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雑感記録(168)

【年末雑感多々】


〈12月28日(木)21:30〉

僕は12月28日(木)の夜に地元へ戻った。本当なら29日に戻る予定で居たのだが、29日に色々と予定が立て込んで入っていたので夜な夜な特急に乗って山梨へ降り立つこととなった。相も変わらず東京駅から乗ってきた訳だが、東京駅は凄く混雑していた。当然と言えば当然のことである。東京駅はあらゆる電車の出発地点であり、起点である。混雑することに驚きはしないが、あまりにも人が多すぎるのである。

しかし、もう慣れてしまった。人混みに慣れるというよりもその混雑する場に慣れてしまったのである。何だか嫌だなと思いつつも電車が来るのを中央線1番線のホームで震えながら待つ。「震えながら待つ」と書いておいて、僕はzone the darknessの『奮エテ眠レ』を思い出さずにはいられない。あの曲の始まりも駅の音から始まる。

しばらく1番線で特急が来るのを待った。それにしても止まらず人は動いている。どこに向かうか分からず右往左往している人も居れば、スマホを見ながら一直線にどこかに強い歩みで進んで行く人も居る。種々雑多な人がそこには居て、いつ来ても不思議な空間がそこにはある。止まる人、歩く人、話す人、スマホを眺める人、飲み物を飲む人、待つ人。挙げればキリはない。

特急が来る。東京駅は始発なので結構ゆったり、ストレスなく座れる。しかし、新宿駅からわんさか人が乗車してくるのでシンプルにわちゃわちゃして息苦しい。あの狭い空間を何人もの人たちが行きかい、自身の荷物を上にあげたり、はたまた自分の膝に置いたりとする訳なのだが、その動作動作1つ1つが騒がしい。しかし、彼らと僕が向かう方向は同じな訳で、言ってしまえば遠いところで繋がる「同士」である。

そんな「同士」たちと甲府を目指し特急に揺られる。甲府駅までの道のりは長い。電車の中で何か本を読もうと思い開くのだが、狭い空間で身動きが自由に取れない事、また隣に座った人が恰幅の良い方で(いや、デブ、巨漢である)、僕の席まで侵食されていたことによるイライラで全然捗らない。これをおよそ2時間耐えるとなると中々にストレスフルである。

そんな2時間を過ごし、何とか無事に甲府に辿り着く。降り立ち、思わず「さむっ!」と声が漏れる。すぐさま喫煙所に向かい煙草を蒸かす。父親が遅い中迎えに来てくれているのでそそくさと煙草を蒸かし、父親の車が停めてある駐車場へ向かう。

「遅い!」

というある種、叱責にも似たような語調で出迎え。まあ、僕の父親は昔からこういう人である。大体何か物をいう時は何と言うか挑発的?なんだろうな…こう、カチンとくる言い方しか出来ない人間なのである。別にもう云十年と一緒に居るからもう慣れてしまったけれども、久々にその物言いを聞くとイラっとする。しかし、同時に「ああ、実家に帰って来たんだな」とも実感する。そんなイライラを抱えて車に乗り込み実家へ戻るのであった。


〈12月29日(金)〉

来たる12月29日(金)。今日は予定が盛りだくさんである。朝からみずほ銀行へ行き所定の手続きを済ませ、その脚で僕の前職である銀行の支店に挨拶に行き、そして夕方からは高校の同級生たちと飲み会。予定で見るとそんなに詰まって無いじゃないかと思われるが、そこに掛かる時間は膨大なのである。簡単に言えば、僕は車という移動手段を持たないが故に移動は基本的に歩きしかないのである。つまり僕が言いたいのはこうだ。用事に掛かる時間は少ないけれど、移動に大幅な時間が掛かってしまうということである。

東京は本当に歩けば大体駅に辿り着いて乗ればどこかには必ず到着する。電車も平日であれば2,3分間隔くらいですぐに来る。休日は大体5分間隔だが、それでも非常に便利である。ところが、いざ山梨ともなるとそうはいかない。1家に1台、いや1人1台基本的に車を保有しているので移動手段に困ることは無い。これは何処の田舎でもあるあるだが、車社会なので車を所有していることが前提としてある訳なのだ。

