつつもAちゃんと2人で隣室に移動して
Aちゃんを小さな椅子に座らせました。
ひとまず膝を落として目の高さを合わせ
しくしく泣き続けるAちゃんに
大丈夫?
と私は声をかけます。
黙ってコクっと頷くAちゃん。
すの「嫌だった?」
A 「うん」
すの「そっか、嫌だったんだね」
A (黙って自分の腕をさする)
すの「痛かった?」
A 「痛かった....」
すの「そっか、痛かったね」
そうやって10分ぐらい
腕をさすったり頭を撫でたりしながら
言葉少なに過ごしていたら
ふいにAちゃんはスッと立ち上がりました。
もう大丈夫?みんなのところ戻る?
と聞いたら
うん
って。
頬を流れていた涙は
いつの間にか乾いていました。
みんなのところに戻ると
さっきの男の子がAちゃんに
ゴメン
と謝って
Aちゃんもアッサリ
いいよ
と答えて
それからまた
何事もなかったように楽しく遊び始めてくれました。
なんとか解決した(?)みたいで
私は胸を撫で下ろしました。
☆☆☆
その次の週
私はまた子どもクラブの見学で
今度は部室に来ていました。
(なかなか入部に煮え切らないくせに何度も見学ばかりさせていただいて....)
先週遊んだ子どもたちから
お礼の手紙が届いたということで
先輩たちと一緒に机を囲みました。
これ、あのAちゃんからだよ
そういって先輩に渡されたお手紙には
クレヨンで紙いっぱいに
すのちゃんありがとう
また遊ぼうね
って書いてありました。
それはもう
感無量です。
18年の人生でいちばん...は大げさかもしれないけど
それくらい嬉しくて嬉しくて
目頭が熱くなりました。
私がAちゃんにしたことは
Aちゃんの言葉をひたすらオウム返ししながら
静かにそばにいただけです。
ケンカの仲裁も
うまいアドバイスも出来ていません。
それでも
Aちゃんは私の名前を覚えてくれてて
名指しでお手紙を書いてくれたということは
この上ない喜びでした。
思えば
痛かったね
嫌だったね
と共感を示すことは
私自身が子どもの頃
誰か周りの大人(主に母)に
やってほしかったことなのだろうと思います。
しゃくりあげて泣くAちゃんの姿が
過去の自分とかすかに重なって見えた気が
しなくもないのです。
そのお手紙はサークルで保管するということで
手元にはいただけませんでしたが
長い年月が過ぎた今でも
心の中で鮮やかに残り続けています。
今や立派な大人の女性になっているであろうAちゃん
私のことなんて忘れちゃったかもしれないけど
あの日の出来事がその後のあなたの人生に
わずかでもプラスの影響を与えているといいな
と願ってやみません。
....って言うのもおこがましいか。
18歳の私に
力をくれてありがとう。
....結局
子どもクラブには入らず
教職にも就かなかった私ですが
あの日のチームメイトだったF先輩とT先輩は
大学在学中から現在まで仲良くしてくれていて
同回生のCくんとは
大学卒業後に1年半くらい交際していました。
(急展開!笑)
Aちゃんや子どもたちとは
あれきり会えていません。
また縁があればどこかで、ね🌸