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田園に死す(1974)

「一人の男がはじめて汽車に乗るためには、その男の母親の死体が必要なのだ」

(寺山修司監督『田園に死す』より)

【概要】

寺山修司が制作・原作・台本・演出を務めた、『書を捨てよ町へ出よう』に続く長編映画二作目。東京で映画監督をしている現在の“私”(寺山)が、自身の原点である幼少期を回想して映像化する。しかし、現在の“私”が過去を美化して語ろうとするために、現実と虚構が入り交じりすれ違っていく。「家出」や「母殺し」や「かくれんぼ」といった、寺山の終生のテーマが詰め込まれた自伝的作品。1974年12月28日公開。



【解題】

本作は、寺山が自らの同名歌集をもとに映画化した自伝的代表作である。父の死とイタコによる口寄せ、死から復活する風船女、売春と心中、出産と間引き、間引いた子供を産み直そうとする狂女。此岸と彼岸の境目を表す聖地、恐山で「生」と「死」がオーバーラップする。その前衛的な作風は同時代人から高く評価され、押井守、幾原邦彦、庵野秀明、大槻ケンヂなど多くのクリエイターに多大な影響を与えた。

押井守が指摘しているように、本作は寺山が自身の原体験から引用したパッチワーク的な作品である。そのため、作中で用いられる奇妙なモチーフも、実は過去の寺山作品の焼き直しに過ぎない。例えば、作中では「かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰をさがしにくる村祭」という歌が引用され、鬼の子が目隠しを外すと大人になった子供たちがゆっくりと現れるというようなシーンが何度か挿入されるが、「かくれんぼ」は寺山読者にとっては馴染み深いモチーフのひとつなのである。以下に寺山の書籍から、「かくれんぼ」について書かれた箇所をいくつか引用してみよう。

かくれんぼは、悲しい遊びである。かくれた子供たちと、鬼の子供とのあいだに別べつの秋が過ぎ、別べつの冬がやってくる。そして、思い出だけがいつまでも、閉じ込められたまま、出てくることができずに声をかわしあっているのである。
「もういいかい?」
「まあだだよ!」
「もういいかい?」
「もういいよ!」

(寺山修司『両手いっぱいの言葉ー413のアフォリズムー』)

農家の納屋の入口で年下の子六人とじゃんけんをしてぱっと散り、納屋の暗闇の藁の中にかくれてじっと息をつめていると、いつのまにかうとうとと眠ってしまい、目をさますと戸口の外に雪が降っている。かくれたときは、たしか春だったような気がするがと、呆んやりとしていると、見つけたぞ、見つけたぞと言いながら入ってくる鬼の正ちゃんがいつのまにか大人になっていて、背広を着て、小脇に赤児を抱いている。その「見つけたぞ、見つけたぞ」という声ももう、立派なバリトンになっていて、かくれんぼのあいだに十年以上の月日が流れてしまったという幻想に取憑かれている。

(寺山修司『誰か故郷を想はざる』)

べつの日私は鬼であった。子どもたちはみな、かくれてしまって私がいくら「もういいかい、もういいかい」と呼んでみても、答えてくれない。夕焼がしだいに醒めてゆき、紙芝居屋も豆腐屋ももう帰ってしまっている。誰もいない故郷の道を、草の穂をかみしめながら逃げかくれた子どもをさがしてゆくと、家々の窓に灯がともる。その一つを覗いた私は思わず、はっとして立ちすくむ。灯の下に、煮える鍋をかこんでいる一家の主人は、かくれんぼして私から「かくれていった」老いたる子どもなのである。かくれている子どもの方だけ、時代はとっぷりと暮れて、鬼の私だけが取残されている幻想は、何と空しいことだろう。私には、かくれた子どもたちの幸福が見えるが、かくれた子どもたちからは、鬼の私が見えない。私は、一生かくれんぼ鬼である、という幻想から、何歳になったらまぬがれることが出来るのであろうか?

