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雑感記録(32)

【地元にこだわる必要はなくなった】


毎朝、僕は日経新聞と地元紙である山梨日日新聞を読むのが日課です。今日も今日とて、さあどんな記事があるかなとパラパラめくっていくと、心底恐ろしい記事が僕の目に入ってきた。

ジュンク堂 岡島撤退

ガソリンの高騰もさることながら、僕にはこの「ジュンク堂 岡島撤退」というこのワードに衝撃でした。山梨で大型書店と言えば百貨店、岡島の6階にあるジュンク堂しかないのです。他に大型書店はどこにあるかと言われるとジュンク堂以外には見当たらない。僕のリサーチ不足があるにしたとしても、ここ以外に大きな書店は見当たらないのではないか。

僕の休日の楽しみの1つとして、ジュンク堂へ赴き本を眺めることがあります。別に本を購入する訳ではないのだけれども、新刊や最近の流行などを抑えにいく1つの場所として存在するのです。ここは広いうえに探せば埃をかぶった良書も出てくるので、僕はそれを探すのも好きなんですね。

本好きの方には分かってもらえる可能性が高いのですが、本屋に行ってただ本を眺めるのも楽しかったりするんです。「こんなニッチな本があるんだ」「今はこういう本が売れているのか」などなど色々考えながらフロアを闊歩するだけでも楽しい。僕の知的好奇心が擽られる、それこそオアシスなのです。

ところが、そのオアシスが今、無くなろうとしている。これは心中穏やかではいられない。


昨今、店舗を構えている本屋が減少傾向にあります。それはどこの地方都市でも同じな気がしています。コロナになって、通販ですよね。アマゾンとか楽天とか、もっと言えばメルカリとかですよね。そういったものが発達したおかげで「店舗に行かなくても本が購入できる」という意識、いや現実がまざまざと見せつけられた訳です。

いつでも、どこでも、好きなタイミングで自分の欲しい本を購入できる。便利になったと言えば便利になったと思います。僕自身もその恩恵にすがって、アマゾンで本を購入する、いわばヘビーユーザーであります。しかし、実物を見て購入するのと、文字面をみて購入するのとでは雲泥の差がある。僕は少なくともそう考えています。

実際に自身の手に取って、その本の重みや厚さ、そして匂いなどそういった通販では感じることのできない味わい?とでもいうのでしょうか?これが無くなってしまう訳です。本の装丁を味わう。そういったことも無くなってしまう。これは本好きな僕にとっては息苦しいことこの上ない。

僕は大学を卒業してから地元へ戻ってきました。親に借金をさせてまで自分の行きたい大学に行かせてもらえたということもあって、自分の中で「就職時には地元に帰ろう」と決めていました。親に心配は掛けられない。その一心でした。また、東京にこれからずっと生活できるかと考えた時にまず以て無理だなと思ったところもあります。

それで実際に地元に戻ってきて、やはり文化レヴェルの違いにどうしても馴染めなかった。それは今も全く以て変わっていません。何という表現がいいのか出てこないのですが、文化に触れる機会があまりにも少なすぎる。美術館にしてもそうだし、それこそ本屋もそうですけど、殆どが満足できるようなものではない。

そんな中で唯一、僕の知的好奇心を擽る場所がこのジュンク堂だった訳です。


僕は金融機関に勤めているのですが、自分が学んできたことなど1ミリも活かせていない。本当に苦しい。毎日、本当の自分(というのが存在するか分かりませんが…)を殺しながら仕事をしています。そんな生活を送っている僕の唯一の救いがジュンク堂だった訳です。

月曜日から金曜日は自分を殺し、土曜日と日曜日は羽を伸ばし、本来の自分へと舞い戻る。そうしてその羽を広げる場所が今奪われる…。僕はもう地元にこだわる必要はないんじゃないのか?

今まで親のためとか、地元が好きで居続けた訳だけれども、もうそんなこと考えている余裕はない。僕が本来あるべき姿でいられる場所が奪われたのだ。それはつまり地元から見放されたといっても……過言だなあ…。

馬鹿馬鹿しく思えるかもしれないだろうが、これを気に転職を考えてみてもいいのかなと本気で考えているぐらいだ。それか、もう僕自身で本屋を作るしかない。自分の好きなものに囲まれた空間を自身の部屋以外に自分で作り出すしかないのだ。


僕はもう虚無である。
文化的側面に於いて地元には何も期待しない。


よしなに。



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