創価学会の仲間と息子の交流
「よーし、お兄さんたちとジャンケンしよう」
コロナ禍で、2020年春に国の緊急事態宣言が発令される前頃から、創価学会の各地の会館では、会合の自粛がおこなわれました。その後、感染の〝波〟の状況を注視しながら、徐々に会合が再開されました。
2022年の春には対面での会合も増えてきていて、僕は、ほぼ毎回、息子を連れて会合に参加しました。幼稚園への行き渋り・不登園をへて、ちょうど、療育の教室を利用し始めた当時です。教室へ通うパートナーとして、息子に認めてもらいたいーーそのために日々一緒に行動していました。
※息子からパートナーと認めてもらう道のりは、こちらに↓
会合は、創価学会の会館でおこなわれているわけですが、会館の中がどうなっているのかは、あまり知られていないと思います。
〝物が少ない、新しめの公民館〟をイメージしてもらえたら分かりやすいかもしれません。トレニアが1つか2つくらい置いてあって、あとは給茶機があって、仏壇の置いてある畳かフローリングの部屋がいくつかあるという感じです。(多くは2~3階建ての構造になっています)
そういう会館に、幼い息子を連れていくと、良いことがいくつかあります。
まず、思いっきり歩き回れる。うちの息子は、会館に入ると、数分で「探検だー」と言って歩き回ります。トレニアが少ないので、仮に子どもがうれしさ余って走ったとしても、けがをする確率も少ないです。
そして何より良いのは、これで行き帰り含めて2~3時間、ちょっとは〝体力を温存できる〟ということ! 息子との信頼関係が築けていくにつれて感じたのは、育児が体力勝負であることと、(特に休日は)一日がとても長いということでした。息子からの問いかけに笑顔で応じることも、一緒に出かけることも、全ては体力が要ります。空腹とかはほんとNG(イライラしてしまうから)。3連休なんてあろうものなら、それは、「3連戦」に他なりませんでした。(ネットでそういうつぶやきを見ると、今も心から共感します)
〝会合というものに参加していたら、子どもから目を離すことになるのでは?〟と思われる方もいるかもしれません。おっしゃるとおりです。なので、会合に参加する(内容をじっくり聞く)ことは、結構、難しいです。
ちなみに会合は、勤行・唱題(仏教の経典である法華経の一部を読み、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えています)をおこなったり、メンバーが自分の生活の近況を語り合ったり、仏教の内容を学んだりしています。
あまり会合の内容を聞けない状況ではあったものの、育児でも信仰でも〝自分にできることを〟と決めて、息子と一緒に動いてました。詳しく言えば、その前年、2021年の秋に、後輩の方へと「区男子部長」の役割を交代していたので、会合をやっている部屋から出たり入ったりすることができた、という背景もあります。(そうした責任ある役割は、随時、若い世代の人に交代していくことになっていて、そのタイミングが僕の育児のあれやこれやの時期と重なりました)
このように書くと、息子にとって、広い会館で遊ぶことだけが楽しみだったように思えますが、そうではなく、創価学会の人たちとの交流も、息子に喜びをもたらしてくれました。
2022年6月のある日、男子部の定例の会合に参加した時のことです。会合が終わり、雑談をしている時に、男子部の仲間の一人が「きょうも来てくれてありがとうねー」と、息子に声をかけてくれました。
「よーし、お兄さんたちとジャンケンしよう。6連勝できたら、クッキーをプレゼントするからね!」
気が付くと、その場にいる6人が、息子とジャンケンをする流れになっていました。最初の5人は、あらかじめ自分がグー・チョキ・パーの何を出すのか〝予告〟してくれます。「次はお兄さんはチョキを出すよー」みたいな感じですね。息子もそれを聞いて、勝つことができました。最後の6人目だけが〝ガチの勝負〟をするという流れになっていて、最後は、真剣勝負で息子が勝ちを収めることができました。
「おお!」と、むちゃくちゃ喜んでいる息子。会館探検をした後で汗だくになりつつ、「ありがとう」と言って弾けるような笑顔を見せました。
僕はとてもうれしかったです。当時の息子は、療育の教室の大人(スタッフの先生方)にも、まだ慣れていなかったのですが、男子部の仲間たちとは自然と話せていました。
なぜ息子が緊張せずにいられたのか、僕なりに理由を考えると、それは〝何かをやらせようとしないから〟だと思います。男子部の人たちには、会合に参加して、信仰について学び、励まし合ったりするという目的があります。その合間に、息子に声をかけてくれる。息子にとっては、その空気感、つまり〝自分をターゲットにはしないけど、声をかけてくれるという関係〟が楽だったのだと思いました。
また、この日の出来事は、僕にもう一つ発見をもたらしてくれました。それは仕事で人物ルポの記事を担当する際、よく話題になる「エピソード」に関するものです。
「エピソード」とは、取材対象者が経験した「人と人とのやり取り」を指すことが多いです。例えば、当事者の悩みに共感したもう一人が励ましの言葉をかけた、というようなドラマ。それは記事全体のメッセージを象徴したり、読者に分かりやすく内容を伝えるための〝潤滑油〟になったりもします。
さて、自分がハッとしたのは〝相手がこちらの事情を知らなくても、エピソードは生まれ得る〟ということでした。
息子に「発達の凸凹」があり、人や集団との関わりに課題があることや、療育を受けていることは、おおっぴらには話していませんでした。ですので、男子部の仲間の多くは、息子の背景を知りません。
でも、仲間たちが自然とおこなってくれる一つ一つの行動、時間にすれば10分にも満たないそのやり取りが、息子を笑顔にしてくれる。人と関わることを楽しいものと思わせてくれる。
その感謝というのは、人知れず、僕だけが胸に抱いたもの。でも、これまでの人生の中で数えるほどしかない、大きな思いでした。
男子部に限らず創価学会の人たちが、意識せずにやっている振る舞いが、知らないうちに誰かの希望になっている――そうしたことは、僕だけでなく、きっと他にも起きているはずだ。その予感を得た時に、ある同世代の家族を取材することになりました。そしてその記事は、僕にとって、記者としての節目を刻むものになりました。
(つづく)
聖教新聞の記者たちが、公式note開設の思いを語った音声配信。〝ながら聞き〟でお楽しみください ↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?