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雑感記録(68)

【怒れる僕の魂】


どうやら僕の地元のジュンク堂は明日、閉店を迎える。前々から知ってはいたが、やはり納得できない。今後、ジュンク堂のような大型書店がどこかに出来る話も全く以てない。僕はこれからどうしたらいいのか。途方に暮れている。

以前、このジュンク堂撤退が決まってから僕の心はどこか浮かばれなかった。それは今もなお強さを増すばかりであるが、いざ無くなるとなると虚無感が僕を襲う。これから僕は……とただ浮浪者の如く彷徨い続けるのだろう。


つい先ほど、地元のニュースで「ジュンク堂が明日まで」という内容のものが流れた。僕はそれを見て、現実かはたまた虚構なのかよく分からない感覚になって気持ちの整理がつかなくなった。だからこうしてタイピングしている。

しかし、そのニュースの中で「ジュンク堂が無くなるのは悲しいです」とか言っている人が居た訳だが、僕はそれを聞いてというか見て何故だか心底腹が立った。なんだろう、今まで沸々していたものがピョンと飛び出した感じだ。

僕は自慢じゃないが、ジュンク堂に毎週土日そして平日に休みが取れた際などは頻繁に通っていた。毎回本を買うということはしなかったにしろ、かなりの本を購入したことは確かである。これは自信をもって言える。僕は本に掛けるお金は惜しまないと決めている。

閉店の記事が出てからも僕は相も変わらず通い続けた。ただ自分の読みたい本、あるいはそうでなくとも本を眺めて「これよさそう」と手に取り気が付けばレジに並んで沢山買って…と僕はいつもと同じように通い続けた。

ところが、ジュンク堂が閉店間際、1月あたりになってからお店の様子が変わった。いつもはガラガラしていたジュンク堂に何故か人が多くいる。それに皆が皆、腕に何冊もの本を抱えてレジに長蛇の列が出来ていた。僕はその光景を目にした時、心の底から怒りが込み上げてきた。得も言われぬ…今にも「この薄情どもめが!!」と叫び出しそうになってしまった。


閉店が近づくにつれて皆こぞって大量に買っていく。しかも、見れば大体50%OFFの本ばかりだ。あとはまとめ買い―これは漫画が多いが―そういった人たちが散見された。ここぞとばかりに大量の本を抱えてレジに並んでいる人たち…。

別に誰がどのくらい買おうが、何を読もうが僕の知ったことではない。どうでもいいことだ。それに僕が土足でガンガン踏み込んでいい訳でもないし、踏み込むつもりは毛頭ない。だが!だが!だとしても…!

何か悔しいというか腹立たしいというか…。こういう閉店セールとか、閉店間近とかになって「ああ、買わなきゃ買わなきゃ!」みたいな雰囲気になり、その雰囲気に流されて購入する。挙句の果てに、そういう人々が「いやあ、ジュンク堂無くなるの寂しいよね…」みたいなことを声高に叫んでいるのがムカついてムカついて仕方がない。

「だったら最初から足繁く通って買えよ!」とキレそうになる。

大事なことなので断っておくが、別に本を今までどれくらい購入したから偉いとか、どれぐらい足繁く通ったから偉いとか、売上にどのくらい貢献したとかそういうことを決して言いたい訳ではない。……だけどやっぱり納得いかない…。

何と言うか、僕が思うにこれはタバコのマナーを守らないクソ共と同じ構造をしているように今書いていて感じる。


しばしば、街中で「歩きタバコ」をかましている不埒な輩が多くいる。僕もタバコを嗜む人間であるから、吸いたい気持ちはよく分かるのだが、しかし最低限のマナーは守れよと常々感じている。

今の世の中、タバコに関して凄く厳しい眼を向けられている。僕は吸う立場の人間としてそれは「正しくその通りだ」と受け止めている。だからこそ、僕はマナーを守り決められた場所で吸うようにしている。というか、当たり前のこと過ぎてこうやって文章にするのも恥ずかしいのだが…。

大抵、こうやって律儀にマナーを守っている人たちが、こういった「歩きタバコ」なぞするクソ共のおかげで余計に肩身が狭くなっている。結局、自分で自分の首を絞めていることを分かっていない馬鹿どもが、「タバコを吸わせろ」などと偉そうに奢っている。そうして、全く関係のないマナーを守って吸っている人が「タバコ」という共通項だけで「ああ、タバコ吸うやつにロクな奴いねえ」って認定されてしまう。

構造としてジュンク堂のあの行列と「歩きタバコ」はある意味で同じであると僕は感じざるを得ない。

彼らはただ「閉店セール」という名のもとに、無くなるという大義名分のためにジュンク堂へ赴き「最後だから、買わなきゃね」とかいう観念によって動かされ、その時だけ大量に買っていく。僕は律儀に足繁く律儀に通い続けて、あらゆる本を経常的に買い続けてきた訳だが、そんな僕の立場がないというか…。そんな「最後だから…」と言って買うような輩と一緒にはされたくない。況してや「無くなるの寂しい…」だなんて同じ立場だったら口が裂けても言えない。

しかし、これはジュンク堂に限った話ではなくて、「真に」思い入れのある人なら感じることだろうと思う。だってそうでしょ。自分の好きなことや好きな場所に足繁く通って楽しんでいたのに、そこが無くなるってなった途端に急に人が増え始めて、そんなちょろちょろっと来たことしかない輩が「いや~、無くなるの寂しいよね」とか言い出したら腹立たしいことこの上ないだろう。「いや、お前らが普段から来ててくれれば、どこか他の場所で存続できた可能性もある訳でしょ?」って。


僕は怒っている。とにかく腹立たしい。ジュンク堂が無くなるのはもう仕方がないことだ。それは避けようのない事実として捉えるしかない。これは受け入れるしかない。悔しいが。

だが、僕は閉店間際に来てドカドカと本を買い占め、「ああ。無くなっちゃうの寂しいね。」とか思ったりほざいたりしている輩が居たら絶対に許せない。それ程までにお前らはジュンク堂へ通っていたのか?と僕は声を大にして言いたい。

しかし、もう無くなるのだ。今更何を言っても変わらないだろう。

さて、もう1度書こう。

僕は文化的側面に於いてある種の拠り所となるジュンク堂をなくした山梨に今後期待することはないだろう。さて、山梨を出る支度を始めよう。

よしなに。






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