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年末年始とこれからのこと
僕は聖教新聞に勤めて16年目の記者です。妻、小学1年の息子、幼稚園年少の娘と4人で暮らしています。2019年に第2子が誕生し、翌年にはコロナ禍のステイホームを経験して、子育てにもっと関わりたいと思うようになりました。そうした中、長男が「幼稚園に行きたくない」と宣言。小学校に入学してからも、学校に行ったり行かなかったりという今に至ります。家族と歩む中で、僕自身もメンタルヘルスを崩したり、部署を異動したり、いろいろなことを経験しました。それは、今も現在進行形で、僕という人間を大きく育ててくれています。そんなわけで、「育自」日記として、思い出を含めて書いていきたいと思います。
きょう一日の中にある〝宝物〟を見つけたい
2024年を迎えました。
冬休みに入ってからの出来事として、息子の身長が伸びたこともあり、自転車を買い替えました。
タイヤのサイズは18インチから20インチになりました。
息子は新しい自転車をよほど気に入ったらしく、年末年始は、ほぼ毎日、一緒に散歩に行きました。(息子は自転車に乗り、僕は歩きや小走りでついていくので、そこそこ疲れましたが、いい運動になりました)
散歩のコースは、以前よく行っていた町内の公園から、もう少し離れた大きな公園だったり、駅だったりを経由するようになりました。
車の交通量が少ない道でも、息子は横断歩道を守り、「パパ、(横断歩道じゃないと)あぶないよ」と注意してくれるようになりました。
〝大きくなったなあ〟と感慨深く感じることが多々ありましたが、最も印象深かったのは、公園での出来事です。
「ちょっとトイレいってくるわ」
息子はそう言うと、そのまま一人でトイレに走っていったのです。
「え、一緒に行かなくていいのー?」と声をかけましたが、息子は「だいじょうぶー!」と叫びながら振り返りもせず、そのまま用を足して戻ってきました。
つい最近まで、息子は屋外の慣れない場所では、一人でトイレに行けませんでした。「まわりからみられると、はずかしい」ということで、小便でも個室を使うのですが、同時に、「みずのながれるおとがこわい」とのことで、一緒に個室へ入るのが常でした。
それがいつの間にか、一人で用を足せるようになっていました。
自転車を買い、散歩に行き、その途中にはファストフード店で〝お茶〟もしたりと、いろいろなことをして過ごしましたが、僕が一番うれしかった冬の思い出は、トイレに行く息子の後ろ姿を見送ったことかもしれません。
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前回(第13話)、ドクターの説明を聞き、〝息子が10歳になる3年後の未来へ、日々を大切にしていきたい〟と思ったことを書きました。
その際、僕の心に浮かんだ話があります。それはかつて、創価学会の池田大作先生が述べたことです。
釈尊の教えの精髄である法華経には、「化城宝処」という譬えがあります。
――ある隊商の一行が、険路をよく知る導師の案内で、砂漠を進んでいた。しかし途中で疲労の極みに達し、これ以上、前に進めないとあきらめかけた。
ここで引き返しては、皆の苦労が無駄になると考えた導師は、神通力を用いて前方に城をつくり、あの場所まで進もうと励ます。
元気を取り戻した隊商の一行は、城にたどりつき、休息することができた。
疲れが癒えたのを見届けた導師は、これは皆のために現した幻の城(化城)であると明かす。そして、本当の目的地(宝処)は近くにあり、共にそこまで進んでいこうと声をかけた――という話です。
(中略)
法華経の精神を根幹に、13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、ここでいう化城と宝処は決して別々のものではなく、「化城即宝処」であると説きました。
宝処にたどりつくという結果もさることながら、「共に宝所に至るべし」との心で、一緒に進む過程そのものが尊い、と。
人々の苦しみとそれに対する励ましが因縁和合して、前に踏み出す一歩一歩が「念念の化城」と現れるだけでなく、それがそのまま、自他共に尊極の生命が輝く「念念の宝処」となっていくと強調したのです。
※第42回「SGIの日」記念提言(2017年)から
何かを目指して頑張ることは、自らに大きな力を与えてくれるとして、その途上にも、勝るとも劣らない価値があることを、僕は池田先生の提言から学びました。
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その後の子育ての中で、池田先生の言葉の意味を、自分なりに考え、生きる支えとしてきました。
きょう一日の中にある〝宝物〟に気づく自分でありたいと願っています。
この日記の中で書いてきた、そうした〝宝物〟は、僕一人では、見つけられませんでした。
パートナー(妻)や家族、創価学会の仲間、地域で息子に声をかけてくれる近所の方々、行政の職員や相談員、療育の教室のスタッフ、教員、医師、心理士ーー出会った全ての人のおかげで、気づくことができたのだと思います。
冬休み中に、息子にフリースクールの話をしました。
「うーん、まだいいかな」という答えでした。
それならそれで、まだいいのだと思います。
一緒に散歩した時のように、彼が歩いて行く後ろを、見守り、ついていきたい。
それとともに、僕が子育ての中で出会う多くの方々と、子どもが社会へ羽ばたいていくまでの環境や選択肢を、できる限り整えたいと思っています。
息子の幼稚園時代からの歩みを振り返って、2024年の今に時間が追い付きました。
定期的な更新はひと区切りにして、また何かあったら、更新したいと思います。
この「育自」日記が形になるまで、僕の話を聞き励ましてくれた同僚たちに、心からの感謝を送ります。
聖教新聞の記者たちによる〝井戸端会議〟第2回。多様な親の思いを、お聞きください ↓
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