しかし、僕は東京に行く前に車を売ってしまった。そのため山梨に戻ってきてからの移動手段が徒歩しかない。別に散歩するのは嫌いじゃないから良いのだけれども、距離が何だか遠く感じるのだ。東京では同じ距離を歩くとこのぐらいだけど、山梨だとこのぐらいだという、言わば「山梨換算」をすると驚くことが多い。

それで1日歩きっぱなしだった訳だ。朝から晩まで歩きっぱなし。いい運動をしたと思えばそれまでだが。…いやいや、待ってくれ…書きたいことはこんなことじゃない。僕が書きたいことは高校の同級生たちとの飲み会の話である。相も変わらず脱線の癖は治らないらしい…。

午前中なんやかんやあって、夕方から高校の同級生たちと飲みに行くことになる。本当は5人で行く予定だったのだが、残念なことに体調を崩してしまったみたいで当日行けなくなってしまったのである。実は前回もそんな感じだった。前回は4人で行く予定だったが、これまた体調不良で3人で行くことになった。それからおよそ4か月。仕方ないとは言え、やはり寂しいものがある訳だ。

結局4人で居酒屋へ向かう。4人で高校時代のことや近況について熱く語らいあった。実は僕は飲み会というか皆でワイワイするのが好きではない人間である。厳密に言えば「自分にとって影響を与えてくれた人」としか僕は飲みに行かない。ややこしく言っているが、要するに「自分が好きな人」としか飲みに行きたくないのである。愉しい時間をわざわざ自分があまり好ましくない人と一緒に居ても苦痛なだけだ。それを自ら進んで選ぶほど僕も馬鹿じゃない。

それで、この日飲みに行ったメンバーは自分が好きな人たちであるからこそ非常に愉しかったのである。話をしていく中で、当然に高校時代の話をしていく訳になる。また現況を聞いて話に花を咲かせたりした訳だ。僕はこういう時間が実は1番好きである。過去に思いを馳せるということは大切である。自分自身が前に進むためのしゃがみ込みみたいなものだ。「あの頃、自分はこう見られてた」とか「今の自分はどうか」とか対話を重ねる中で新しい発見が至る所に存在しているからである。

こういうのを多分「身内ノリ」と俗に言うのだろうけれど、僕は「身内ノリ、万歳」というタイプの人間なので問題はない。問題なのは某YouTuberみたいに「身内ノリの押売り」みたいなことをしてしまうことである。別にそんなの身内で勝手にやって身内だけで愉しんでりゃいい。わざわざ大っぴらに「身内ノリ、最高でしょ」と言われたところで「はあ、そうですか」という感じな訳だ。ああいう動画で人気が出てる意味が未だに僕には理解できないのだけれども、僕は別にYouTuberではないので関係ない。

まあ、そんなこんなで色々と語らってきたのだけれども、僕はそこにどことなく寂しさを感じちゃったのだ。勿論、皆が同じ年齢になって、場所は違えど同じ年数を重ねて生きている訳だ。高校に居た時は「教室」という特殊空間の中で、何と言うか個人差は当然あるけれどもある種の連帯感を持って一緒に歩いてきたはずなのだが、現在は皆がそれぞれの方向で頑張っている。嬉しいことこの上ないし、僕は全力で応援したい。というかしている。だけれども、何か寂しさを感じざるを得ない。

しかし、それは単純な話である。つまり、僕は未だに留まっているということである。悪く言えば「過去に捕われている」という表現とでもなるのだろうか。僕はずっとしゃがみ込んでいるのだ。前に進んでいるように見せかけているだけで、偉そうにこういう記録に書いているだけで、実際に進んでいないのではないかと半信半疑になる。僕はただ取り残されて過去の幻想の中に皆を見ているのかもしれない。留まった変わらない記憶としての友人を僕は勝手にその姿に上塗りしていたのかもしれない。

居酒屋の後、僕たちはカラオケに行った。というより、僕がわりかし酔ってしまっていたので「うたおうぜぇぇぇぇ!!!!!!!!」とか言って無理やり連れて行った形にはなるのだが…。そこで僕は滅茶苦茶に歌いまくった。酔っていたこともあるけれども、何と言うかこのまま話続けて居たら何だか僕は置いて行かれる気がしたのだ。皆は前を向いて進んでいるのに、僕だけずっとその場に居たい、留まっていたいと強く感じてしまい、その哀しさに耐えられなかったというのが本心である。頭が回らなかった僕は物理的に別の場所を選んだ訳だ。まともな話が出来ない空間に。僕は自分自身を卑怯だと思った。