(寺山修司『誰か故郷を想はざる』)

思想史家の藤田省三は『精神史的考察』の中で、かくれんぼの核心にあるのは、「『迷い子の経験』なのであり、自分独りだけが隔離された孤独の経験なのであり、社会から追放された流刑の経験なのであり、たった一人でさまよわねばならない彷徨の経験なのであり、人の住む社会の境を越えた所に拡がっている荒涼たる『森』や『海』を目当ても方角も分からぬままに何かのために行かねばならぬ旅の経験なのである」と指摘している。

かくれんぼの鬼が当たって、何十秒かの眼かくしを終えた後、さて仲間を探そうと瞼をあけて振り返った時、僅か数十秒前とは打って変って目の前に突然開けている空白の経験を誰もが持っているはずだ。その中に突然ひとりぼっちで放り出されたような疎外感を、寺山は大人になってもなお抱え続けているのである。

また、作中の大きなテーマとなっている「母殺し」も、寺山が長年抱えてきたモチーフの一つである。本作では、現代の私(菅貫太郎)と幼少期の私(高野浩幸)が共謀して母を殺そうと企むシーンがあるが、その試みは挫折に終わる。ところで、このような構成は美輪明宏主演で上演されたことで有名な、『毛皮のマリー』(1967)の頃からほとんど変わっていない。『毛皮のマリー』は、おかまの誘拐犯マリーに監禁された少年の物語だ。マリーは自身の身分を母親であると少年に偽っているが、ある日少年はその欺瞞に気がついてしまう。少年はマリーから逃れようとするが、結局は救済者である少女を殺して、マリーという母親のもとへと戻っていく。

寺山が『田園に死す』のラストシーンで自身の分身(菅貫太郎)に述懐させる、「たかが映画の中でさえ、たった一人の母も殺せない私自身とは、いったいだれなのだ!?」という台詞は、長年寺山が抱えてきたコンプレックスをよく指示していると言えるだろう。ユングによれば、母親は何でも受け入れ、包み込むという慈愛に満ちたイメージを持つ一方で、子供の存在を呑む込み、束縛して、死に至らしめる破壊的な面も兼ね備えているという。実際、寺山修司の母であるハツは夫が戦死したとの報を受けてから、息子に対して無理心中を図ったことがあるようだ。

父が死んだという報せが入ったのは、その年の暮であった。母は私に心中を強いて、洋裁用の鋏を、私の喉に突き立てようとした。その母を突きとばして外にとび出してゆくと、外は雪が降っていた。

(寺山修司『誰か故郷を想はざる』)

母親は子供とへその緒で結ばれているというイメージをどこかで持ち続けている。そのため、子供を自分の理解の内へ押し込め、自分の世界に同化させようとすることも珍しくはない。ユングはこうした母親による同化(心理学では投影とよぶ)は、成長の過程で乗り越えていかなければならないプロセスであるとして、「母殺し」の物語を取り上げる。

ユングによると、世界中で描かれる怪物退治の英雄譚は「母」という怪物を断ち切って、囚われの女性を獲得するための戦いの象徴なのだという。ユング研究者である河合隼雄は「浦島太郎」を引き合いに出して、竜と戦わないばかりか乙姫と結婚しないまま、独りで地上へと帰っていく太郎は、「母」という怪物を断ち切れない「永遠の少年」であると指摘しているが、その考えに則るなら映画の中で象徴的な「母殺し」すら執行できない寺山もまた、「永遠の少年」だと言うことができるだろう。菅貫太郎扮する寺山は、「一人の男がはじめて汽車に乗るためには、その男の母親の死体が必要なのだ」と語る。寺山と同じく「永遠の少年」である私たちにとって、この作品は上映から五十年経った今日でも、暴力的なまでの輝きを放ち続けている。

【参考文献】

・寺山修司(1997)『両手いっぱいの言葉ー413のアフォリズムー』、新潮社
・寺山修司(2013)『戯曲 毛皮のマリー』、角川書店
・寺山修司(2007)『家出のすすめ』、角川書店
・寺山修司(2013)『誰か故郷を想はざる』、角川書店
・寺山修司(2021)『花嫁化鳥』、角川書店
・寺山修司(2007)『書を捨てよ、町へ出よう』、角川書店
・寺山修司(2018)『田園に死す』、浪漫堂
・押井守(2020)『押井守の映画50年50本』、立東舎
・河合隼雄(2013)『母性社会日本の病理』、講談社
・河合隼雄(2019)『無意識の構造』、中央公論新社
・小松和彦(2013)『神隠しと日本人』、角川学芸出版
・鷲田清一(2018)『じぶん・この不思議な存在』、講談社

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