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創価学会の仲間と息子の交流

僕は聖教新聞に勤めて16年目の記者です。妻、小学1年の息子、幼稚園年少の娘と4人で暮らしています。2019年に第2子が誕生し、翌年にはコロナ禍のステイホームを経験して、子育てにもっと関わりたいと思うようになりました。そうした中、長男が「幼稚園に行きたくない」と宣言。小学校に入学してからも、学校に行ったり行かなかったりという今に至ります。家族と歩む中で、僕自身もメンタルヘルスを崩したり、部署を異動したり、いろいろなことを経験しました。それは、今も現在進行形で、僕という人間を大きく育ててくれています。そんなわけで、「育自」日記として、思い出を含めて書いていきたいと思います。

「よーし、お兄さんたちとジャンケンしよう」

コロナ禍で、2020年春に国の緊急事態宣言が発令される前頃から、創価学会の各地の会館では、会合の自粛がおこなわれました。その後、感染の〝波〟の状況を注視しながら、徐々に会合が再開されました。

2022年の春には対面での会合も増えてきていて、僕は、ほぼ毎回、息子を連れて会合に参加しました。幼稚園への行き渋り・不登園をへて、ちょうど、療育の教室を利用し始めた当時です。教室へ通うパートナーとして、息子に認めてもらいたいーーそのために日々一緒に行動していました。

※息子からパートナーと認めてもらう道のりは、こちらに↓

会合は、創価学会の会館でおこなわれているわけですが、会館の中がどうなっているのかは、あまり知られていないと思います。
〝物が少ない、新しめの公民館〟をイメージしてもらえたら分かりやすいかもしれません。トレニアが1つか2つくらい置いてあって、あとは給茶機があって、仏壇の置いてある畳かフローリングの部屋がいくつかあるという感じです。(多くは2~3階建ての構造になっています)

会館を〝探検中〟の息子

そういう会館に、幼い息子を連れていくと、良いことがいくつかあります。
まず、思いっきり歩き回れる。うちの息子は、会館に入ると、数分で「探検だー」と言って歩き回ります。トレニアが少ないので、仮に子どもがうれしさ余って走ったとしても、けがをする確率も少ないです。

そして何より良いのは、これで行き帰り含めて2~3時間、ちょっとは〝体力を温存できる〟ということ! 息子との信頼関係が築けていくにつれて感じたのは、育児が体力勝負であることと、(特に休日は)一日がとても長いということでした。息子からの問いかけに笑顔で応じることも、一緒に出かけることも、全ては体力が要ります。空腹とかはほんとNG(イライラしてしまうから)。3連休なんてあろうものなら、それは、「3連戦」に他なりませんでした。(ネットでそういうつぶやきを見ると、今も心から共感します)

〝会合というものに参加していたら、子どもから目を離すことになるのでは?〟と思われる方もいるかもしれません。おっしゃるとおりです。なので、会合に参加する(内容をじっくり聞く)ことは、結構、難しいです。
ちなみに会合は、勤行・唱題(仏教の経典である法華経の一部を読み、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えています)をおこなったり、メンバーが自分の生活の近況を語り合ったり、仏教の内容を学んだりしています。

あまり会合の内容を聞けない状況ではあったものの、育児でも信仰でも〝自分にできることを〟と決めて、息子と一緒に動いてました。詳しく言えば、その前年、2021年の秋に、後輩の方へと「区男子部長」の役割を交代していたので、会合をやっている部屋から出たり入ったりすることができた、という背景もあります。(そうした責任ある役割は、随時、若い世代の人に交代していくことになっていて、そのタイミングが僕の育児のあれやこれやの時期と重なりました)

このように書くと、息子にとって、広い会館で遊ぶことだけが楽しみだったように思えますが、そうではなく、創価学会の人たちとの交流も、息子に喜びをもたらしてくれました。

ある時は、地域のご友人をお招きするイベントの飾り付けを手伝ってくれました

2022年6月のある日、男子部の定例の会合に参加した時のことです。会合が終わり、雑談をしている時に、男子部の仲間の一人が「きょうも来てくれてありがとうねー」と、息子に声をかけてくれました。

「よーし、お兄さんたちとジャンケンしよう。6連勝できたら、クッキーをプレゼントするからね!」

気が付くと、その場にいる6人が、息子とジャンケンをする流れになっていました。最初の5人は、あらかじめ自分がグー・チョキ・パーの何を出すのか〝予告〟してくれます。「次はお兄さんはチョキを出すよー」みたいな感じですね。息子もそれを聞いて、勝つことができました。最後の6人目だけが〝ガチの勝負〟をするという流れになっていて、最後は、真剣勝負で息子が勝ちを収めることができました。

「おお!」と、むちゃくちゃ喜んでいる息子。会館探検をした後で汗だくになりつつ、「ありがとう」と言って弾けるような笑顔を見せました。

僕はとてもうれしかったです。当時の息子は、療育の教室の大人(スタッフの先生方)にも、まだ慣れていなかったのですが、男子部の仲間たちとは自然と話せていました。
なぜ息子が緊張せずにいられたのか、僕なりに理由を考えると、それは〝何かをやらせようとしないから〟だと思います。男子部の人たちには、会合に参加して、信仰について学び、励まし合ったりするという目的があります。その合間に、息子に声をかけてくれる。息子にとっては、その空気感、つまり〝自分をターゲットにはしないけど、声をかけてくれるという関係〟が楽だったのだと思いました。

また、この日の出来事は、僕にもう一つ発見をもたらしてくれました。それは仕事で人物ルポの記事を担当する際、よく話題になる「エピソード」に関するものです。
「エピソード」とは、取材対象者が経験した「人と人とのやり取り」を指すことが多いです。例えば、当事者の悩みに共感したもう一人が励ましの言葉をかけた、というようなドラマ。それは記事全体のメッセージを象徴したり、読者に分かりやすく内容を伝えるための〝潤滑油〟になったりもします。

さて、自分がハッとしたのは〝相手がこちらの事情を知らなくても、エピソードは生まれ得る〟ということでした。

息子に「発達の凸凹」があり、人や集団との関わりに課題があることや、療育を受けていることは、おおっぴらには話していませんでした。ですので、男子部の仲間の多くは、息子の背景を知りません。
でも、仲間たちが自然とおこなってくれる一つ一つの行動、時間にすれば10分にも満たないそのやり取りが、息子を笑顔にしてくれる。人と関わることを楽しいものと思わせてくれる。

その感謝というのは、人知れず、僕だけが胸に抱いたもの。でも、これまでの人生の中で数えるほどしかない、大きな思いでした。

男子部に限らず創価学会の人たちが、意識せずにやっている振る舞いが、知らないうちに誰かの希望になっている――そうしたことは、僕だけでなく、きっと他にも起きているはずだ。その予感を得た時に、ある同世代の家族を取材することになりました。そしてその記事は、僕にとって、記者としての節目を刻むものになりました。

(つづく)

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