カラオケで歌を歌っていくうちにどんどん酔いがさめていく。何だこの状況と思いながらも、しかしある種これは僕が主導で招いた事態である訳なのだからここで急に冷めてしまったら元も子もない訳だ。折角来てくれたのに。だから、僕がやたら歌を入れまくった。しかもオールディな曲ばかり。歌詞の中には「愛してる」とか「好き」とか「I Miss You」とか「I Love You」とか「愛してる」とかそんな文言ばかりだ。

僕はふざけて、そういう歌詞の時だけ女性の友人の顔を見て言うという昭和のキモイおじさん的態度を取った訳だ。しかし、これ不思議なことに、別に相手に対してそういう気が無くてもそういった歌詞を彼女に連発してると、「あれ、俺、マジで彼女のこと好きなんじゃね?」と錯覚してくる。何なら錯覚じゃない。実感として肌感を持ってガツンと自分に襲い掛かって来る訳で、恥ずかしながらね。多分、わりと仲良くてそれなりの関係だったから下地はあった訳だけども…多分ね。多分。

僕は霊的なことをあまり信用しない人だから、あんまりこういうことは言いたくはないんだけれども、「言霊」ってあるじゃん。あれってあながち間違えて無いんじゃないかってその瞬間に思ってしまった。これもある種のロゴス中心的なあれかもしれないけれども、音声として先に聞くのは自分自身だし、ある種言い聞かせてるみたいな部分もある訳なのだから、自己催眠を掛けている状態なのかもしれない。そういう意味では結構実験的で刺激があって面白かったのだが…。

ここまで来たら本気で言い続けてみようかなと思って、帰りの車の中で「愛してるよ」とか「大好きだよ」とか連呼してみた。しかし、僕は個人的に生半可な気持ちでそんな事を言うのは良くないと思ったので割と本気で言っていたんだが、ある程度関係が出来てるからこそ「ハイハイ、アイシテルヨー」みたいな感じで流される訳だ。まあ、それはそれで良いんだけれども、何か複雑な気持ちではある。少し悔しかったので「いや、俺本気で言ってるけどね」と本心を話したら、困らせてしまった訳だ。結局「お酒のせいだな」という結果で終わって何事もなく終えた。

そして自宅に送ってもらって1人、風呂に入りながら思案する。やっぱり僕は前進できずに留まっているだけなんだろうなと自覚される。どうしたら前に進むことが出来るんだろうかと湯船に身を沈め、早々に上がり布団に身を埋めて12月29日は幕を閉じる。


〈12月30日(土)〉

この日は早起きした。別に何をするでもなく、ただ意味もなく早起きした。僕の実家の部屋は南側でがっつり朝日が入ってくるので、早起きはむしろ気持ち良いまであるのだ。元々朝型人間だけれども、太陽の光を浴びて目覚められるのは気分的にも最高に気持ちがいい。

今日は中学校の友人、いや、親友と久々にご飯を食べに行く予定であった。本当に1年ぶりに会うので凄く愉しみだった。というよりも、僕が年末に帰省するのは彼と会うためであると言っても過言ではない。本当に。彼とは中学校から一緒で、高校や大学、社会人になってからは別々のところでお互いに頑張っていた。それでも高校や大学そして社会人になってからも頻繁に彼とは会ってよく馬鹿やったりしていたものだ。言うて基本的に馬鹿やってたのは僕だったけれども、彼の前だと不思議と馬鹿になれるのである。

午前中は彼と会えることを愉しみにウキウキしながら「早く夕方にならんかな」と心昂らせていた。僕は常々、時間が過ぎていく無常さや哀しさをnoteに書いている訳だが、この時ばかりは早く時間が過ぎてくれと願っていた。人間とは不思議な生き物であると思わされる。時間が過ぎることに喜びを感じたり、哀しさを感じたり。時間というのはいつでも僕らの精神を置き去りに進んで行く。それでも精神はそこにしがみつこうと必死なのかもしれない。

