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過食と母子問題について

七夕の今日、猛暑日となっておりますがいかがお過ごしでしょうか☀🎋
私は七夕祭りに行きたかったのですが、一緒に行ってくれる人がいなくて結局今年も行けずに終わりそうです😂誰かからお誘こないかなと15分毎にケータイをチェックしております、かなしい(笑) 外に出ると大抵2,3人組や家族連れで”七夕まつり行きます&行ってきました~”的な雰囲気を醸し出していて、めっちゃうらやまです~私も遊びたい~🐖‼そんなこと思いながら家で暴食しております🤣

過食といえば、スピリチュアルカウンセラーのみちよさんが、”母子問題、母に愛されたかった・認められたかったという思いがあると過食してしまう”というようなお話を以前動画でされていた気がします。
それを聞いた当時は私はそこまでぴんとこなかったというか、仕事が決まらなくて不安で食べてしまうというのはあるけれど、母に対してそんな思いがあるのかな?と思っていました。どちらかというと父に対して”認めてほしかった”という思いが強いと思っていました。
ただ最近は自分の父への思い、”不満や認めてほしかった、こうされたのが嫌だった”等という気持ちを感じて癒していくと、その奥に、”本当は母に甘えたかったし守ってほしかった”という気持ちがあることに気づきました。

思い出したのは、確か小学校低学年だったと思いますが、いつもは転んだ時に母が抱きしめて慰めてくれていたのですが、ある時転んだ際に母が抱きしめてくれなかったのです。その時に母から何か言われたわけではなかったと思いますが、子どもながらに ”あ、私は自立しなきゃいけないんだ。もう甘えられないんだ” と瞬間的に感じ取って、そこから母に甘えなくなった(甘えられなくなった)気がします。でも本当はまだまだ甘えたかったのです。
その以外にも、母と一緒にもっと遊具などで体を動かして遊んでほしいと思っていましたが、母はいつも疲れた顔をしていたので(当時でいうと高齢出産に近い年齢でしたし、3人目の育児で実際に普通に疲れていたんだと思います😅)遠慮してそれを言う事もできず、自分の気持ちを飲み込んでいました。
また、父から怒りをぶつけられてもじっと耐える母をみて、”母がかわいそうだ。だから私が守らなきゃいけないんだ。その為にも父を怒らせてはいけないんだ。”と子どもながらに思っていました。本当は自分が守ってほしかったのに、真逆の大人のような感覚で生きてきました。だからそのアンバランスさというか、ふとわきあがる寂しさや心の満たされなさを食で埋めようとしてしまうのかなと思いました。食べると一時的に安心感を得られるというのもありますし、食べ過ぎると考えられなくなるのである意味現実逃避的な感覚もあるように思います

こんな気持ちが自分の中にあったのだということに気づけたのは自分としては大きな前進なのですが、まだまだその思いを癒すには時間がかかり、過食は辞められません😭💦🍨自分の気持ちを感じれば感じるほど、私はこんなにも辛い気持ちをしながら生きてきたのかと、自分の傷の深さに正直驚いております。それでも、ここまで一生懸命生きてきた私、そしてこれからも生きようとしている自分自身を褒めてあげて、過食できるほど食べ物があることにも感謝して(笑) 自分らしく自分の人生を最後まで歩んでいけたらなと思います。
そして来年こそは、素敵なパートナーと七夕まつりに行くという夢を実現したいと思います✊💨🎋

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