それで、南側の僕の部屋に籠もって午前中は時間を潰した。この時間は本当に何もしなかった。持ってきた本を読むこともせず、スマホも手放し、ただ太陽の光を浴びながら寝転んで時間を潰していた。しかし、不思議なもんで太陽の光を浴びると眠くなってしまう。別に起きている時には眠気なんて1ミリもないのに、太陽の光を浴びると眠気が襲ってくる。猫の気持ちがよく分かる午前中であった。猫からの教え。

怠惰な午前中を過ごし、定刻20分前になったのでそそくさと支度をして待ち合わせ場所に向かう。僕らの待ち合わせ場所は決まってセブンイレブンである。2人とも実家の中間地点にあるということから決まってここである。ちなみに、高校の時からずっとそうである。待ち合わせは決まっていつもここ。僕は早めについたので煙草を蒸かしながら彼が来るのを待つ。

数分後、彼が車に乗って颯爽と現れる。僕は蒸かしかけの煙草をもみ消して彼の車に乗り込む。大抵どちらかが交互に車を出し合っているのだけれども、僕は上京にあわせて車を売ってしまったので車を所持していないのである。今回はお言葉に甘えて彼の車に乗せてもらうこととなった。とテイのいいことを書いているが、実は大学の時も僕は車を持っていなかったので彼の車で色んな所へ行った。通算で考えると彼の車に乗っている率の方が圧倒的に高いのである。いやはや…申し訳ない…。

車に乗り込み第1声。「今日、どこで飯食う?」

そう僕等はいつもこうだ。どこか行きたい場所を決めていく訳ではない。本当にその日の気分で決める。車の中で話をする中で「ここにしようぜ」と大体で決めてそこへ向かうのである。この適当さ加減が僕には堪らなく居心地が良いのである。運転している彼にはいい迷惑かもしれないのだが、それでも彼の器量のデカさにいつも救われながら店を決めるのである。そしてちょろちょろドライブしながら店を決めていく。

車中、彼とは積もる話を、堰が切ったようにお互いに話し始める。最近どんなことがあって、今はこういう生活をしている。とか。中学生の別の同級生と会った話や、あとは色々と日々の仕事のこととか深い話をしながらドライブする。しかし、これが僕には不思議で堪らなかった。それは大抵2人で居る時は真面目な話なんてしないからだ。これも大体僕が下ネタをぶっこんで「ばかやろ!」とか毎回突っ込まれたりとかするのがお決まりであったのに、何故かそういうことにはならなかった。

結局、僕等はファミレスで夜飯を食べることなった。おいおい、もっと他になかったのか?と言われてしまうとそれまでなんだが、僕等にとっては正直場所は何処でも良かった。彼となら別にどこでもいいと僕は常々思っているからだ。というよりも、飯を食べるよりも「落ち着いて話せる」というのが僕等の中で優先順位が単純に高かったからというのがもしかしたら1番なのかもしれなかった。

ファミレスで飯を食らった後、僕等は毎年年末に必ず行くバッティングセンターへと向かう。

僕等は毎年年末に決まってここのバッティングセンターへ行く。大学時代から年末に必ず行くようになったから、彼是8,9年目を迎える訳だ。昨年は膵炎になる前日に行っている。何で行くようになったかは正直覚えていない。ただ、年末は必ずここで締めるみたいなのがお決まりの流れなのである。バッティングセンターへ行ってこそ、僕はようやく「ああ、年末なんだよな」と実感することが出来る。ある種の指標みたいなものなのかもしれない。

彼は1年前に交通事故で右手を手術した関係で、今年はバッティングが出来ず僕だけがバットを振りまくるという結果になった。寂しさも感じるけれども、そうなってしまっては彼の分まで僕が振り切るしかない。と思って張り切ったのだが…どうも当たらない。そもそも野球が上手ではないということも当然にあるだろうが、すぐに疲労感を覚えバットが上がらないのだ。

バッティングを終えた後、「俺ら歳取ったってことかな?」と2人笑いながら外へ行き煙草を僕だけ蒸かす。そこで再び色々と話をした。歳を取るということ、とにかくそれが話題の中心だった。彼曰く「お前とこんな話が出来るってことは歳喰ったっていう証拠じゃね?」とのこと。正しくそうだ。何だか歳の衰えを感じた時間でもあった訳だ。でも、そこには何か彼と共有している何かがあったことだけは間違えのないことだったと思う。

再び車に乗り込み、バッティングセンターを後にし、彼に無理矢理お願いして河口湖までドライブしてもらった。その車中でも色々と話をする。やっぱり話題は「お互いに歳を食ったな」という話である。そういう中で中学生の頃の話をしたり過去の出来事を振返ってみたりした。その時に彼は「いや、実は俺あんまり中学の同級生とか今何してるのか全然分かんないんだよな、お前以外。」と言った。僕は彼がそういう性格というか、元々人にそこまで興味関心を抱かない人だと知っているので何とも思わなかったが、試しに聞いてみた。「知りたいとか思わない?」

彼曰く「別に知ったところで、『ああ、そうなんだ』で終わるんだよ。だって会いたいとも思わないけれど、物理的に会えない距離に居る訳だし。そもそも誰がどこで何してるかなんて知らねーし。」ということだった。彼の言い方もまあちょっと冷たい感がなくはないが、きっと彼が前進できているのにはここに大きな理由があるんだろうなと僕は感じたのである。

彼の場合は「前進し続けられる」という強さを持った人間である。

先に彼は交通事故に遭ったことについて簡単に触れた。事故発生から1年以上は経過しているのだが、実はまだ完全に終焉した訳ではないらしい。まだ弁護士を挟んで事の解決をしている最中であるとのことらしい。それで彼はその状況を語る訳なのだが、大変そうな様子が伝わってくるのだが、この話の最後に彼は一言「まあ、どうにもできないから、あとは弁護士にお任せ。しゃーない。」と言った。ここにその強さがある気がしてならない。

僕であれば少なくとも尾を引くことは確実である。だって事故の件で1年以上も付き合わなければならないなんて、弁護士に任せると言ったって嫌な気持ちというか、モヤモヤした気持ちがあるはずなのだ。それを彼は「しゃーない」という言葉でスパっと割り切れるというか、受け入れることが出来る(彼本人が受け入れてるかいないかは僕には分からない。あくまで様子を見た僕からの推量である。)ことが凄い。

僕はこの一言に彼の全てが収斂されていると思う。と同時に凄く羨ましくも感じた。僕はずっと後ろを振り返ってばかりで、何ならそこに留まろうとしているぐらいなのだから前に進むっていったってほんの数ミリぐらいしか前に進めていない。しかし、彼はどんどん前に進んで行く。会わない間にどんどん距離が開けてしまったような気がしてならなかった。

とは言うものの、彼は昔からこんな感じだった。だから変わってないと言えば変わっていない。だけれども、その強さを持っているのは彼の変わらぬ魅力である。彼は過去と現在の両端に変わらずいる。僕にとっての彼は、マイルストーン的存在なのかもしれないと思ってみたりもする。

そんなこんなで彼と有意義な時間を過ごし、早めに解散した。その時も「やっぱ歳喰ったから夜遅くまでがきつくなったんかな?」と2人して笑いながら再び待ち合わせ場所のセブンイレブンに戻って来た。そこで彼と別れ、僕は煙草を蒸かし空を見つめる。2本蒸かしたのち、この余韻を連れて自宅に帰り、最高の気持ちで床に入った。


〈12月31日(日)〉

2日連続におよぶ最高密度の夜を過ごしたので、これは休息が必要だと思い、この日は1日も外に出ずに過ごした。相も変わらず自身の部屋で日光浴をしながら何をするでもなくゴロゴロして過ごした。しかし、頭の中は先の2日間の出来事を振り返りながら自身を振返ってみた。

とにかく僕がこうして2日間のアツイ夜を過ごして感じたことは、自分には「戻ってくる場所」「戻ってきていい場所」が少なくともあるということに感動したということである。誰かが温かく迎え入れてくれるという空間には本当に居心地の良さを感じるし、僕もそれに報いねばならないと心から思う訳なのだ。

やっぱり、これは人間として当たり前だと思うのだが、「誰かに何かをしてもらったなら、それを返してあげること」これが肝要であると。

この2日間、僕がそれを出来ていたかは分からない。ただ少なくとも貰いすぎ感があることだけは事実である。だから何かしらの形で彼等彼女等の力になれればと心から思った1日だった。

そうして気が付けば夜。家族でこじんまり年越しそばを食べ、早々に寝た。


新年編はまた後日。

よしなに。



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